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【連載小説】Words #06

 この物語はフィクションです。
 作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。  

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 そして、その手紙をなかなか渡せなかった。
 意識してしまうと、ちょっとすれ違うだけでもイケナイことのように感じて、僕は真沢から可能な限りの遠い距離を取って学校生活を送ることになった。
 もともとそんな多く会話してきたわけではないが、挨拶ですら、僕はうまく言うことができなくなった。真沢が視界に入るたび、僕はロボットダンス風に動くことになり、また、向こうもそれをしってか知らずか、初舞台の通行人役みたいにぎくしゃく僕から遠ざかっていく。
 何? 僕たち、絶交してんの? ネームプレートの交換って、そういう意味?
 ついそんな風に自信がなくなりながら、やはり、人生最初のラブレターを思い返す。あれは、嘘や冗談なんかじゃない。それに、応えなければ、千載一遇のチャンスを逃すことになる。
 女の子からラブレターをもらったことを自慢げに披露しているからと言って、それは僕がモテていたということを言いたいわけじゃない。
 むしろ逆だ。僕は女子から好意を向けられるタイプの容貌や才能を持ってはいない。ごくごく珍しくそういうことが起きたからこその、自慢である。そういうことが当たり前の連中なら、わざわざこんなことを小説のネタにしたりはしないだろう。
 そうだ、この小さな種火を消すわけにはいかない。何か他の要因で起きる例えば大風がそれを吹き消す前にどうにかしなければ! 
 それで僕はまた放課後教室になにげなく舞い戻って、真沢の机に手紙を忍ばせることにした。相手もそうしたように。
 ただ、僕たちの教室には、放課後の主、がいる。
 光屋かほ里。
 折りたたんだ手紙を握りしめて、教室の入り口に立った僕は、窓際に肘をつき、外を眺めながら、イヤフォンをしているかほ里を見つける。そして、肺の下の左奥に、痛みに似た何かが蠢く。僕はその教室に舞い戻った理由など、一瞬忘れて、そこに近づく。
 一度、会話したということが、根拠の無い自信になって、僕は、彼女に声を掛けることに躊躇わない。
「あ、あの……」
「……」
「あ、あ、あの!」
 驚く風でもなく、ゆっくり視線をよこしたかほ里は、今度は別に笑うでもなく、あんたか、と呟き、この前僕が座ったかほ里の席の後ろを小さく指さす。僕は操られたみたいにそこに座る。かほ里は半身こちらに向けて、また、イヤフォンを僕の左耳にかけた。
「聴き」
「……うん」
 打ち込みの音にのせて、その声は、自由な恋はないし、同じ言葉を使っても通じない世界があるのだと、乾いた痛みを歌っている。
「これ……」
「ん。そう」
 こないだのCDのひと? とまで訊かなくても、返答が返って来る。僕たちは、親しい。実際がどうこうではなく、そう感じてしまう。
「好きなの?」
「たまたま」
「オンガク、いつも、聴いてる」
「ベンキョウ」
「え?」
「みたいなもの」
「オンガク、やるの? バンドとか」
「ハ。しない」
「……ふうん、好きなんだ? オンガク」
「……」
 かほ里がいつのまにか僕を見詰めている。そして、やれやれ、とでも言いそうに、笑う。
「何?」
「それほど。オンガクは」
「……へえ」
「ん」
 僕は、そこで、また何かを聞き逃した様な気がする。でもその聞き逃したものを引き出す質問が思い浮かばない。
 僕が、次に何を言い出していいか固まっていると、かほ里は、なにげなく、僕の手に握られていた「手紙」をすっと取り上げた。
「あ!」
「ふ」
 僕は一応慌ててみせたけれど、本当につかみかかってまで取り返そうとはしなかった。
 それは手紙ではあるけれど、「創作」だった。誰かに見て欲しかったのだ。褒めてもらいたかった。一応一度は、そんなものを見られてしまった相手でもある。
 僕は、それでも恥ずかしくて、俯き、ぎゅっと拳を握った。かほ里は、ははは、と小さく笑う。
「なんだよ」
「真似やけ」
「……わ、悪い?」
「詩の才能、ないな」
「……べ、べつに、詩ってわけじゃ」
「でも、悪くない」
「……え?」
「悪い気分はせんよ」
「……」
「こんなこと言われたら」
「……」
 何かが、通じ合ってない。何か誤解がこの会話の根底にある。
 でも、その間違ったものが、心地良い。
 言葉を突き詰めて、互いの考えについて理解を深めたら、消えてしまうものが。
 かほ里が、僕を見ている。僕もかほ里を見詰める。
 その時の僕には、まだ、真実、というものがあったのだと思う。自分を見詰める瞳から、目を逸らさなくてもいいくらいの真実が。
 そして、かほ里は、笑ったまま、悲しく、少しだけ、視線をそらして、床にこぼすように、呟いた。
「ほんとに、荷物、持ってくれるんかなあ……」
 その、表情。
 投げやりで、泣きそうで、全てを諦めて、まるで最期を迎え入れるかのような、枯れた、笑顔。
