【連載小説】僕のセイシュンの三、四日 #03
この物語はフィクションです。登場するあらゆる個人、団体、組織、事件、SNS等は全て架空のものであり、実在のものとは関係がありません。
また、この作品は2013年にKDP/Amazonにて発行された電子書籍版に加筆・修正をし、連載形式に分割して再発表するものです。
ここまでの話数は↓のマガジンに纏められています。
○
部屋に戻ると、泉の姉は砂羽という子供と寄り添う様に向かい合って、軽い鼾をかいていた。エアコンを点けたままにして、僕と泉は床に寝る事にした。
どの途狭い部屋だったから、自然と僕らの距離は近いものとなった。
泉は何も言わず、僕の指を握って目を閉じた。その温もりを心地良く感じながら、僕も眠りに落ちた。
○
「へえ、アンタたち本屋でバイトしてるんだぁ?」
「ええ、まあ」
「フリーター同士ってわけね」
「まあ、そんな感じです」
次の朝の食事は、いつもの二人だけの食事と違って、会話というものがあった。大方、鳴海さんが質問して、僕が答えた。
でも会話をしてるのは二人だけで、泉と砂羽という子は一切それに参加しなかった。
泉は鳴海さんが何か言う度にこめかみのあたりをピクピクさせて、いらだたしそうに箸を動かしては、食べるともなく半熟目玉焼きを突き崩していた。
砂羽という子は、僕たち大人の会話には全く興味なさげにテレビアニメを見、中々箸が進まない様子だった。
「あまり美味しくないかな?」と僕は砂羽に聞いた。砂羽はテレビに気を取られているらしく、こちらを振り向きもしなかった。
「美味しいわよぉ」と鳴海さんが言った「ほら、砂羽、お兄ちゃんが美味しいかって聞いてるよ」
砂羽は顔をこちらに向けもせずに頷いた。
「ごめんねぇ、この子、しゃべらないのよ」とちっとも悪く思ってなさげに鳴海さんは言った。
僕は何か病気でもあるのかと思った。
それが顔に出たらしい。打ち消すように鳴海さんは、別に病気とかじゃないの、しゃべる時はしゃべるのよ、よっぽど不満がある時とか、と言った。
「だから、ほっとくの、普段は」
「そんなもんですか」と僕は聞いた。
「そんなもんよぉ、コドモなんて。それでもちゃんとここまで育ったもの。でもみんなでごはん食べるのって良いわねえ、おかわりもらう」
僕が、よそいましょうか、と言うと、お願い、と鳴海さんは茶碗を差し出した。そしてそのまま座卓に肘をついた。でも、と鳴海さんは言った。
「でも、泉は本を売る人じゃなくて、書く人になるんだと思ってたわ」
泉の動きが止まった。つられて飯をよそうしゃもじも止まってしまった。
「だってさ、実家に帰ったら、まだいーっぱい本が積んであるでしょ? それに作文で賞もらったのっていつだっけ、小学生? 中学だった?」
泉は、深く息を吸った。目を閉じ、体を鳴海さんの方に向けて、目を開けた。明らかに睨んでいた。そして、まるで拳銃を持った犯人にでも言うように呟いた。
「余計な事しゃべらないで」
「どうして? いいじゃない、褒めてるんだもの」
ねぇ? と鳴海さんは僕に向かって同意を求めた。僕は曖昧に微笑って、飯をよそい、鳴海さんに茶碗を渡した。
「いいから、しゃべらないで」
泉の語気は荒かった。
あら、こわい、と鳴海さんは肩を竦めた。
泉は結局何も食べずに立ち上がった。
「支度する」とだけ言って、泉は機嫌悪そうに荒々しくユニットバスの扉を開けて入って行った。
鳴海さんはそれを全く気にするでもなく、僕のよそった飯を口に頬張った。砂羽は相変わらずテレビに夢中だった。
なんだか居づらいのは僕だけの様な気がした。僕だけがあからさまに余所者だった。
世間話でもしようかと思った。だが、すぐに諦めた。僕はその時も政治や経済や芸能やスポーツの情報から遠ざかって久しかった。
