【連載小説】Words #01
この物語はフィクションです。
作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。
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とても、残酷なことを、ひとつ言おう。
「実はスゴイ自分」なんていない。
何十年生きても、そんなものには決して出会えない。
君が他人に見せているその顔は、決して仮面なんかじゃない。
君が、他人に見せてしまうその顔こそが、
どんなに間抜けで、みっともなくて、飾り立てたものだとしても、
君の、素顔だ。
いや、決して、君のことを、馬鹿にしたいわけじゃない。
君のことを間抜けで、みっともなくて、厚化粧の道化だと言う代わりに、
僕も、そうだったのだと、告白したいだけなんだ。
僕は、間抜けで、みっともなくて、虚飾に満ちた人生を歩んできた。
そして、僕は、今、そのまるごと全て、自分のみっともない素顔を、語ろうと思う。
相変わらず、悪い癖を捨てられずに、時代性や整合性を無視して、話を盛りながら。
矛盾してるけれど、その矛盾が、僕だから。
○
その少女の名前を、仮に、かほ里と呼ぼう。
いや、なんだっていいんだ。本当は。僕は彼女の名前を呼んだことなんかなかったんだから。
本当は、呼んでみたいからなおさら僕はその名前を使わなかった。
意識しているから、器用にその名を避けて会話した。
「ねえ」
「なん?」
「今日は、何、聴いてるの?」
「ん」
彼女はその先が少し尖っていて、でもぽったりと柔らかそうな耳に掛かったインイヤーイヤフォンを長く垂れた髪の中から引っ張り出すようにしてから摘まむと、ん、とそれを僕の右耳にのせる。
そこに残った熱がまず僕に伝わり、次にピアノと、哀切の声。
「ああ」
「KAN」
「うん」
「ん」
「……それにしても、なんか、趣味、古いよね」
「ん」
「こないだはオオエセンリ? とか。変な声の。それから、オカムラなんとか。キモい声でキモいこと歌う」
「ん」
「それも古いアルバムばかり。なんか、実はおばちゃんが雑じってるの?」
僕を殴って、鼻で笑って、彼女は言う。遠慮の無い軽い暴力が、何故か嬉しかった。
「あのひとが、聴かせてくるんやけ」
「……ああ」
「モテない男が、『振られて悲しい』だの、『それでもきみが好きだ』だのいう曲がすきやし、あのひと」
「ふうん」
放課後の中学校の教室、ポータブルCDプレイヤーの置かれた机を挟んで、僕たちは窓の外を見る。野球部やサッカー部の練習する校庭。僕たちのいない校庭。
「結婚なんかして、子供だっているのに、いつまでも童貞クサイ」
「は」
「あんたもな」
「……そりゃ」
僕は苦々しく笑うしかない。童貞は、童貞だと言われると、何故か全人格を否定されたような気がするモノだ。
だけど、別に彼女が僕を馬鹿にしているわけではないのが、そのいつもはきつめの眼差しが柔らかくゆるんでいるせいでわかる。
僕は、自分が特別なような気がする。
基本、ヤサシイオンナなのだと僕は思っていた。
他に誰もいなければ。
少なくとも僕の前だけは。
そう思い込んでいた。
思っていたかった。
だから、僕は微かに緊張しながら、その緊張に安心することができた。
彼女の、普段はほとんど黒で、でも少し透き通ったような違和感のある髪が、やはり、何かわざと色を変えられたものだと、夕陽のまぶしさが明らかにしている。
僕とは違う世界のひと。
まるきり、変わり映えのしない自分とは。
でも、そのまぶしさに竦むよりも、夕陽がもたらす温もりに僕は緩んだ。
彼女が何故、僕に、その隣にいることを赦すのかわからないけれど、僕は、そこが、その時間が好きだった。
僕たちは、いつも、古い邦楽のアルバムを聴いた。
かほ里は、古い言い方をすれば、不良で、彼女の制服に、校則に従ったものなどひとつもなかった。
顔かたちにおいて、たぶん、カワイイと呼べるものを、備えていたように思う。でも、それが一般的基準に照らしてどうか、と改めて考えると、少し自信がない。
その頃の僕は(今でも多少は)わずかでも関わりを持った女の子に、患う癖があり、そんな風に高揚した視界に、公平な判断とか、客観的な価値基準など求められても、ムダな話である。
