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僕はハタチだったことがある #03【連載小説】

 この物語はフィクションです。実在するあらゆる個人・団体・学校・組織および事件・事象などとは一切関係ありません。
 また、この作品は2014年にKDP・Amazonで電子出版された作品に読みやすくするため改行や若干の言葉の変更などを加え、分割して順次掲載する予定のものです。以前の電子書籍版とストーリーにおいて変更はありません。
 途中からお読みの方、#1(第一話)から最新話までをまとめたマガジンはこちら↓です。


 


 君は、一年全体を見ても、とにかく良く休んだ。編入初日、あれだけ僕の心を乱しておいて、次の日も、その次の日も君たちは学校にいなかった。
 榛名先生は「聴講生扱いだからって、他にしめしがつかないな」とこっそり僕にぼやいた。
 ゴールデンウィークを過ぎても君たちは週に二度くらいしか学校に現れなかった。
 僕はと言えば、やはり、君たちが純粋に学習のために来たのではない、と確信することになった。
 君たちの不在に安堵するどころか、その不在のせいで、却って、不気味さが増した。
 来たら来たで、君はテキストエディタでの「雑談」か、そうでなければ、机の下での手つなぎを求めた。拒否すると、君はこう書いた。
『あの日のこと、話しても?』
 僕は、断れなくなった。
 今思うと、アレは大したことでもないような気がする。でも、あの時の僕とっては、とても重大なことだった。
 付き合う前の事とは言え、貴句に対しての裏切りに思えた。ばらされた時にしなければならないあれこれがとても厄介そうだった。
 それに、冷静になって考えれば考える程、アレは醜態以外の何物でも無いと思った。
 僕にだって羞恥心や、ささやかながら、プライドがあった。晒されて、恥をかくのは耐えがたかった。
 でも、本当は恥をかいて、そんなプライドは壊した方が良かったんだ。そうすれば、それ以上の裏切りを重ね、弱みを増やし続けることになんてならなかったんだから。
 君は僕の手を、まるでオッサンが女子高生の手にするみたいに、弄んだ。僕の手は汗で湿った。それも恥ずかしかった。タカハルは、貧乏揺すりしながら、にこやかに頷いていた。あまつさえ、がんばれ、と僕たちがしているみたいにエディタに打ち込み、わざわざ大きくフォントサイズを変えて、モニタをこちらに向けた。授業がまるで頭に入らなかった。
『昼休み、公園の噴水で』と君は器用に左手でキーを打った。僕は何の反応も返さなかったけれど、従うしか無いのはわかっていた。

