【連載小説】僕のセイシュンの三、四日 #01
この物語はフィクションです。登場するあらゆる個人、団体、組織、事件、SNS等は全て架空のものであり、実在のものとは関係がありません。
また、この作品は2013年にKDP/Amazonにて発行された電子書籍版の加筆・修正版を連載形式に分割して再発表するものです。
○
あの頃、平穏だけを僕は望んでいた。
きっと泉もそうだった。
だから二人に言葉なんて多くなかった。
基本、僕たちは何も話さなくて良かった。
朝、先に目を覚ました方が、相手を揺り起こした。朝の挨拶も無かった。
テレビはあったが、放送番組はほとんど見なかった。
朝食の用意は大体僕がした。料理は得意じゃないから、白飯を炊いて、味噌汁を作り、目玉焼きを焼く程度の事だ。
その間、泉はアルバイトに行くための軽い化粧や支度を済ます。
僕の方の支度なんて髭剃りと歯磨き、洗顔くらいのものだから、時間に余裕がある方が朝食を担当するのは合理的だと思っていた。
朝食の間も特に話す事は無かった。泉が何か欲しい時はその視線でわかった。僕は何も言わず醤油の瓶を渡した。
ありがとう、どういたしまして、なんて遣り取りも殆ど無かった。
それでも、僕と泉は機嫌を損ねたりしなかった。
僕たちは時間になれば、アルバイトに出かけた。同じ書店だ。仕事中は勿論私語は禁止されていた。それでも、親しい他の店員同士は私語をするものだったが、僕と泉の会話と言えば、仕事上必要なもの程度だけだった。
シフトを多く入れているから、僕の方が遅く帰る事が多かった。
泉は先に帰って、夕食の準備をしてくれている。メニューはそれほど凝ったものでは無かったが、僕はそんな事がとても嬉しかった。
夕食後、僕が食器を洗い終えると、二人の時間になる。
僕が帰る前に泉がレンタルしてきたビデオを見たりするのが主な過ごし方だった。
僕の淹れたコーヒーを啜りながら、僕たちは肩を寄せ合って、ビデオを見た。
恋愛映画だったり、コメディだったり、サスペンスだったり、ホラーだったり、アニメや特撮だったり、泉の借りてくるビデオには一貫性が無かった。
いずれにせよ、僕たちは感想を言い合ったりしなかった。
でも、泉が気に入った映画はわかった。数日もしない内に、もう一度借りてくるからだ。
あんまり多くのビデオを見たから、僕は今その殆どを覚えていない。
ノートでも取っておけば良かったと、今は思う。
僕と泉に同棲しているという意識は無かった。
僕には僕の部屋があった。
でも、泉と付き合うようになって、僕は殆ど自分の部屋には帰らなくなった。時々、留守番電話を聞きに行くくらいのものだった。
泉はそのことに不満を述べた事は無い。
正確には、帰れとも、居ろとも言わなかった。
お互いワンルームの狭い部屋で、ベッドもシングルだったが、狭いとか邪魔とか言われた記憶が無い。
ビデオを見終えると僕達はどちらともなくベッドに入った。寄り添うようにして僕達は眠った。
そのときもおやすみ、とすら言わなかった。
僕達は本当に、何も喋らなかった。
そして、なぜかそれがとても心地良かった。
○
だからちょっとしたやりとりが事件だったし、もの覚えの悪い僕でもなんとなく思い出す事が多い。
例えば、あの「決まり」のことなどを。
○
いつしか泉の舌使いは巧みになっていた。
僕を十分かそこらで簡単にいかせてしまう。
僕の出したものを口に溜めたまま、泉はユニットバスの洗面所に向かう。
飲むのは嫌なのだそうだ。僕にしてみれば、どっちでもいい事だった。
ごめんね、いつも、と僕は言った。うがいをしてきた泉は、いいのよ、仕事みたいなものだから、と答えた。僕は勢い衰えた部分をティッシュで拭いた。
「うまくなってきたんじゃないの? 最近」と僕は素直に感想を述べた。
「あまり嬉しくないけどね」とキッチンに寄りかかり換気扇のスイッチを入れた泉はロングのフィリップモリスをシガレットケースから取り出す。
「火、つけてくれる?」
「ああ」
脱ぎ棄ててあったジーンズから、天使の羽根があしらわれたジッポを取り出して、火をつけた。
泉は大きく吸い、そして、ゆっくりと煙を吐きだす。
彼女の視線がその煙を追っていた。
「正直、二十分も三十分もしなきゃならないのつらいし、なら上手くなった方がいいな、と思ったの」とだるそうに泉は言った。
僕はなるほどと思った。
合理的だ。
「っていうかさ、体育の時間のマラソンと短距離走だね。どっちか選べって言われたら、アタシは短距離、それだけ」
そう言ってから、泉は最初のひと吸いしかしていない長いままの煙草をシンクに擦りつけた。
○
それが、付き合い始めて一年弱くらいたった頃の僕と泉のワンシーンだ。
こういう時に限っては、僕と泉は会話をした。
決して生産的ではないが、僕がきちんと射精するのに必要だったからだ。
だからといって僕が満ち足りていたわけでは無い事を理解してもらえるだろうか?