患うとは、補正とエフェクトが掛かったやたらきらめく状態に陥ることであり、恋と呼ぶなら確かにそうかもしれないが、目に入る女の子全方位に向けて画像補正がかかってしまうことを、今の僕がもっと適切な言葉で言うなら、発情、の方が相応しいと思う。
発情した視界の中で、やはり、かほ里も、カワイかった。僕にとって。
しかし、彼女自身は、カワイイと呼ばれるよりも、むしろカッコイイと言われることの方を好んでいるように思えた。
そんなことを彼女が言ったわけではない。ただ、短く、あけすけに、その時の流行などとは無関係に、彼女の制服は着崩されて、自分は誰とも違うのだ、と、緩く解けそうなリボンと絶妙に黒ではない色の髪が主張し続けていた。
だから、彼女は所謂スクールカースト(当時そんな言い方は存在しなかったが)のどこにも存在していなかった。もし、無理矢理にでもその位置を決めるなら、少なくとも、底辺でないことは間違いなかったけれど。
その年度の初め、上位グループの女子たちが、無差別にクラスの女子のスカートを茶巾にし、下着を晒させる「遊び」を流行らせた。
僕たちは、それを楽しみに(一見、興味ねーよ、的に振る舞いながら)していたけれど、どうやら、それをする女子たちだって、下着を見せつけて、男子を欲情させることに悦んでいたフシもある。
二週間も続いたのだ。中に短パンでもジャージでも着れば良い。
しかし、僕が見るに(うん、見ていた。喜んで。正直に言うなら)、むしろ、彼女たちの下着は、どんどんカワイく扇情的な、視線を意識したものになり、結果それを見物していた男子の一人であるところのヤマムラなどは、鼻血を吹き出す、などというハプニングさえ起こした。
興奮すると本当に鼻血が出るんだ、などと感心したのは、今、別にあまり重要なことじゃないけれど。
うん、狭い世界の流行に従わなければ、人生はとたんに窮屈になる。女子たちには、女子たちの付き合いというのがあるのだ。イヤ、とは言えない、そんな。
そういう事情もあったろう。でも、それでも、やめてよー、などと言いながら、彼女たちの顔にはどこか満足げで挑発的な笑みがあったように思う。
どこかから怒られそうな意見だけれど。
そんな流行の最中にも、誰も、かほ里のスカートを茶巾にしなかった。彼女のスカートの丈が、校則通りの膝下のものではなく、茶巾にデキるほどなかったせいもあるかも知れない。
でも、そんなこととは別に、彼女には、彼女をアンタッチャブルな存在にしてしまう一種のオーラがあり、主に窓の外をぼんやり眺めながら禁止されているはずのポータブルCDプレイヤーを持ち込んでイヤフォンで何か音楽を聴いているからであり、そのイヤフォンはある種の壁であって、女子たちの流行とあうんの呼吸を了解していないという証であり、また、他の女子なら、やめてよー、で済むのはわかっているけれど、かほ里には、それで済まないことを想像させるシリアスさがあって、そのシリアスさが、どれほどシリアスかを試す実行犯になろうとするものはなかなか現れなかった。
しかし、そうしたわるふざけは、いつしかどこか淫靡な熱を持ち、クラスをある種の狂乱状態にした。
勇気の無いものたちまでを酔わせて、判断力を奪う、空気。
女子も、男子も、みんながそれを望んでいるのだ、という確信と安心感。
それに応えなければという義務感にも似たサービス精神。
そして、あの孤高を地面に引きずり下ろして、穢したいという悪意。
僕たち男子は、いや、僕は、だから女子たちの小声のやりとりを聴いても、止めようとも思わなかった。本当は、望んでいたのだ。夜更けの妄想のバリエーションを増やすために。
ああ、どうして僕という人間はいつも後ろ暗いのか。どうして、いつも、そこから始まってしまうのか。
……それは今は横に置いておこう。
そして、数人の女子が、たぶんトイレにでも行こうとして廊下に出たかほ里を囲んだ。男子達が廊下の壁に並んで、鼻の穴を広げつつ、平静な顔を演技していた。僕も、そこにいて、同じような顔で立っていた。
彼女たちは二週間に及ぶ祭の中で、その『技術』を究めていた。グリーンベレーもかくや、という素晴らしい手際で、かほ里を抑えつけ、足を掴んで床に倒し、そのスカートをまくり上げた。
黒!