僕はしゃべらなくても済むように、茶碗に残った飯を一気に掻き込んだ。茶碗ごしに見えた鳴海さんの顔は妙に白けたものだった。
「つまんないわねぇ」と鳴海さんは言った。
「ところでさ、あの子とアタシの事どの程度知ってるの?」
掻き込んだ飯で口が一杯になっていた。それに意味が判らなかった。僕はきょとんとなった。
「だから、田宮のこと知ってるの?」と鳴海さんは訊いた。
僕は首を横に振り、無理矢理飯を飲み込んで、誰ですか、それ、と訊いた。
「ふうん、言ってないんだ」と鳴海さんは何だか意味ありげに微笑った。
「だから余計な事言わないでって言ってるでしょ。聞こえてるわよっ」とユニットバスから泉の叫び声が聞こえた。そんな泉の声を聞くのは初めてだった。
ほんと、恐いんだから、と鳴海さんは小声で言った。
それ以降、鳴海さんは何も言わなかった。僕も、砂羽も、そうした。
でも、相変わらず砂羽の箸はなかなか進まず、僕と泉がアルバイトに出掛ける時も、茶碗には半分程飯が残っていた。
昼飯時までかかるんじゃないか、と僕は思った。
○
書店への道すがら、僕と泉はいつもの様に無言だった。
時折、僕は泉の顔をチラ見した。泉の表情は固く、険しかった。いつもの無言とは確かにどこか違っていた。
訊きたいことが山ほどあった。
鳴海さんは何故泉の部屋に来たのか、何故泉は鳴海さんに対してカリカリしているのか、二人に昨夜何があったのか、田宮とは誰なのか。
僕の心は質問したい衝動で穏やかではなかった。
僕は寧ろ何か関係無いことでも話した方がいいのかもしれないと思った。あのさ、と僕が切り出そうとしたその時、泉は言った。
「アタシね、嘘はつきたくないの」
僕は泉が何を言おうとしているのか判らなかった。だが、うん、と頷いた。
「だからね、アタシたちきょうだいの事は訊かないで」
僕は、知りたい欲求を抑え込んで、わかった、と答えた。
良い子ね、と泉は言って、立ち止まった。
書店はもう、すぐそこだった。僕も立ち止まり、泉の方を向いた。泉は悲しそうな微笑みを浮かべていた。
「良い子ね。本当に」と泉は言った。
「そうかな」と僕は応えた。
「ねえ、わかっててね。アタシは祐介のそういうとこ、好きよ」
「うん」
「本当に、好き」
人通りはあまり多く無かったが、外でそんな会話をするのは恥ずかしかった。泉の言葉を止めるために、わかったよ、もう行こう、と僕は言った。
それでも泉は、本当に好きなの、と視線を地面に落としながら、何度も言った。
微笑みは消えて、何か苦しそうに言葉を絞り出しているように見えた。
その言葉は何故か僕を素通りして、違う何処かに向かっている様な気がした。
僕は、わかったから、わかってるから、と言って、泉の肩に手を置いた。泉は少しためらいながら、その手に細く小さな手を重ねた。
「本当よ」と泉は再び言った。
「うん」僕は頷いた。
僕達は向かい合い、しばらくの間見つめあった。
泉の瞳は潤んでいたが、頬や唇を無理矢理笑顔にしているようだった。僕も躊躇いながら微笑んだ。
「でも」泉は言った「それじゃ祐介はきっと苦労する。きっとオトナになるのに、ヒトの倍かかる」
そうかな、と僕は相槌を打った。
だが、正直なところ、それは唐突だったし、意味が良くわからなかった。僕は大学に合格し、家を出たことで、随分大人になったつもりでいたのだ。
バイトに遅れちゃうわね、と泉は歩き出した。僕はその後に付いて行った。
心がざわめいていた。
それまで経験した事の無い類のざわめきだった。
そしてそれは仕事の間中も澱のように僕の頭の中を漂っていた。
だから、その時隙が無かったかと言われれば、あったと言わざるを得ない。
○
その中年の女性客は自動ドアが開くのも待ちきれないといった感じで、体をぶつけるように店に入ってきた。僕は音でそれに気付いた。
他の店はどうか知らないが、僕たちが「いらっしゃいませ」と言うのは、客がレジに来た時だけだった。僕はその客が自動ドアに気付かずに入ろうとしたのだと勘違いした。
