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【連載小説】転送少女症候群、もしくは黍島柘十武の長い回想 #04




「昔々あるところに、と言っても、十二年前だけど、六歳の少女が――少女たちがいました。
 彼女たちは、よくあるこの国の一般的な普通の女の子で、それはそれは幸せに暮らしていました。
 よく遊び、よく食べ、よく眠る。本当に普通の女の子たちです。
 そう、もうそろそろ、お友達の男の子の中に、何か特別な感情を芽生えさせそうな年頃の少女たちでした。そういう少女たちがいました。
 そして、いなくなりました――それでおしまいじゃだめ?」
「は? わけわかんないよ」
 そうか、と頷くと、遊は後ろに手をついて、天井を見上げながら、また言葉を発しました。
「いなくなったんだ。本当に。神隠しみたいに。六歳の女の子たちが。全国あちこちから。何人も連続して。
 まあ、この時代にそんなことを神隠しとは言わない。連続少女拉致誘拐事件、と皆思った。親たちはもちろん、社会全体が大騒ぎした。
 憶えていないかい? そんなことがあったのを。テレビも新聞も連日そのことを報道したはずだ」
「いや、そんなことあったかな……?」
「そうか、憶えてないか。仕方無い。でも、そういうことがあった。
 しかしながら、誘拐というものの、犯人らしき人物からの、連絡も要求もなかった。変質者によるいたずら目的の誘拐だというものもいた。
 でも、“事件”が起きた場所や時間や数から、どうも単独では無理で、組織的な犯行だ、と警察もマスコミも推理した。組織的な人身売買だ、あるいは某国による拉致だ、とね。
 それにしても不自然な点はあった。
 家の中で一緒にテレビを見ていて振り向いたらもういなくなっていた、という親の証言もあった。不可解だった。
 それにもっとオトナたちを惑わせたのはね、少女たちが、すぐに、必ず発見されたということだった。無疵で、変わりなく、しかし、彼女たちに何のゆかりも無い非常に遠い場所で。
 彼女たちは口を揃えて言った。『気が付いたら、ここにいた』と。
 どの子もどの子もどの子も。
 結局彼女たちは家に帰るんだけど、確たる理由も原因もわからない大人たちは苛立だった。
 あるワイドショーのコメンテーターはこの現象を皮肉まじりに『少女転送症候群』と名づけたんだ。
 まあ、その名称が正しい用語なのかどうかは知らないけど、そんな用語が何も説明しないってのは、君にもわかるだろ?
 でも、ひとというのは傲慢だ。この世の謎には必ず答があると信じて疑わない。何の説明もつかない現象が起こるということを許せない。そんな状態に耐えられない。
 大方の親は、帰ってきた娘を多少過保護に取り扱うようになったけれど、中には、娘をきつく尋問する親もいた。
 例えば、縛り上げて火のついた煙草を身体に押しつける、とかね。オトウサンは嘘をつく子に育てた覚えはないぞ、とか言ってさ」
 何気なく、僕の目は遊の右手の甲に動きました。そこには、痕がありました。遊はそれを背中の方にすっと動かして、僕の視界から遮りました。で? と僕は、少し身を乗り出しました。
「君にはわかるかい? それがどんなことか。
 怖いよ、熱いよ、痛いよ。
 でも、女の子にとってね、自分の肌に黒い焼け跡が増えていくということが、どんなことか想像できるかい? 昨日まで少女の美しさが湛えられていた真っ白なものが、取り返しようもなく、汚されていくということが。
 その痕は消えないんだ。
 その火が眉間に近づいてきたとき、その少女が嘘をつくことを、君は責めるかい? そう、彼女は言った。
『ごめんなさい、ごめんなさい、本当は、旅行に行きたかっただけなの――』
 あれ、どういう心理なんだろうね。親はこう言ったよ。
『よく言った、えらいぞ、オトウサンがついていってやるから、オマワリサンにも本当のこというんだぞ、えらいぞ』って。
 抱き締めたりなんかしてね。
 その前にヒモを解いて服を着せろ、と今のわたしなら言うかも知れないね。
 まあ、その後警察に連れて行かれて、おっかないオトナたちに、その子は“親に仕込まれた嘘”を繰り返し繰り返し話したよ。もう、火傷は増やしたくなかった。
 それが、全国にいる同じ現象を体験した少女たち――同志を裏切ることなんて知らずにね。