 
 僕は貴句に捕まらないように、授業が終わるか終わらないかのタイミングで教室を飛び出した。
 噴水の前に立って、鼓動を抑えようと胸に手を当てた。それが走ったからなのか、恐怖心からなのか、判別がつかなかった。
 鼓動が収まらない内に、君はタカハルを連れてやってきた。僕は妙な興奮を感じて、君にそれをぶつけた。
「面白いのかよ?」叫び声になった。
 君は何かを探るように僕の目を見詰めた。
「何だよ?」と僕は訊いた。
「まだ、わからないのね」と君は言った。
 歩きましょ、と君が歩き出して、僕は従った。タカハルがその後ろを少し離れてついてきた。
「何がだよ?」と僕はまた訊いた。
「想像くらいしなさいよ、マヌケ」と君は言った。
 血筋のことはともかく、そんな状況に陥っているのは確かにマヌケだったかも知れない。僕には返す言葉が無かった。
 君は少し顎を引いて、地面を見て歩いていた。僕はその横に並んだ。
「時間はあげたでしょ?」君は言った「この一ヶ月、まさかぼんやりして過ごしていたわけじゃないわよね」
「想像しろ、ったって、何をさ? 僕には君たちにこんな思いをさせられるおぼえはないし……それとも、僕は気付かないところで恨まれるようなことでもした?」
 君は目玉だけを動かし、僕を見た。
「あの日、死が怖いって、言ってたわね」
「……ああ」
「強いて言えば、そういうところが」
 君の言葉は、ますます僕をわからなくさせた。君は言った。
「あなた、幸せだったのね。幸せだったのよ。わかる。そういう顔してる。何も考えてませんって顔。死が怖いのは、幸せな人だけよ。不幸な人間はね、生きることこそが恐ろしい。過去は痛いし、今は辛くて、明日が怖いのよ。あなたは死が怖いと言う。幸せな証拠よ。無自覚だったでしょ? 教えてあげる。あなたは幸せだった。それはそれで結構。でも、そういうのが、あたしは……」
 君は立ち止まって、今度はまじまじと僕の顔を見た。
 君の表情は変わらなかったけれど、何かに苛立っているような雰囲気は伝わってきた。
「そういうのが、あたしは、許せないのよ」
 そう言った君は、また、歩き出した。結構だと言いつつ、許せないという、君の矛盾に僕はまだ気付かなかった。僕は二、三歩遅れて、君の後についていった。
「だからって……。そうだよ、幸せな人は世の中にたくさんいる。何で、僕が代表者みたいにこんな目に合わなきゃならないわけ?」
 君は、わかってないわ、とでも言いたげに首を軽く振り、タカハルをちらと見やって、追い払うようなしぐさをした。タカハルはぞんざいなそのしぐさに腹を立てる様子も無く、噴水のところにいるよ、と言って元来た方へと去って行った。
 そう言えば、と君は言った。
「返事をもらってないわ」
「何の返事?」
「気持ち、あたしの。ちゃんと書いたわ。見てたでしょ?」
 僕は君がエディタに書いた『すきよ』という言葉を思い出した。悪意としか思えなかったあの言葉を、素直な心情の吐露だったと捉え直すのは少し難しかった。
「冗談だろ?」と僕は言った。
 君は振り向いた。瞳の深みに僕を映して、そして何も言わなかった。
 僕は言葉が足りなかったような、間違えてしまったような妙な気分になって、言葉を続けた。
「知っての通り、僕には山田がいる。付き合ってるんだ、好きになったんだ」
「嘘よ、ちょっと前まで、あなたは初恋も知らなかった」
「恋なんて、ちょっとしたことで始まるだろ? 付き合った以上、大事にしたい。だから、授業中に手を繋いだりするのもやめてほしい」
「どうせ、向こうから言って来て、なんとなく付き合うことになっただけでしょう? 付き合うから、好きになろうとしてるんでしょう? そんなの逆じゃない? 欺瞞よ」
「たとえ、そうだとしても、何が悪いんだよ? それじゃあ、見合い結婚は全部嘘だとでもいうのかよ?」
「どうでもいいのよ、そんなこと」
「なんだそりゃ? そっちが――」
「ええ、いいのよ。あなたが誰と付き合おうが。気にしない。一夫一妻なんて馬鹿馬鹿しいもの。でも、そういうのと別に、あたしたちは同じ秘密を持っているのよ」
 話している内に論点が滑っていく。
 僕は何だか砂漠に水を撒いているような気分になった。そして、首を振って言った。
「とにかく、僕には山田が、貴句がいる。それは変わらない」
 それを聞いて君は少し溜息をつくと、例のごとく、ケースを取り出し、口に錠剤を含んだ。そして、それを空を仰ぐように飲み込むと、のどが乾いたわ、と言った。
 コンビニの看板が見えた。僕たちは何も言わず、なりゆきでそこへ向かうことになった。
 店内の冷蔵庫の前に僕たちは二人並んで立った。僕は何気なくコーラのペットボトルを手に取った。あたしも、と君は言った。僕は同じ物を君に一本取って渡した。ねえ、と君は言った。
「プレゼントくれない?」
 おごれ、ということかと思った。僕はちょっと不快に感じた。僕の小遣いはそれ程余裕があるものでは無かった。
 そしたら手を繋ぐのをやめたげる、と君が言った。僕は疑わしげな視線を君に向けた。約束だけは守ったはずよ、あの時も、と君は言った。
 少し考えたが、僕は諦めて、君の持ったボトルを取ってレジに向かおうとした。だけど、君はしっかりとそれを持ったまま離そうとしなかった。
「誰がおごってって言ったのよ」と君は言った。
 僕はわけがわからなかった。君は僕の耳に口を寄せた。
「それ、黙って持って出て」
 はあ? と声が出た。自慢じゃないけれど、僕はただの一度も万引きなどしたことが無かった。
 かっとなって、そんなことしねぇよ、と僕は言った。何考えてんだよ、と声が大きくなった。大丈夫、ばれないわよ、と君は言った。
「あたしがこれを買ってる間に何気ない顔して出て行けばいいのよ」
 馬鹿じゃねえの、とか、おかしいよ、お前、とか僕は言った。でも、君は表情を変えなかった。
「たったそれだけのことよ、いいじゃない」と君は言った。
「たったこれだけのことで、人生棒に振るかも知れないんだ。出来ない」と僕は応えた。