でも、三日に一度のそれは二人の間の最大の妥協点であり、「決まり」だった。
どんな恋人同士にも、事情というものがあるのだ。
僕と泉の事情を説明するには少し遠回りしなくてはならない。
○
僕たちはバイト先の書店で知り合い、そしていつのまにか互いのアパートを行き来するようになった。
その時も僕と泉は多くの会話を必要としなかった。
互いの正確な年齢すら明らかにならないうちに僕たちは精神的には恋人同士になっていた。
僕は泉の故郷も、趣味も、学歴も、夢や目標も知らなかった。
だから何がそんなにお互いを引き寄せあったのか、正確なところはよくわからなかった。
ただ一つあげるとするなら、僕たちは『本をあまり読まない書店員』という点で、よく似ていた。
嬉々として新刊本を並べる他の店員を訳もなく泉は軽蔑していた。
「いいんだよ、それは」と泉は言った「好きな本に囲まれて、誰より早く新刊が読めて、好きな人にはたまらない環境よね。社割もあるしさ。でも、あれは読んどけ、これは常識だってな事言われるのが嫌なのよ」
なら、どうして辞めないのかと聞けば、アンタがいるからね、と冗談とも本気ともつかない顔ではぐらかされたものだった。
僕はと言えば、受験参考書を嘗めつくすように読んで、それが殆ど大学で役に立たないという事を成績表が教えてくれた時、本を読むのをやめた。
きっと大学の教科書を読み尽くした所で、社会に出れば同じ事になると決めつけてしまったのだ。
宇宙の果て、と僕は想った。
そして、そのまま誰にも相談せずに、勝手に保証人の叔父の署名をした休学届けを出し、アルバイト雑誌を買って、自分の部屋から最も近い職場を選んだ。
それがたまたま皮肉にも書店だったのである。
時給は法律の最低基準に毛の生えた程度のものだった。
だが、どうせやりたいことも無く、時間を持て余すことになる事は分かっていたので、シフトを多く入れればいいやと安直に考えた。
高給でもきつい仕事はしたくなかった。
休学したからと言って、積極的に働きたいわけでもなかったのである。だらだらと暇が潰せればそれで良かった。
そして、店に入ってみると、おおよそ僕の目論見通りになった。
泉と出会えたというおまけもついた。
僕はそのおまけが一番嬉しかった。
○
若い頃のことだ。多くの青年がそうしたいように、僕もいつだってセックスがしたかった。
泉は僕にとって最初の女だった。泉にとってどうだったのかは僕は知らなかったし、知りたくもなかった。ただ、出血も痛がるそぶりもなかった。
とにかく、セックスをおぼえた僕は色んな事を試したかった。
アダルトビデオや雑誌で知ったテクニックを泉の身体に施してみたかった。
だが、泉は殆どの場合セックスを拒んだ。僕たちが付き合い始めて半年経っても、たったの二回しか許して貰えていなかった。
最初の晩の二回、それっきりだった。
泉がセックスを拒む理由は判然としなかった。その時その時で違う言い分を述べ立てた。
曰く、気分が乗らない、頭が痛い、生理だ、眠い。
当初、そんなものかと思って、泉がいない隙にオナニーで済ませていた僕も、それが半年になるといくら何でも無さ過ぎではないのかと疑問を持つようになった。
でも、僕には相談できる相手がいなかった。
折しもセックスレスなる言葉が認知されて来た頃の事で、そういった類の事なのかもしれないとも思った。
親しさの裏返しなのだと納得した。あくまで理性において。