だから、やや可笑しく思いながらも、普段通りそれを無視した。
だが、その女性客は書棚を見るでもなく、真っ直ぐ僕のいるレジにやって来た。
僕はマニュアル通りに、いらっしゃいませ、と言った。何か予約か、取り寄せでもしたのだと僕は思った。それを待ちきれずにドアにぶつかったのかもしれなかった。
改めて言うが、僕は観察と言うことが苦手だ。注意深くもない。鈍感だ。その上、正直言えば、泉のような近しい人間以外は、どうなってくれても構わないと思っていた。
その女性客だってどうなっても構いやしなかったのだ。
彼女は微笑んでいるように僕には見えた。幾分息を切らしている様な感じだったが、それが不吉なものだとは思えなかった。
僕は再び、いらっしゃいませと言った。
「何か、ご用でしょうか?」
彼女は古びたベージュのバッグをレジ台の上に置いて、中をごそごそと探った。新聞広告の切れ端でも出すのかと僕は思った。広告を持ってきて、その本があるか訊かれる事はざらにあることだったからだ。
しかし彼女が出したのは擦り切れたブックカバーがかけられた、付箋の一杯付いた新書だった。
「これね、ここで購入したのよ」
彼女はそう言った。そう言って僕を見つめていた。僕は何と言っていいものか少し迷ったが、それはありがとうございます、と言うのが一番良いだろうと思った。
「それはあり」僕はそこまでしか言えなかった。
彼女は僕の言葉を遮って、その本をずいとこちらに押し出した。
「ここで購入したの、わかるわよね」と彼女は言った。
「はあ」と僕は応えた。
ボロボロだったが、確かに紺地にその書店の名前が印刷されたブックカバーがかけられていた。
だが、その書店は一店の規模こそ小さいものの、某私鉄の子会社で沿線の多くの駅前にあるチェーン店の一つだったのだ。何処の店舗で買ったのかなんて分かりはしなかった。
少なくとも僕は目の前の客に見覚えは無かった。
しかし、向こうがそう言うのなら、そうだと言うしかなかった。僕は確かにシフトを多く入れて働いていたが、すべての客の対応をしているわけではなかったのだから。
結局、そのようですが、と僕は言った。
「うん、そうなの」と彼女は言った。何故か満足げに見えた。
僕はこの客が一体何を言いたいのかまるで予測が付かなかった。だから、彼女の次の言葉を待った。
彼女はその本を手に取り、ぱらぱらとめくった。その間も彼女の視線は僕に向けられていた。
「あのね、読んだの」彼女は言った。
「はあ」としか僕には言えなかった。
「何度も読んだの」
「はあ」
「本当に繰り返し繰り返し読んだの」
「はあ」
「これ、見てくれる?」
彼女は僕にその本をパラパラと捲って見せた。
傍線が赤や青で引かれ、付箋が貼られ、折り返しがあった。何度も引いた辞書の様に小口に汚れが付いていた。
「ね、わかるでしょ?」と彼女は言った。
「はあ」僕には本当に他に言い様が無かった。
彼女は何かを自分で確認するかの様にこくんと頷いて、続けた。
「それで、気付いたことがあるの」
「はあ。何でしょうか?」
「この本の事知ってるでしょ? 店の人なんだから」
彼女が本を捲って見せた時目に入ったその題名は僕でも知っていた。勿論中身の事なんて知らなかった。一時期結構売れていた自己啓発の類の本だという事くらいの知識しか無かった。
「一時期売れてましたね」とそのままを僕は言った。
読んでないの? 信じられない、とでも言いたげに目を丸くして、不愉快そうに彼女は、まあ、と言った。
「僕は読んでませんので……」と僕は言った。
ええ、いいのよ、それは別に、と彼女はちっとも良さそうではない口ぶりで言った
「それじゃあ、説明しますけど」彼女はそう前置きして、話し出した。
「この本に書いてある事は全部デタラメ、何一つ変わりはしないんだから」