 僕はいつだって、自分が美しいと思うものを、上手く描写できない。
 その頃も、今も。
 ただ、胸を打つ、何か。
 だから、僕は、その「手紙」が一体誰に対するものかすら忘れて、思わず、イエス、を示しそうになった。その時だった。入り口に誰か立った。
「あ……」
「あ……」
 教室の暗がりの端に、僕の「カノジョ」がいた。真沢は、少し、真顔になり、でも、すぐに笑った。
「あ、ごめん」
「あ、いや、その……あ、真沢、だから」
「知らなかったなあ」
「え?」
「つ、つ、付き合ってるの?」
「あ、いや、それは……」
 僕は思わず、かほ里を見た。かほ里は皮肉っぽく笑いながら首を横に振っていた。
 ああ、そう、付き合ってない。間違い無い。
 ほっとしながら、でも、何故か痛い。
 しかし、僕たちがイヤフォンを分け合っているのに改めて気付き、勝手に何かを納得した真沢が、引きつった朗らかな声を発する。
「付き合ってるから、たすけたのか! そうか! うん、納得した!」
「いや、だから、それはないから」
「わたし」
「だから、真沢――」
「わたし、馬鹿みたい。ネームプレートなんか、渡して。手紙なんて書いて」
「あ、だからさ」
「……好きになんか、なって」
「いや、だから!」
「ごめんね!」
 そう叫ぶと、またシリアスな泣きそうな顔になって、真沢は駆けだして行った。追いかけることに考えの及ばない僕は、またかほ里の顔を見た。その顔が、何か驚いたように呆けていた。
 そして、見詰め続けると、それは、真っ赤に色づいた。
「え?」
 真っ赤な顔で、慌てて背中を向けたかほ里が、追いかけた方がええよ、と情けない声を出した。
 僕は、また、何が起こったのかわからなかった。でも、もう一度かほ里は言った。
「追っかけたほうが、いい」
「うん」
 僕は、少し割り切れないものを感じながら、イヤフォンを外して、教室を飛び出した。
 今の僕に、ふきださずにそんな風になった女の子と向かい合うシリアスさはなくなった。きっと冗談でちゃかしてしまう。そんなテンプレみたいな、恋愛の風景のことなんか。
 でも、教室を飛び出した僕は、すぐそこの階段の踊り場で、泣いている真沢を見つけて、彼女の名を呼んだ。
「真沢」
「ごめん、来ないで」
「いや、だから、聞いて」
「来ないで、って言ってるでしょう?」
「聞いて」
「聞かない」
「聞いて」
「いや」
「……アレは、たまたま、オンガクを聞かせてもらってたんだ」
「……」
「本当は、真沢の机に、こないだの返事を入れとこうと思って」
「……」
「そしたら、たまたま、光屋さんがいて」
「……」
「机に入れるの、見られたら恥ずかしいから、なんとなく話して帰ってくれるの待ってただけなんだ」
「……」
「……」
 途中で嘘が雑じったが、まあ、大体、大筋で、嘘じゃない。僕の釈明に、真沢の雰囲気が緩んだような気がした。
「本当?」
「『本当』」
「本当に?」
「うん。だから――」
 近寄ろうとした僕に、真沢が、少し竦んだ。
「だめ、来ないで」
「どうして?」
「泣いたから」
「うん」
 まあ、そこで、抱き締めに行けるようになるには、あと数年かかる。そういうシーンをやるには、僕のませ方はまだ足りなかった。フィクションじゃない現実の方の中学生だったんだから。
 立ち止まった僕に、真沢は涙を拭って、振り向いた。
 くしゃくしゃの笑顔。
 ブスだなあ、と思った。でも、それが、可愛かった。
「かっこ悪いな、わたし」
「そんなこと……」
「かっこ悪い。勘違いなんかして」
「……」
「でも、なりふりかまわずかっこ悪くなっちゃうくらい、好きだよ」
「……うん」
「君は?」
「うん」
「返事、聞かせて」
「うん」
「聞かせて。ちゃんと」
「僕も」
「……」
「そう」
「……」
 ひとつ安堵したようなため息をついて、真沢は僕の肩の辺りに軽く拳を突きつけた。
「恋人、だからね」
「うん」
「でも、教室では、ナイショにしとこうね」
「うん」
「今度、映画、行こう?」
「うん」
「何がいいか、決めておいてね」
「うん」
「今日は、帰る」
「うん」
「ごめんね」
 そう言って、真沢は階段を元気よく駆け下りていった。そして、ふと立ち止まり、僕を見上げて言った。
「で、ありがとう! カレシになってくれて」
「……うん」
 変な感じがした。嬉しい。やっぱり、カノジョができたのだから。
 照れくさい。まるでドラマみたいなことをした。
 自分たちだけのエピソードのはずなのに、それをどこかで見た事があった。
 陳腐な、出来事だった。何かが足りなかった。
 その時の僕には、それが何かがわからかなった。嬉しい、と思うことにした。
 でも、今の僕ならわかる。僕がその言葉を言わなかった、ということなのだ。
 その言葉を我慢できずに洩らしてしまうだけの気持ちが無かったということだ。残念で、不幸なことに。
 鞄を取りに教室に戻ったとき、かほ里はいなかった。そして、かほ里が取り上げたはずの手紙も、一緒に、消えてしまった。焦って探したけれど、結局見つけられずに、僕は仕方無く帰路についた。

<#06終わり、#07に続く


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