【連載小説】Words #03
この物語はフィクションです。
作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。
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その街の少年団というのは、掛け持ちを許していなかった。サッカー少年団に入ったならば、それは小学校を卒業するまで、やめてはいけないものであり、また、同時に他の少年団に入団するなど、有り得ないことだった。
例外は、冬の間だけ活動する夏の間できないウィンタースポーツだけだった。だから、僕はサッカーとスケートをやらされていた。
しかし、それ以外の場合は、絶対の禁忌だったらしい。それが、規則だったのか、単なる暗黙の了解的なものだったのかは、知らない。だが、監督をするオトナ達にとっては、大いにメンツに関わるできごとだった。
まずサッカー少年団の監督が、激怒した。
何故、自分の団員が自分の練習にも来ずに、バスケットボールをしているのか? 何故、この若造はそんなことを子供に認めているのか?
たぶん、そう言った要旨のことを、もっと口汚く、バスケットボールを指導していた若い教師に怒鳴りつけた。
オロオロとするしかなかったろう若いバスケットボールの監督教師は、それを母に告げた。
母は金切り声を上げた。
僕は敷居の上に正座させられ、習い事をさぼっていたことも含めて、母の罵倒を一身に受けた。
その上、学校では、親も含めた関係各位のオトナ達に囲まれ、罵声と説教と駆け引きとマウンティングに満ちた面談とやらに同席させられた。
僕は怒りで歪んだサッカー監督の顔を見ていた。僕には殆どプレーさせず、才能のある者だけに試合をさせて、ろくに僕を指導もしなかったひとが、今さらのように、「大事な選手を横取りしやがって!」みたいなことをオトナの言い方で言っている。
次にバスケの監督の顔。ひたすら謝って頭を下げているから表情が見えない。ただ怯えて、ゴセツゴモットモを繰り返している。
まあ、職場の大先輩に叱られれば、そうするしかないのは、今ならわかるけれど。
そして、母親。大げさに涙を流して、やはり、こちらも何度も謝っている。ヒトリッコだから、ワガママに育ててしまったワタシのセキニンでございます、こちらの先生のせいではございません、申し訳ございません、申し訳ございません、モウシワケゴザイマセン。
したいことをしようとしただけで、この騒ぎ。うんざりして、その場をやり過ごす技量は、しかし、まだ僕には無かった。ただひたすら思ってもみなかったコトの重大さに押し潰され、その場に硬直しているしかなかった。わけがわからないまま。
でも、わかったのは、誰も「僕の気持ち」のことなど話しているわけではないということだけだった。オトナ達の誰一人、「じゃあ、君は、何をしたいの?」とは訊いてくれなかった。
そこには教頭もいた。ドラマなら、そういう管理職が、何か子供に手を差しのべて話はイイ方に流れるのかもしれないが、彼は、ただ腕組みをし、目を瞑って、その場にいるだけのひとだった。
誰も、僕を救ってはくれなかった。
だから、僕は、もう一度爆発するしかなかった。
「僕はっっ! ぼくはああああっ! ~$#’ゑrへあっっykjtっmyrtrthq&rgれ!」
自分が、何を言ったのか、思い出せない。ただ絶叫した。ありたけのものを、ありたけの力で、ありたけの声で、掠れてしまうまで、絶叫した。
気付いたら、僕は面談室の床で、ぼろ雑巾みたいに、くったりとしていた。冷たく硬いはずの床に倒れ込んだ身体が、まるで誰か他のひとのものになったみたいに、何も感じずに、痺れている。