○
しかし、ある夜、普段は話さない僕たちが衝突することになる。
泉のシングルベッドに二人横たわった時の事だ。
背を向けて目を瞑った泉にぴったりと寄り添い、パジャマ代わりのトレーナーの裾をたくし上げ、乳房を揉んだ。
泉の乳房は大きくもなく小さくもなかった。僕はそれを気に入っていた。
泉もセックスは拒むが、触られるのは嫌がらなかった。
その代わり何の反応もしなかった。
僕の方は切ないくらい勃起していた。
何とか泉をその気にさせようと、乳首を軽く摘み、僕の切ない部分を泉の尻に押しつけた。
「やあだ。しないよ」と泉が言った。
「どうして」と僕は訊いた。
「眠いし、疲れてる」
「いつもじゃん」
「いつも眠いし、いつも疲れてるの」
乳首を摘んだ手を振り払うかのように、泉は布団の中でぐるりと僕に向いた。顔が怒っていた。僕は何故だかとても卑屈な気分になって、こう聞いた。
「僕、そんなに下手かな?」
泉は目を丸くした。
「下手も何も……そんなこと気にしたこと無かった」
それを聞いて今度は急に腹立たしくなった。
「じゃあ何でだよ」と僕は怒気が混ざるのを押さえきれずに畳み掛けた
「普通さ、もっとするでしょう? 若いんだよ? 溜まるものがあるでしょう? 男には。付き合い出してもう随分経つのに、たったの二回ってどういうこと? 君が眠ったりいなくなったりした時、トイレに行って一人でシてんだよ? 溜まるんだよ、本当に。遠距離でもないのに、君をオカズにしてシてるなんてどうかしてる。そうだよ、僕は君がしたくないと言うのを尊重してきたはずだ。じゃあ、僕の性欲は誰が尊重してくれるの?」
最後の方は殆ど涙目だったと思う。
僕は荒っぽく立ち上がり、ワンルームの小さなキッチンへと向かった。泉の部屋では、煙草は換気扇の傍で吸うのが決まりだった。僕はマルボロに火をつけた。
「煙草だってそうだ」と僕は言った「僕は好きな時に好きな場所で吸いたいんだ」
泉も身体を起こした。ボブカットの頭をくしゃくしゃに掻いて泉は言った。
「好きな時に好きな場所でヤりたいって、そういうこと? そう言いたいの?」
そう言われると、少しニュアンスが違う感じがして、僕は答えなかった。代わりに煙草の煙を吐いた。たかが性欲のことで涙目になっている自分の情けなさが苦く煙たく部屋中に広がって行くような気がした。
泉はため息をつき、布団で覆われた自分の下半身を眺めているようだった。
「そんなにしたい?」と泉は聞いた。
「したくて悪い?」と僕は聞き返した。
少しの沈黙があった。
「あのね」泉が言った「アタシ、祐介の事大好き、知ってる?」
「自信なくなってきてるよ」と僕は答えた。
「好きなのよ、本当に。どこがって訳じゃないけど。妙な詮索しなかったり、一緒にいて楽な所とか」
「それで?」
「それで、って。好きなだけじゃ駄目なの?」
僕が昔の少女漫画に出てくるような男だったら、好きなだけで良い、と言ってしまうかも知れない。
でも、僕は泉の裸を妄想し、少ないセックスを思い返して、痛むくらい勃起する生身の男なのだ。
答えは決まっていた。
決まってはいたが、僕は何か微妙なものがこの場にはあると思った。間違ったら何かが確実に終わるような気がした。
考えすぎだったかもしれない。それでも僕は自分で癇癪を起こしておきながら、冷静にならねばならぬと煙草のフィルタを強く噛みしめた。