 結局、その子の証言が、オトナたちの求める答になったんだ。全部、少女達の狂言だということにされた。最初のひとりを皆が伝染的に模倣したんだってね。ほら、誰か有名人が自殺すると、後追いや真似が起きるって感じの。
 矛盾はあったよ。でも、わかりやすい答はそれしかなかったんだ。理解できる答はね。
 そして、一時的に盛り上がった推理ゲームは終わり、この事件も他の事件と同じように、いつしか忘れ去られてしまう。
 でもね、その少女は火傷の痛みが消えて行くと、今度は嘘の重さを背負うことになったんだ。
 嘘をついて褒められた。嘘をついて、他の何人もの少女を嘘つきにしたんだ。
 しかも、それがオトナに賞賛されたんだ。これが、どういう重荷だったか、君に想像がつくかい?」
 僕は、そう問われて、自分の経験を思い出していました。僕にも、そんなようなことがあった気がしました。
 ぴったり同じ体験ではないし、僕の方の話はそんな大きな突拍子もない話ではありませんでしたが。でも、なんとなく理解できるような気がしました。
 僕は、頷きました。遊は、ちょっと眉を上げ、そう? と片方の口角を上げました。
 で? と僕は訊きました。
「で、その少女たちは本当はどうだったわけ?」
「聞きたい?」
「ああ」
「君の知りたい答じゃないかもしれない」
「ああ」
「そもそも答なんかないかもしれない」
「うん」
「それでも、良い?」
「……うん」
 ふううう、と長い息をついて、遊は視線を落としました。
「……その少女たちはね、本当に、瞬間移動した」
「……は」
 僕は、呆けたような笑顔で、口を開いてしまいました。眉を上げてそれを見ると、ほら、やっぱり信じないだろ? と遊はこぼしました。
 僕は後になって、何度も何度も何度も何度も後悔することになりました。慌てて真剣な顔をしてみせましたが、その時の僕はどうしたってそれを真剣に、深刻な真実として、受け取ることができなかった。そのことが本当に今も残る後悔です。
 思えば、僕は、フリをするのが、上手かった。良い子のフリ、真面目なフリ、正直なフリ、素直なフリ、従順なフリ、真剣なフリ……オトナに気に入られるための技術が僕には染みついていた。
 そして、その時、そんな技術が――よせば良いのに――発揮されました。僕は、殊更強く遊を見詰めました。
 姿勢を作り、呼吸を作り、顔を作り、そして、信じるよ、本当に、と嘘をつきました。
 もしかしたら、同じ年頃の女の子には見透かされていたのかもしれません。そうであったらいいと今の僕には思えます。
 でも、そんなフリに、遊は、僕と同じような顔で応えました。そして、わかったよ、そうだね、まずわたしが、君を信じよう、と言って、話を続けました。
「言ったろ? 煙草で焼かれた少女が嘘をついた、と。
 それは本当に嘘だったんだ。
 旅行なんか、彼女は行きたくなかった。ただ、本当に気付いたら知らない場所にいたんだ。ぱっとね、ひゅっとね。
 わけがわからなかった。近所の子たちと遊んでいたら、いきなり景色が変わった。本当に転送されたんだ。
 仕組みや理屈や目的なんて、訊くなよ。本当にわけがわからなかったんだから。今でもわからないんだから。
 それからしばらくそんなことは起きなかったけど、オトナたちは彼女を放浪癖のある嘘つきなコドモ扱いして、親だってそんな目で見て、時間がたつと周りのコドモたちだって、彼女を苛めるのにためらわなくなって……ただ、身を竦めて生きるしかなくなった。
 そして自分の嘘で、きっと全国で消えてまた現れた少女たちにもきっと同じことが起きてる、と思ったら心がつぶれるみたいに苦しくて、悲しくて、どうしようもなくて、でも、生きるしかなくて。
 いつからだろうね、彼女は、またアレが起きれば良いのに、そして、嫌いなひとたちのいない遠くに行ければいいのに、と思うようになった。
 でも、それは起きなかったよ。ずっとね。
 どんなに、どんなに、心の底から、身体の芯から望んでも、起きなかった。
 彼女はどうしたらまたアレが起きるのか考え続けた。場所? 時間? 何か条件がある筈だった。でも、アレが起きた公園に同じ時間に何度行っても、彼女がどこかに逃れられることはなかった。彼女の嫌いな世界から、旅立つことができなかった。
 それでも、彼女は毎日同じ時間に、同じ公園へ通うのをやめられなかった。
 中学生になっても。