大人達が、僕を見下ろしていた。まるで、食べかけのソフトクリームを地面に落としてしまったみたいな顔をして。
それ以外のことを、やはり、何も憶えていない。
でも、僕の「爆発」は、その場をシラけさせるくらいの威力はあった。僕は、母に引きずられて、その部屋を出た。
母がその手に相当の苛立ちを籠めているのを、その、浮き出た血管が示している。なのに、僕は、その手の怒りをガラス越しにでも触れているようにしか感じない。帰り道、母は何も言わなかった。僕も、言葉など頭に思い浮かばなかった。誰かのものになってしまったような身体を、僕は、その夜、夕飯も食べずに、自分のベッドに潜ませた。
いつまでも、いつまでも、それは、ガラスの向こうにあった。
僕は、自分の腕を強く掴むように、丸まって目を瞑った。何の痛みも、軋みも、感触すら、無かった。それでも、疲労と虚脱感は、僕をいつしか夢うつつ浅く行き来させた。
じんわりと戻ってくる「自分」を遠くに感じたころ、遅くに帰ってきた父と母の、半ば言い争いのような会話が、同じように遠く聞こえたけれど、僕の耳に、それが意味を持って届くことは無かった。
次の朝、食卓についた僕に、母は言った。
「バスケットボールやってもいいから、だから、ピアノだけはやめちゃだめ。それだけは、絶対。約束しなさい」
「……」
今の僕なら、ピアノは高いからね、くらいの皮肉を言うかも知れない。でも、その時の少年は、ただ望みが叶えられたよろこびに心を飛び跳ねさせながら、どうでもいい約束をした。
「……はい」
母は、僕の両肩を掴んで、僕を睨んだ。
「アンタ、お父さんに殴られるところだったんだからね。わたしが止めたんだからね!」
「……」
「ピアノだけは続けるって約束で、なんとかお父さんを止めたんだからっ!」
「……はい」
「絶対にやめちゃダメっ」
「はい……」
「もし、やめたら、知らないから」
「はい」
「家から、出てってもらうから!」
大体、そうだ。この人はそう言う。
家から出て行け。
でも、それを聞き流せるほど、僕はオトナじゃない。じわりと恐怖が胃に溜まる。それが、どうでもよかった約束を、いい加減にしておくことを許さない。僕は、頷く。
でも!
でも! そんなことより、バスケットボール!
僕は、何故か、それをやれることになったのだ! 僕は踊るように家を出た。
だから、僕は、自分の腕に、くっきりと痣が残っていたことなど、気付かなかった。
その日、僕は母に言われた通り、サッカーの監督を職員室に訪ね、正式にサッカー少年団をやめると告げた。
監督は僕に目も合わせず、あ、そ、と応えた。
とりあえず頭を下げて去ろうとしたとき、監督は、僕の背中に言った。振り返っても、そのひとは僕に視線を寄越さなかった。
「おまえは」
「……はい」
「おまえみたいなもんは、ろくなもんにならん」
「……」
「おまえは、きっと、バスケもやめるぞ」
「……」
「全部、中途半端だ」
「……」
「おまえは、ろくなもんにならん」
やめるもんか! 何言ってんだこのひと? 僕はやっと、やりたいことをみつけて、それをやれるんだ。どうして、やめることを先に考えなきゃいけないんだ?
僕は、彼の言葉がどれだけ自分を蔑んでいるかなんてことより、新たな希望の大きさに、スキップでもしそうな勢いで職員室を出た。
ああ、バスケットボール! 僕は、その時、何の後ろめたさも無く参加できる練習が、ひたすら待ち遠しくて仕方無かった。
その後の数か月。あんなに楽しい日々は無かった。
あまりに楽しくて、そのディテールを今思い出せないほど。
楽しくて、楽しくて、楽しくて、楽しくて!
毎日、出来ることが増えて。
すぐにも、練習試合で活躍できるようになって。公式戦にまで!