 そう、と君は顎に少し指を遣り、そして、ハンドバッグに手を入れて、ミニDVテープを取り出し、持った手をひらひらと振って見せた。
「これ、面白いものが映ってるのよ」
 まさか、と声が出た。かっとなった頭が、一瞬に冷たくなっていくのがわかった。
「きっとあなたも興味があると思う」
 僕はあの時君のマンションにビデオカメラがあったかどうかを必死に思い出そうとした。でも、どうやってもうまく記憶が像を結ばなかった。
 カメラがあったと思えないと同時に、無かったとも確信できなかった。
 大体、僕は目隠しされていたんだ。観察眼も良くない僕が、あの混乱した心境で、細部を思い返そうとしても無理な話だった。
 僕はズボンで手を拭った。
「また、脅すのかよ」と僕は言った。
「スクールの皆で見たら、きっと楽しいわ」と君は応えた。
「脅してるよな?」
「山田さん、何て言うかしら?」
「絶対にやめろ」
「どうして? いいじゃない。あなたは山田さんやスクールでの評判より大事なものを守ればいい」
「お願いだから、許してくれ」
「だったら、それを、ね? 約束するから」
 あたしがレジでこれを買ってる間に、出て行ってね、と君は言った。いくわ、と楽しそうな声がした。
 君の背中を見ながら、むちゃくちゃだ、と僕は独り言ちた。
 ペットボトルの冷たさが手から伝播して身体の表面を強ばらせた。
 なのに、心臓やら胃やらが、妙に脈打って暴れているように感じた。
 店内BGMが聞こえ無くなった。
 普段は気にもしない防犯カメラのレンズがやたら大きく見えた。
 踏み出した足がぎこちなくて、今にもさび付いて動かなくなりそうだった。
 それでも、僕はレジから出来るだけ見えないように、ペットボトルを身体の陰に隠していた。
 自然に、と思うほど、僕の肩は強ばった。
 ドアに手を掛けた時、それが今まで踏み入れたことのない、気味の悪い世界への扉であるような気がした。
 それを開けたのかどうなのか、そこから記憶が無い。
 僕が多少なりとも正気を取り戻して、それでもまだ高鳴っている心臓の音を聞いたのは、さっき待ち合わせた噴水の所だった。
 僕は立ち尽くしていた。タカハルがそこにいて、「どうしたの?」と訊いた。僕は応えなかった。
 やってしまった、と言うしかない、後ろめたさと安堵の入り交じったおかしな感覚が指を震わせていた。
 君が息を切らしながら遅れてやって来て、走ることないじゃない、と文句を言った。
 僕は、君を睨みつけ、そして、手に持ったペットボトルを地面に叩きつけた。
 タカハルが少し身構えたけれど、君はそれを押しのけて、僕の前に立った。
「これが望みかよ」と僕は言った。
「怒ってるのね」と君は言った。
 君が言うとおり、僕は、怒っていた。自分がそんなに怒ったことがなかったことに後になって気付くけれど、とにかく僕は怒っていた。
 もう、御免だ、と僕は呟いた。そしてもう一度、今度は大声で、もう、御免だ、と叫んだ。
 公園にいた人々が訝しげに僕を見た。タカハルが愛想笑いで彼らに頭を下げてみせた。
 そんなこと気にする風も無く、君はバッグから、さっきのテープを取り出し、僕に差し出した。僕はそれを乱暴に奪った。
「もう君とは関わりたくない」と僕は言った。
 君は、視線を少し斜めに上げて、頭を傾けた。
「無理ね」と君は言った。
「無理じゃない」
「無理だわ」
「どうして? 僕は君たちの世話を降りる、席も変えて貰う、君たちとはもう、話もしない」
「でも、どのみち、一年は同じクラスメイトよ、席が離れたって、本質的な距離は変わらない。あなたはあたしに弱みを握られている。学校をやめて、どこかに消えるというなら、それでも構わないけど、でもそんなことできないでしょう? できない以上、今までのことやさっきのことだって他に言われたら困るでしょう?」
 僕が吐いた息は震えていた。君は僕が叩きつけたボトルを拾い上げ、僕に近寄り差し出した。僕はそれを受け取ろうとは思わなかった。
 すると君は僕の手を取り、無理矢理押しつけようとした。
 僕が力を込めて、それを払おうとした時、君は頭をねじ込む様にして、僕の唇に自分のそれを付けた。僕は思わず仰け反った。
 一瞬だったけれど、キスだった。
 呆気に取られた。
 僕の手には知らずにボトルが握られていた。君は背中を向けて、こう言った。
「忘れないで」
 去り行く君を見ながら、狂ってる、僕はそう思った。
 タカハルが僕の肩に手を置いた。僕はそれを苛立たしく払った。
 頼むよ、とタカハルは言った。何を? と言って、僕はタカハルを睨んだ。タカハルは困ったような笑顔を浮かべて、友達だから教えてあげたいけどね、と言った。
「でも、僕はあの子に少なからず恩がある。友情よりも大事なものだ」
「あんたと友達になった覚えはない」
「まあ、それならそれでいいけど、言えないんだ、そういう約束なんだ。もう君には伝わってるのかも知れないけど、僕だって、本当のことを詳しくは憶えてない」
「何だよ、それ」
「頼むよ、きっと君だけなんだ」
「もういやだ」
「じゃあ、一つだけ、ヒントを聞いてくれ」
 タカハルは真剣な顔をしていた。少なくとも僕の目には、人をだまそうとしている目には見えなかった。
 と言っても、信じるつもりもなかった。
 ただ、僕はその真剣さに気圧されて、タカハルの視線を拒めなかった。タカハルは言った。
「リンの言う通り、君は幸せだったんだろう。そして、幸せな人間は前しか見ない。それは美徳だよ。でも、もし、少しでもリンを知りたいと思ってくれるのなら、君はその前に自分を知るべきなんだ」
「なんだそりゃ? 旅にでも出ろっていうのかよ?」
 僕は精一杯の皮肉を込めたつもりだった。タカハルは、ひとつ息をついて、それでもいいかもね、と微笑った。そして、拳を軽く僕の胸に押しつけてから、タカハルは視界から消えた君を走って追いかけていった。
 僕は、まだ、早くなった鼓動の余韻で胸が苦しいまま、置き去りになった。