とか思ったが、それはどうでもいい。かほ里のスカートが短かった故の悲劇は、そこから起きた。
例外が発生して、過去の経験から適切な行動を導き出すことができなかった実行犯たちは、アドリブで事に及んだ。つまり、茶巾にするなら、上に引き上げるべきところのものを、ホックとジッパーを外して下におろし、セパレートの制服の上の方を、引き抜いた。
平静な演技すら忘れてどよめく男子と、はやし立てる悲鳴にも似た歓声。
狂乱。
下着姿にされた、孤高のひと。
上も黒!
とか思ったが、やはり、それはどうでもいい。
肌! 白い! エロい! 胸、胸、胸! 裸!
とかも思ったし、本当に、僕も、無罪ではないと思う。だって、僕は、それ以上を期待していた。期待しながら、鼻息が荒くなる以上の、強ばりを感じていたのだ。たぶん、皆も。
そこにいた実行犯、見物客、野次馬、皆が次にやることについて、アイコンタクトすらせずに、理解を共有した。皆の期待と狂乱を宿した実行犯の手が、かほ里の黒い下着に掛かった。
毛! 初めて見た! 生で! うわ! もっとやれ!
とか思った。だから、僕だって、きっと一緒にかほ里の下着に手を掛けていたのだ。そうしたのと同じ事だ。
神も、仏も、思想も、運命も、殆ど信じない僕を、唯一、決定し、操り、強制し続けてきたものがある。
性欲。
僕は、いつだって、その前において、無力だった。どんなにかっこつけようとしても、どんなに自分を尊ぼうとしても、あの時代を美しいものと大切に懐かしもうとしても、それを許さないもの。
どんなに言葉を重ねても、それが仮にどんなに巧みだったとして、美しい物語になったとしても、僕という人間は、いつも、そこから出発している。
僕の創作が賞賛を受けるたび(数は極々少ないけれど)でも、本当は、違う、とその邪悪な滑稽さを知っている自分が言う。
だから、その時も、本当は、もっと近くで、その女の裸を、見たかっただけなのかもしれない。
僕の足は勝手に動き、狂乱の中心の前に、立ちすくんだ。手が、実行犯のひとりの肩にかかった。
「何?」
もう、どうかしてる目で、実行犯は僕を睨み付け、手を止めた。僕は、それに威圧され、萎縮して、固まった。
「何? 邪魔!」
僕は、それ以上何もできなかった。何もできずに、ただ、そのあるべき場所じゃない場所に寝転がされた少女の半裸に目を奪われていた。
実行犯から払われた指に感覚が無い。
僕につられるようにそこに雪崩を打って近寄る見物客たち。僕は圧され、その輪からはじき出された。
自分が、何をしたかったのか、わからなかった。少し、がっかりしていたから。ただ、手が、身体が、震えていた。
そこに、声がした。
「あんたら! いい加減にしてよっ!」
誰か女子の一人がその輪の中へ強引に分け入り、かほ里を抑えつけていた実行犯たちを無理矢理、乱暴に引き剥がした。一瞬、どよめき、しかし、すぐに、狂乱が静まった。
「何? 皆、喜んでるし? 遊びじゃん? こんなの」
「遊び? 遊びなもんか! 犯罪だよ!」
「な……」
「あんたら! 犯罪だよ! レイプだよ!」
「レイプって、大げさな……うちら、男じゃないし!」
「男も女も関係あるかっ! わたしら、みんな、茶巾にされて、喜んでるとでも思ってたの?」
「だから、おふざけじゃん……遊び――」
「遊び?」
その分け入った女子が、ばっと、実行犯のスカートをホックもジッパーも弾き飛ばして無理矢理引っ張り下ろした。露わになった下着姿の下半身を隠すように、実行犯のひとりはその場に座りこんだ。
「な! 何すんの?」
「これが、遊び? 遊びだったら、いいんだよね?」
「……」
皆が冷静になった。風向きが途端に変わり、気まずそうにその場を離れ始めた。
支援者と思われた観客たちがいなくなることで、実行犯たちも急に心細くなったのかも知れない。信じらんない、遊びなのに、などと吐き捨てながら、肩身狭そうに、スカートを引きずり上げ、僕とすれ違って、どこかへと去って行った。
僕は、彼女たちが腹立たしげに僕の足下に投げ捨てていったかほ里のスカートを拾い上げた。
うわ、スカート!