12番。僕が人生で初めてもらった背番号。
Bチームで、キャプテンでも、エースでも、ひとけたですら無かったけれど、僕の、背番号。
僕には、その頃から興奮すると記憶が曖昧になるクセがある。だから、その試合で、自分が活躍したのかどうか、はっきりとは思い出せない。たぶん、いま自分に残っているイメージほどスタッツ上の活躍はしなかったと思う。
でも、あの、全てを思い通りにコントロールしている感じ。
自分の好きなことを、全身で、懸命に、表現できることの高まりと喜び。
自分が、自分になった瞬間。
僕はあの時ほど、全てが一致した自分を経験したことが、残念ながら、いまに至ってもない。
そんな瞬間を、知らなければ良かったのかもしれない。そんな瞬間があることを知ってしまったから、僕は、苦しんだのかもしれない。でも、そんなことを、当時の僕が気付くわけもなかった。
僕があの大人達の面談中に、どんなことをわめき散らしたのか、それも憶えていない。
でも、僕はピアノ以外の習い事に通わなくても良くなっていた。つまり、ピアノだけは、僕に重くのしかかっていた。他の習い事をやめた分、むしろ、母のピアノの強要はキビシクなっていた。
しかもタイミングが悪い事に、学芸会で、クラスは合唱を披露することになった。
僕がピアノを習っていることを知っていた担任は、伴奏を母に打診した。
母は喜んだ。そして、二つ返事で引き受けた。
僕の意向など、関係なしに。
まあ、仮に問われていたとしたら、まず、嫌がっただろうけれど。
あの家庭に、僕の気持ちなど、存在していないものだった。とにかく、それで、僕はうやむやにピアノから逃げることすらできなくなった。
僕が、練習から帰って来ると、母は僕の両手を取り、不愉快で不機嫌そうな目でじっと見詰め、そこに何の異状も無いことを確認して、ため息みたいな安堵の息を吐くと、「ピアノをなさい。クラスのみんなのためよ」と言う。
好きなことをやらしてもらっているからと言って、嫌な事までやりたくなるわけではない。まして、子供だ。僕は、相変わらずイヤイヤ、おざなりの練習を続けた。
ただ母が怖くて。
だから、ピアノはいつまでも鳴らなかった。本当の意味では。
でも、そのことに気付く音楽家は、僕の周りにはいなかった。
しかし、僕が学芸会でピアノを弾くことにはならなかった。別に、母が急に僕の気持ちに気付き、それを慮って改心したわけじゃない。父が、時季外れに突然の転勤を命じられただけのことだ。その時の詳しい事情を、子供だった僕が知りようはずもない。ただ、それは父にとって日頃の業績を認められた上での出世のチャンスであったらしく、母もそれに一応は喜んだわけで、転勤自体を断る理由は、彼らにはどこにも無かった。
それに伴う引越、転校を、僕に拒む術など無かった。
ただ慌ただしく、改まってその事の意味を考えるヒマも、異議を唱える余裕すらなく、熱に浮かされたように、僕たちはそこから遠く離れた街に引越をした。
引越した先の地域には、元いた街の「少年団」のようなものは無かった。転校先の学校のひとびとは、温かく僕を迎え入れてくれたけれど、バスケットボールを指導してくれる教師も、一緒に練習してくれる友達もいなかった。
僕は、そして、初めて「転勤」ということの意味を知った。
気付いたときには、何もかも全てが遅かった。
でも、悪いことばかりじゃない。引越した先の住居は集合住宅で、狭いだけじゃなく、周囲の迷惑になることから、ピアノを置く部屋が無かった。
あれだけ僕にピアノを強要し続けた母が、あっさりと、そのピアノを知り合いに売った。
僕に手を使うスポーツを禁じる決まりは、だから、無くなった。
バスケットボールチームは無かったけれど、そこには地域の軟式野球チームがあった。僕は、なんとなくそれに入った。
でも、そこでは、いつかのサッカーチームと同様に、僕の活躍できる場所は無かった。才能と経験ある選手たちだけに許されるバッティング練習を、ただ、外野の、更に外で、ぼんやり球拾いをする役目しか僕には残されていなかった。だから、すぐに練習に行かなくなった。
僕には、何も無くなった。そして、そのことに、気付いていなかった。
<#03終わり、#04に続く>
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