だからどうしたというんだ、と僕が思ったのはそれから二時間経った時の事だ。
世の中の本の殆どがデタラメじゃないか、人によって、おもしろかったり、役に立ったり、逆につまらなかったり、何の得にもならなかったりするデタラメがあるだけじゃないか、と言ってやれば良かったと二時間後の僕は臍を噛んだ。
でもその客の言い出す事がそれまで相手にしてきた客とあまりにも違うために僕は静かにパニックになっていたのだ。
僕は、言葉を失ったまま、彼女を見ていた。
「例えば」彼女は言った「このページ、『嫌いな人を赤ん坊と思え』ですって? 無理。どうやったらあのくそ女共を赤ん坊と思えるの? 赤ん坊は人に隠れて悪口なんて言わないわ」
もはや僕は相づちすら打てなかった。
「『もしくは非力な老人と考えよ』きっとこの作者、年寄りの面倒見たことないのよ、きっとそうよ」
彼女の声はヒステリックなものを帯び始めていた。それにつれて、この異変がどうやら他の客にも伝わっているらしいのが分かった。皆がレジを遠巻きにしているような気がした。
泉は売り場にいた。こちらを気にしている様子だった。
僕は、何を強がったのか、泉に来なくていいと反射的に手で合図を出してしまった。
もしかしたら、頼りがいのある所を見せて、泉に色んな事を話して欲しかったのかもしれないが、でも、それも後付けの理由だと思う。
僕はそういう場合にとるべき術を知らなかっただけなのだ。
彼女はいちいちこんなことは有り得ない、だの、楽に生きられる十二の方法というサブタイトルがそもそも大嘘、だのと僕に語り続けた。
彼女が言った言葉の殆どは右耳から入って左耳に抜けていった。ただ、僕に対する、敵意の様な何かを感じさせた。
僕の心は、愚かにもそこに焦点を当ててしまった。
彼女が言葉を尽くすほど、僕の心にも彼女に対する敵意が募っていくのだ。
僕は何かを言い返してやりたかった。
それは作者や出版社に言うべき事です、感想があるなら手紙をかけばいいと思います、多分相手にされないでしょうが、こんなのはどうだったろう、と二時間後の僕は考えついた。
だが、その時の僕は彼女が捲し立てる言葉に悪酔いしているような気分になっていた。
もうたくさんだ、と思いながら、どのくらい時間が経ったかわからなくなっていた。僕はそんな状態でも、気が済めば終わるだろうと思った。
我慢だ。この愚痴に対して、それだけが僕に出来ることだった。
だが、相手の本意は本の愚痴を言う事では無かった。
「そういうわけで」と彼女は言った「この本返品したいの」
返品は普通にある事だ。コミックを重複して買ってしまった子供がレシートを持ってやって来たりする。
多くの店でそうするように、それが汚れたり破損していない限り、レシートを持って来て貰えれば快く返品に応じる。
でも今回は違う。目の前にあるその本はもはや古書店だって引き取らない程、ボロボロになっていた。
「早くして、こっちは忙しいんだから」と彼女は言った。
忙しい人が本をそんなに汚す程読み返すことができるものか、とやはり二時間後の僕は思った。
だが、その時の僕はただ湧き出す惑いと怒りの両方の感情を抑え込むので、精一杯だった。
レジ台に置かれたその本と彼女を交互に見る位の事しかできなかった。
「早く、返して、お金」彼女はイライラとレジ台を人差し指で叩いていた。
「いや、これは……」
言い澱む僕を見た女の口から、それまでアニメでしか聴いたことのないような音が発せられた。
キー、と確かに聞こえた。
あなたねえ、とレジ台を乗り越えかねない程僕に顔を近づけて彼女は叫んだ。
店中に緊張が走った。泉が売り場から事務所に走るのが見えた。
でも、ふと視線を動かした事が彼女の気に余計にさわったらしい。こっち見なさいよ、と彼女は凄んだ。僕は言われるままにした。