 僕は君のいる教室にもう戻りたくなかった。昼休みの終わるぎりぎりまで、僕は公園を歩き、それでも、仕方無く学校に戻った。
 貴句が、どこに行ってたの、と不満げに訊いたけれど、僕は頼りない微笑みを浮かべるのが精一杯だった。水谷がそんな僕たちを少し意味ありげな目で見て、貴句はちょっと気まずそうにした。
 君の席に君はいなかった。タカハルも見当たらなかった。君たちが早退したことを、授業が終わった後、榛名先生から聞いた。
 その場で、僕は世話役を降りる事を願い出た。榛名先生は僕の目をじっと見詰めた。そして、まあ、いいよ、桂木にでもさせるか、とあっさり承諾してくれた。理由を訊きもしなかった。
 理由を訊きもしなかった理由を僕は後になって教えてもらった。授業中手をつないでいちゃいちゃされるのも困ったからな、と榛名先生は言った。教壇からは思ったより、見えるんだよ、と。山田と付き合ってるのに、とんだ色男だと思ったけど、どうやらお前も困ってたんだとわかったから、と先生は笑っていた。

 テープは、滅茶苦茶にして、ゴミに捨てた。テープを再生する機材が無かったせいもあるけれど、学校で借りて見ようとも、そうしてまで見たいとも思わなかった。僕は自分の傷をなめ回すほど自虐的じゃなかったし、自分の喘ぎを見て喜ぶほどナルシストでもなかった。
 でも、コーラのペットボトルは、どうしていいかわからず、その後ずっと引っ越そうと決めるまで僕の部屋に置いてあった。そして、僕はそれ以来、しばらくの間、コーラを飲むことができなくなった。

 五月、この街の遅い桜もとうに散った後のことだった。


<#3終わり、#4へ続く>



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