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【連載小説】Words #15

 この物語はフィクションです。
 作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。  
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「何? 万引きでもすんの?」
「し、品川?」
 その不穏な言葉が大きく店内に響き、一瞬で、店員たちが僕に注意を向けたのがわかった。僕は、とりつくろうように、それより大きな声で半ば叫ぶように言った。
「し、しねーよ。そんなこと!」
「へえ、すげー挙動不審だったから、やんのかなー、ってずっと見てた」
「だから、しないって!」
「へえ」
 僕は、変わらず疑わしげに僕に視線を投げ続ける品川を押し出すように店の外に出た。
 その後を、小学校低学年くらいの女の子がついてきた。品川の連れだとは思った。
 小さな子の前で怒りを表現することは躊躇われて、だから、平静に、でも、怒りを籠めて言った。
「おまえなあ、ああいうこと店内で言うなよ!」
「なんで?」
「だから、してもいないこと疑われるだろ?」
「する気が無いんだったら、別にいいじゃん」
「いや、だから――」
「本当にする気だったら、やばい、って思えばいいけど、する気が無いんだったら、なんの疚しいこともないじゃん。それとも、本当にする気だったの?」
「いや、それは、ない」
「だから! いいじゃん」
 品川は僕の額を、人差し指で軽く突いた。僕はそれを苛立たしく払うと、改めて向き直った。
 品川は、何か不思議そうに僕たちを見詰めている女の子に、変なヤツだよねー、とため息をついてみせて、それから僕の顔をシラけた感じで眺めた。
「何?」
「いや、最近、土日、経堂と勉強してんだって?」
「あ、ああ」
「正直、会う機会減ったんですけど」
「あ……ごめん」
「カレシを盗られた感じする」
「いや、そんなつもりは……ホモじゃないし」
「ホントにー?」
「カノジョも、いるし」
「あ? こないだ別れたんじゃねーの? 別れたら次のひと?」
「いや、だから、やり直すっていうか、ヨリを戻したというか」
「あー」
「何」
「ドラマごっこ」
「あ?」
「意味も無く別れたりくっついたりして、盛り上げるやつ」
「……そうなの?」
「おそらく。泣いたりわめいたりして、相手の気持ちを確かめたいんだろ。まあ、オンナなんてそんなもん」
「……お前だって、オンナだろ」
 く、と眉を上げて、だから、イヤになるときがある、と半分冗談みたいに品川は微苦笑した。僕は、とりあえずさっき飛び跳ねた心臓が治まるのを感じて、肩の力を抜いた。
「それにしてもさ」
「何?」
「お前ら、経堂もだけど、なんか、オトナっぽいこと言ったりしたりするよな」
「そう?」
「経堂なんかさ、ウチに来るたびに手土産持ってきてさ、丁寧に挨拶なんかして、それで、すっかりウチの母親のお気に入り。それに、『僕の家少し遠いんで、実は図書館で勉強できれば近くて時間も無駄にせずにいいんですけど』なんて言って、同情買ってさ、僕の土日の外出禁止を一部解除してくれた」
「へえ、あいつが?」
「うん。僕、オンナだったら、きっと母親に経堂と結婚させられてたかも。そのくらい」
 品川は皮肉っぽく片眉を沈めた。僕は、その表情が何を言いたいのかわからなかった。カレシを褒めるということは、すなわち、そのカノジョである品川も褒めたことだと思ったのだ。
 なのに、品川はどこか冷めたように受け流す。僕は少し気まずく俯く。
 その耳に、どこか遠くからピアノの音が届く。誰か、ストリートミュージシャンでも、路上ライブをしているのだろうと思った。それをわざわざ聞きに行くほど、僕はオンガクを愛していない。