「何? この店は、嘘を書いた本を売りつけて、貴重な時間を浪費させた挙げ句、効果がないと分かった客に返金もしないの?」
僕はもうその女を客だと思えなかった。
敵だった。
僕の口は勝手に動いた。
「アンタ、オカシイんじゃないの?」
「なんですってぇ?」
女は大げさに口を両手で押さえ、な、なんですってぇ、ともう一度言った。
「アンタ、オカシイよ」と僕ももう一度言った「こんな滅茶苦茶に汚した本を返品できるなんて、フツーじゃ考えつかないよ。万引きする奴にだってもっと遠慮があるよ」
「人を泥棒扱いするの? この店は」と女は呟き、もう一度同じ事を、大声で言った。
そして首を振り、顔を押さえ、激しく嗚咽し始めた。
そこに、女店長が来た。
泉はその背中から、顔を覗かせていた。不安げで、緊張した顔をしていた。
その顔を見て、唐突に泉が好きだと言いたい衝動に駆られた。
早い話が、興奮とストレスで僕は訳が分からなくなっていた。
泥棒扱いどころか、人を異常者みたいに言うなんて、ひどいひどいひどいひどい、と女は繰り返していた。
女店長は僕に向かって頷いて見せ、そしてしゃがみ込んでしまったその女に寄り添うように自らもしゃがみ込んだ。
「申し訳ございません。何か私どもの店員に失礼がございましたでしょうか? 私、店長の磯谷と申します」と店長は女の耳に囁きかけるように言った。
女は嗚咽しながら、「こいつが、アタシをキチガイだって言ったのよ」と僕を指さした。店長は真剣な眼差しで僕を見た。
「本当かしら?」店長は言った。
「キチガイなんて言ってません」と僕は応えた。
「嘘よっ、確かに言ったわっ」と女は叫んだ。
「言ったのね?」と店長は声のトーンを落として言った。
「オカシイとは言いました、でもそれは……」と僕が釈明しようとすると、女店長はそれを遮った。
「それに近い事は言ったという事ね」
確かにそうだった。僕は、はいと俯いた。
「そう、じゃあ、まずそれをお詫びして」と店長は言った。
その時の僕はとても混乱した。
悪いのは無理を言って来たその女なのに、どうして僕が謝らなければならないのか全く理解できなかった。
女店長は僕を強く見詰めていた。そして、早く、と真剣な声で僕に言った。
僕は全く理解できないまま、申し訳ございません、と小声で言った。
その女の事を見もしなかった。
女店長はそれを見て首を振り「そんな謝り方は無いわ」と僕を叱責した。女は嗚咽をやめ、僕たちを見ていた。
「ちゃんと、この方を見て、大きな声で心の底から謝罪しなさい」と店長は言った。そして僕の頭を手で下げさせた。
ほら、と女店長は言った。僕は理不尽に感じながらも、大声で、申し訳ございませんでした、と謝罪の言葉を口にした。
女店長は自分でも頭を下げ、「店長の私からもお詫びいたします。申し訳ございませんでした」と言った。
そのまま一分以上は二人で頭を下げていた。
そして店長は顔を上げると、「お許しいただけますでしょうか?」と女に問いかけた。女は、少しうろたえたように、ええ、ええ、不愉快だけど許すわ、と言った。
しゃがみ込んでいた女に、女店長は手を差し伸べた。
「本日ご来店くださった御用件についても改めて店長の私が別室で伺いたいと存じます。お運びいただいてよろしいでしょうか」
女は店長の手を取った。そして二人は事務所に消えていった。
ほっとした顔の泉が僕の背中をぽんと押した。この騒ぎでレジに来られなかった客たちがなんだかきまずそうにレジに並ぼうとしていた。
僕と泉はレジカウンターに立ち、本来の仕事に戻った。
だが、僕の頭を下げさせた店長の手が僕の後頭部に残っているような気がして、悔しさがいつまで経っても消えなかった。
<#03終 #04に続く>
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