泉はベッドから下りて、僕の横に立ち、僕の身体を抱き寄せた。
「駄目なの?」泉は再度聞いた「こうやってハグするだけで、アタシは幸せ」
泉は僕の腕に顔を埋めた。匂いも好き、と言った。
僕はそれを少しふて腐れたように払って、水道の蛇口をひねり、水流で火を消して、噛み跡のくっきり残った吸い殻を三角コーナーに捨てた。
適当な言葉が思い浮かばなかった。
でも、黙っていれば、それだけ泉が優勢になっていくのが分かった。僕はとにかくしゃべり始めた。
「僕も好きだ。それは間違いない。どこがって訳じゃない。それは君と一緒だ。君の作る料理だって美味しい。僕が作った料理を褒めて貰えたときは心から嬉しい。テレビや映画の趣味は違うけど、君と見る映画にはいつも新しい発見がある。同じ様な年齢のはずなのに、君は僕より色んな事を知ってる」
僕はどこかで聞いたような言葉を並べるのが精一杯だった。そこで一拍置かざるを得なかった。
「で?」と泉は僕の目をのぞき込んだ。
「顔だってスタイルだって、まるで僕の好みそのものだ。だからこそ反応しちゃう部分だってあるんだ。好きであることとセックスする事は少なくとも僕にとってはもう切り離せるものじゃない。童貞じゃなくなったんだ。君が教えてくれた。だからこそ僕は君をもっと好きになった。そんなに好きな君が傍にいれば、したいと思うのも自然なことなんじゃないだろうか? 僕、間違ってるか?」
「全然」と泉は答えた。が、表情は暗かった。
僕にはそれが怖かった。しゃべり続けて、それを払拭したいと思った。何故か勝手に手がいいわけがましく大げさに振れた。
「さっきも言ったけど、僕は君がしたくないと言うから、無理強いはしてこなかった筈だ。そうだろ?」
「うん」
「僕はずっと一人でシてた」
「うん」
「確かに性欲が大きすぎるのかも知れない、毎日一回射精しないと、本当は落ち着かない」
「毎日?」泉はいかにも呆れた風に返した。
「そう、毎日したいんだよ。覚えたての頃なんて、一日五回や六回オナニーしたこともある」
「五回、六回。冗談でしょ?」
「ホントだよ」
「嘘でしょう?」と泉はまた頭をくしゃくしゃに掻いて、僕から距離を置いた。
そして、大きくため息をついて、天井を見上げた。
「そんなのちょっと無理」と泉は言った。
「僕だって、そんなには求めてない」
僕はゆっくり泉の方に向いて、その両肩を出来るだけ優しく掴んだ。そして泉をこちらに向き合わせて言った。
「ただ、普通に、普通の頻度で、君としたい」
泉は目を合わせようとはしなかった。眉間に深くて暗い皺が寄っていた。嫌だ、と言ったら? と泉は言った。
「嫌だ、と言ったらどうするの?」
僕は答えに詰まった。
怒る?
我慢する?
それとも別れる?
それらどれも正解じゃないような気がした。どれも望んではいなかった。
何で恋人とセックスしたいだけなのに、こんなに難しいんだろうと頭の中がジリジリとした。
僕は泉の両肩から手を離して、視線を床に遊ばせた。グレーのカーペットには、以前僕が付けた煙草の焦げ跡があった。
泉が怒ったのはあの時だけだな、と不意に思い出した。
僕は平謝りをし、今後絶対に煙草はキッチンで吸う、と約束した。
僕たちは概ね本当に上手くやっていたのだ。
焦げ跡の件も、このやりとりも、一般的に言われる喧嘩とは少し違うように思えた。焦げ跡の時のように謝ろうか……いや、一体何を謝れと言うのだ?
性欲があってすいません、か?