 帰ろう、と思った。五千円。そう、これは、「真沢のため」のものだ。僕のものではない。
 品川に声をかけられて良かった、と少し緊張が解けたような気がして、それじゃあ、と僕はそこを去ろうとした。
 しかし、その時、品川が、あ、と僕の肩越しに遠く何かに気付いた。
「あれ? 光屋?」
「え?」
 僕は、思わぬ名前に慌てて、挙動不審気味に、振り返った。
 ピアノの音。僕が気付くまでの間に、そのピアノにいつのまにか歌がのっている。
 随分と遠いように思えるのに、その声は、僕にも届く。でも、僕の目が見つけるのはその演者ではない。
 僕の視界に、一輪の花。
 かほ里がいた。
 しかし、かほ里は、かほ里ではなかった。だから、僕はそれを、最初、花、だと思った。
 かほ里は、その演奏するオトコを見詰めて、まるで百合の花のように、清楚に、華やいで、そこに佇んでいた。
 その声を、ピアノの音色を、身体いっぱいで浴びて。
 品川が、僕の制服を少し、引っ張る。
「光屋、だよね?」
「うん、たぶん」
「たぶん?」
 いや、遠くから見てるからじゃない。かほ里としかいいようのない少女が、かほ里とは別人のように、そこにいる。近づいて確かめるのが、怖くなるくらいに。
 音楽が、響く。
 僕にその巧拙はわからない。
 でも、僕は、本能的にそれを聴くのを拒絶する。
 僕に絶対、できないこと。
 それが、かほ里を、咲かせている。
 ねえ、なんでそんな顔するのさ。
 品川が、もう一度、僕を引っ張る。僕は、我に返って、ごまかすように応えた。
「いや……うん、光屋」
「なるほど」
「何?」
「いや、こっちの話」
「うん」
 品川が、何に納得したのか、僕にはわからない。だって、僕の視線はずっと、かほ里に注がれ続けていた。
 上手く、言葉にできない。でも、わかる。
 話を聞いて、わかっていたはずのことを、僕は何もわかっていなかった。
 もしかしたら、あの、好きな男の話は、ただのオハナシなんじゃないか、っていつのまにか僕は思っていたのだ。
 既婚者で、子供がいて、KANみたいなアーティストが好きで、そんな風に今もなりたいと思いながら、曲を作り続ける男なんて、本当はいないんじゃないかって。
 何の遠慮も無く僕に触れるその手が、特別な好意で、行為なんじゃないかって信じたかった自分が、打ちのめされている。
 そこに、ただの少女がいる。ただ恋をしている少女がいて、それが、僕に見せる枯れた笑顔など想像もさせないほど、艶やかに咲き誇っていた。
 僕の、肩から、背中から、腕から、指から、感覚が剥がれていった。
 響き渡るオンガク。
 僕の、欠落。
 がっかりする必要など、ないのに。わかっていたことなのに。
 そうして眺めている間、かほ里の全てがその演奏に、捧げられ続けていた。
――そんなきみを、見たくはなかった。
 僕の頭は、真っ白になった。
 そして呆けていた僕の腕が、みたび、強く掴まれた。感覚は、それに引きずり上げられるように戻り、僕は、我に返った。
 そんな情けない姿を、品川に晒していることを思いだして慌てるより先に、品川は冗談とは言えないくらいの強さで僕の頭を殴った。
「……あ」
「……」
 品川が、唇をへの字にして、僕を眺めていた。
「ふうん」
「え?」
「なんでもない」
「え?」
 相変わらず、地面から浮いたような虚脱感から完全には抜けだせない僕を、ふふん、と品川は鼻で笑った。
 僕は向けられたその表情に慌てて、取り繕うように、彼女の連れの小学生について、訊いた。
「妹、かなんか?」
「ん? え? ロリコン?」
「ち、ちげーよ」
 小学生が僕をじっと見詰めていて、僕は何故かどぎまぎとした。そんな僕に向かって可笑しそうに女の子が笑みを浮かべた。僕は、正直そのころから子供が苦手だったから、ぎこちなく笑い返すことくらいしかできなかった。