とか思ったけど、別にニオイを嗅ごうとまでは思わなかった。
というか、狂乱の雰囲気が一気に深刻な重い静寂に取って代わられていて、僕にすらそんなことを考える余裕を与えてくれなかった。
下着姿で横になったままのかほ里を、そうした「遊び」に実は密かに反感を抱いていた数人の女子達が隠すように囲んでいるのに近寄って、何も言わずにスカートを差し出した。
彼女を救った「女勇者」はそれを、睨むような目つきでひったくり、かほ里に着せようとした。僕は、そこに至って初めて、かほ里の表情が、取り立てて泣きそうなわけでも、怒っている風でもないのに、気が付いた。
ただ、くだらない冗談に呆れて鼻で笑うみたいな、顔。
「女勇者」がいまだ怒りに震えているからこそ、なおさら、その泰然としたものが際立つ。
「自分で着れるし」
かほ里は、下着姿のまますっくと立ち上がると、別に何を隠そうと慌てる様子も無く、そこにうち捨てられた制服を纏った。そんなときでも、着崩して。
「女勇者」が、こみ上げる感情を、必死で抑えたように訊いた。
「おこらないの?」
「ん?」
「あんなことされて、おこらないの?」
「ん」
「裸にされるところだったんだよ?」
「んー」
少し、息を吐いて、くたびれた探偵の苦笑みたいに、口角を上げるとかほ里は言った。
「遊び、やけ」
「え?」
「コドモの遊び、やけ」
「は? あなた、裸に――みんなに見られて、それで――」
「かまあせんよ」
「え……?」
「わたしのカラダなんて、もともとオモチャみたいなもんやけ」
「……」
「女勇者」は、ただ、言葉を失い、その真意を必死で探るみたいに、かほ里を見詰めていた。でも、かほ里は、彼女の肩に軽く手を置いて、言った。
「でも、余計なことした、とまでは思ってないし」
「……」
「ん」
「……あなた――」
「ありがと。一応な」
そう言って、かほ里は「女勇者」を置き去りにした。
善意が、そして渾身の勇気がスカされた「女勇者」はただ呆然とその背中を見詰めていた。
かほ里はそんなものを背負ったまま、僕に近づいて来た。いや、僕に近づいたわけじゃなく、僕がトイレの方向に立っていたからであって、彼女はトイレに向かおうとしただけだったが。
すんなり、あっさり、通り越されて、僕は、逆にドキドキした。
僕の、全てが、見越されていたみたいに、感じたから。
本当は連中がブラもショーツも剥ぎ取ってくれるのを期待していたのが、知られているみたいに思ったから。
でも、その時の僕は、そんな自分に自己嫌悪するだけの、余裕も無かった。
ただ、その場の重苦しい静寂から逃れる様に、もっと重い空気を空々しいジョークで濁したみたいな教室に戻った。
ひたすらドキドキする胸と、ムズムズする下半身と、痺れたままの指に占拠された意識が、そのことを何かのきっかけにしようだなんて、考えつくこともなかった。
でも、きっかけ、だった。直接的ではないけれど。
<#01終わり、#02に続く>
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