そんな馬鹿な。
「どうもしないよ」と僕は結局そう言った。
「どうもしないけどさ、何か色々納得がいかないんだ。そもそも泉がどうしてこんなに拒否してるのかわからない」
泉はシンクの淵にいつも置いてあるフィリップモリスを箱から一本取り出し、口に銜えた。
「火、つけてくれる?」と泉は言った。僕はキャチン、と音を立ててジッポの蓋を開け、素早く火をつけた。
「セックス嫌いなの?」と僕は訊いた。
「広い意味では」と泉は言った「そのものは嫌いじゃないの。好きでもないけど。でも、それに纏わる色んな事がとてもめんどくさい。言ってなかったけど、アタシ、ものすごく生理不順なの。これってどういうことかわかる?」
「わからないけど」と僕は答えた。
「ヤるでしょ? 来ないでしょ? そうすると怯え続けなきゃならないわけ。ずっとよ。アタシまだ――」
泉は言を止め、短く何度も煙草を吸い、煙を吐き出しながらまた話し出した。
「まだ、というか、この先ずっと子供なんて欲しくない。妊娠して、不自由な十月十日を過ごして、あげく子供に振り回されて、そんな事を考えただけで憂鬱になる。お酒は飲めない、禁煙しなきゃいけない、結婚だって必要。アタシ達お互いの親にどう説明する? アンタ、学生でしょ? 忘れてるみたいだから、言ってあげるけど。学校辞める? 働く? 辞める事が出来ないから休学してるんでしょ? どうする? 堕ろす? 産科の診察台に上がるのはアタシ。そういうこと、わかってる?」
僕は何も答えられなかった。泉は煙草をシンクの底に押しつけ消した。
「つまりね」と泉は言った「一回ヤると、そういう事を生理が来るまで考え続けなきゃならなくなるの。ほんとは最初だって出来れば避けたかった。でも、付き合ってる、ってシルシみたいなものでしょ。仕方ないなと思ったの。案の定六十日来なかったけど。その間どんなにアタシが怖かったかわかる?」
泉は僕の目を真っ直ぐ見つめていた。そして答えられない僕にもう一度聞いた。
「わかる?」
泉は決して声を荒げたりはしなかった。寧ろ子供に優しく言い聞かせる様に話していた。
しかし泉の言葉にはどこか迫力があった。
どうしたらいいかわからなくなった僕の口をついて出たのは、次の一言だった。
「わからない」
僕の敗色は濃厚だった。泉は微笑んで、僕の頭を撫でた。
僕はたまらなく悲しくなった。
僕は恋人とセックスもできないのだ。
無理矢理押し倒すなんて事も僕には出来そうになかった。かと言って泉をその気にさせる方法は、僕の思いつく限り、無いように思われた。
でも、胸の辺りでじんじんと未練が鳴いていた。僕は我ながら情けない声で聞いた。
「避妊をちゃんとすれば……例えばゴムをつけるとか……」
「コンドームだって破れる時は破れるよ。友達が言ってたけど」と泉は間髪入れず答えた。
「どうしても駄目? 全くナシっていうんじゃあまりにも……」
僕にはもう次ぐべき言葉がなかった。視線は泉を追っていたが、何も見えていないような気がした。
僕は、若さ故、その性欲が故に、この世に一人きりになってしまったかのような寂しさを感じた。果たされえない性欲など、ただの病だ。
そんな僕に気づいたのか、泉はまた距離を縮め、僕の頭を抱きかかえるようにした。
「でもね」泉は僕の耳元で言った「アンタの性欲については、わからないでもないの。生殺しみたいな事してるのは自覚してる。どうかしら、その、一人でするのを手伝うっていうか。その、手とか、口とかで。定期的に。例えば……五日に」
泉は言葉を一旦止め、人差し指と中指、そして親指を立てて僕に見せた。
「三日に一回とか」
縋るべき選択肢が他にあろう筈も無かった。
○
それ以来、三日に一度、泉が僕を射精に導くのが二人の「決まり」になった。
僕には理解出来なかった。手や口でするより、性器でする方が、遙かに楽な様に思えた。
僕たちの息がまだそれ程合わなかった頃、なかなかイけずにいた僕は泉に聞いたこともある。
「ヤった方が早くない?」
泉は口を離して即答した。
「そういう問題じゃないって言ったじゃない。余計な事考えないで、早くイって」
そして僕は考えるのも止めた。
○
僕たちの平穏はそのように保たれていた。三日に一度の約束は固く守られ続けた。
それ以外事件らしいことも無かった。
そうして数ヶ月も経つと、自分でするより泉にされる方が早くイけるようになってしまっていた。
泉はセックスをしたくないが故に短距離走者の気分で数十回以上も努力したのだ。
不思議な努力だと僕は思う。
僕には拒否されているのか、受け入れられているのかさっぱり分からなかった。
ただ、泉の巧みさが増して、それに逆らえず射精を繰り返す度、どこかにある暗い池に精液が落ちるぽちゃんという音がするような気がした。
僕の知らない場所で、僕に見えない何かが溜まって行っているのかも知れなかった。
そしてそれは泉にだけ見えているのだ。
僕にはそれが恐ろしかった。
<#01終 #02に続く>
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