 品川は、妹、と別に面白くもなさそうに言い、そして、なんの脈絡も無く、掌をさしだした。僕は意味がわからず、恐る恐るその掌に手を乗せてみた。少し怒ったように「お手じゃねーよ」と品川はそれを払い、再び同じように掌を突き出す。
「何?」
「だから、金返せ」
「は?」
「CD買う金があるんなら、まず、借金を返せ」
「いや、これは……」
 僕は、ズボンの上から、その折りたたまれた紙片に軽く触れる。
「返せ」
「……うん」
 僕は、思う。
 確かにCDを買うのはまずかったかもしれないが、二百円やそこら、ここから使ったところで、真沢とジュースを飲んだことにでもすればいい、と。
 僕は、ポケットから五千円を取り出し、広げて、品川に差し出した。品川は、鞄から、年齢に相応しいとは言えないブランドの長財布を取り出して、三枚、千円札を抜き取ると、その五千円札と交換するように僕に押しつけた。
「え? ちょっと、二千円?」
「あー、現金あまりないし、小銭持ってないし、大体、利子も含めたらそんなもんでしょ」
「いや、暴利だろ、悪徳高利貸しだよな、それ。冗談かと……」
 品川が、笑っている。冗談だよ、とその笑みが言っている。
 これは、ひとつのコミュニケーションで、今は、そういうことにしておきなよ、というメッセージを、僕はそこから読み取る。
 口は悪いが、性格は悪くない。ような気がする。
 金に困っているわけでもない。彼女にとって、金にそこまでの重い意味はない。
 遊び。これは、たぶん、からかいなのだ、と僕は勝手に結論する。
 僕はため息をつき、三千円を、ポケットに、しまいこんだ。品川は満足そうに言った。
「よろしい」
「……ああ」
「良い子だね」
「あ?」
「……」
 もう一度、ため息をついて、品川は、ほんとに、とCDショップの店内に目を遣りながら、呟いた。そして、ちょっと待っててね、と妹に優しく言うと、彼女は僕の手を取り、CDショップの店内へと引きずっていった。
「な、何?」
「……どれ?」
 KANの並ぶ棚。僕は、彼女の意図がわからない。
「どれ、買おうとしてたの?」
「いや、どれって言うか……」
 そこに、彼の出したアルバム全てがあるわけでは無かった。もはや決してはやりのアーティストじゃない。
 でも、そこに、かほ里が、最初にくれた、あのアルバムがある。僕はなんとなく、欲しかったのは、それなんじゃないか、と思い、他意も無く指さした。
 そ? と品川は言うが早いか、それを棚から抜き取り、レジに向かった。
 彼女は、さっきの財布からカードを取り出し、あれよあれよという間に、買い物を終え、僕をまた店外へと促した。そして、その袋を僕の胸に押しつけた。
「何?」
「貸す」
「え?」
「貸すから」
「……うん」
 そして、僕がそれを躊躇いながらも受け取ったのを確認すると、品川は、妹の手を取り、さらりと身を翻して、歩き出した。僕は何が起きたのかわからず立ち止まったまま、でも、その背中に言った。
「あ、ありがとう!」
 振り向きもせず、貸しただけだから、いつか絶対返せ! と彼女は応え、そして、そのまま繁華街の雑踏の中へと踏み出していった。
「バイバイ!」
 小学生の妹が、何度も振り返り、そのたび僕に手を振って遠くなっていった。きっと高級車でも待たせているのだ。
 でも、僕は、なんだか不思議な気分で、CDの入った袋を握りしめながら、そこに立ちすくんでいた。
 オンガクは、続いていた。
 でも、もう、僕はその方向を見ようとは思わなかった。もう、あの「花」を見て傷つきたくなかった。
 そんなことより、手の中の、何か。
 コワいような、嬉しいような。何か重いことが、軽く起きてしまったような。
 五千円が、三千円になったことなど、だから、その瞬間、僕の頭には無く、すぐにもふやけてしまったような足の感覚を踏みつけながら、帰路についた。

<#15終わり、#16に続く


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