 世界は――ひとびとは相変わらず彼女に対して過酷だったから。親は妹ばかりを可愛がって彼女を扱いにくい要らない子のように接したし、クラスメートは彼女を変人のばい菌扱いしていたからね。
 でも、ね、そんな日々にひとつの救いが現れるんだ。
 それは少年の形をしていたよ。同じ年頃のね。
 彼は言った。毎日ここに来てるね、どうして? 少女は、何も応えられなかった。でも、彼は微笑んで、自分の名前を告げた。彼女は自分の名前を返すこともできなかった。
 でも、彼はね、そんなこと気にしないみたいだった。彼は、いつもここにいるから、気になってたんだ、って言った。その時も少女は顎を引くことすらできなかった。その様子を見てね、彼は、ちょっとだけ手を上げて、じゃあね、また明日、って言い残して、その場を去って行った。
 その少女はね、その頃には、簡単に他人を信じられるような素直さを持ってなかった。でも、どうしてだろうね、少年の言った、また明日、という言葉が、それを言った笑顔が、どんなにかき消そうとしても、胸の内に繰り返し浮かび上がるのを止められなかった。
 また、明日。だから、次の日、彼女はそこに行かなかった●●●●●●
 不思議だね。あんなに嫌いな、逃げ出したい世界でも、いざとなるとそれは『自分の世界』だった。彼女のものだった。
 変わってしまうことが怖かったんだ。世界が、自分が。自分が過酷な世の中に生きているという認識が、信念が壊れることが。
 ろくでもない世界に生きるろくでもない自分に希望があるということが。
 ねえ、幸せに生きているひとたちにはわからないことだろうだけど、したいことをする、欲しいものを手に入れるというのは、怖いことだよ。
 とても、恐ろしいことだ。
 触れた瞬間、それが、いきなり自分を傷つける刃に変わってしまうかもしれないんだ。
 そういう経験をしてきたんだ。
 躊躇したよ。躊躇った。この上もなく。
 でもね、何日もその公園に行かなかったけど、心の中のあの少年はやっぱり消えなかった。むしろどんどん大きくなった。
 ふらっとね、本当にふらっと、あの公園に足が向いた。いたよ、彼は、そこに。そして、彼女を見つけると、あの時と同じような少年らしい笑顔を浮かべて、嬉しそうに手を上げた。
 ねえ、その笑顔に、自分と会えて嬉しい、という感情を読み取ってしまったのは、間違いだったかな? 自分が許されてる、と感じたのは、思い上がりだったかな? 早計だったかな。
 彼女は動けなくなった。俯いてしまった。そんな彼女に彼は駆けよって、こう言った。待ってたんだ、昨日も、その前も、その前の前も、と本当に、ニコニコと、嬉しそうに。その笑顔を俯いたままちらと上目使いに見た刹那、彼女の心が熱くなった。
 小さな黄金の光が、身体の真ん中から溢れるように感じた。
 その瞬間の彼女には、それが何かまではわからなかった。
 でも、わたしが言おう、それは、恋、だった。
 確かに、恋、だった。
 彼女は、その笑顔をもっと見たい、という衝動を感じて、顔を上げた。
 そして、彼はいなかった。
 いや、彼がいないどころか、目の前には見知らぬ風景が広がっていた。どこかはわからなかったけど、でも、少なくとも自分がいたはずの公園じゃなかった。
 そしてわかった。アレがまた起きた、って。最悪のタイミングで。
 自分に垂らされた蜘蛛の糸を、つかみかけたその瞬間に。
 でも、わかった。
 それまで、彼女は、ずっとアレが起きるきっかけを考え続け、試し続けて来たんだ。だから、すぐに理解できた。
 恋、だ、多分、わたしは今、恋をした、だから、転送された、って。
 思えば、あの六歳の時も、大好きな男の子とかくれんぼして遊んでいたときだった。もう、それ以外にきっかけとなるものは無いような気がした。
 幸い、転送先は、家からそう遠くないところだった。だから、遅くなってもなんとか家に帰ったわけだけど、またあの『癖』が出たのかと疑う冷たい目で自分を見詰める両親に叱られながらでも、彼女は興奮を抑えることができなかった。
 眠れなかったよ。人生で一番嬉しかった。
 そして再現性を確認する必要があった。いや、そういうジム的なことじゃなく、むしろ逆にこの自分が感じている喜びをあの少年に伝えたかった。
『彼』と会うのが楽しみで仕方がなかった。
 でも、その時、彼女はとても大事なことに気付いていなかったんだ。
 何だかわかるかい?
 そう、もう彼女は二度とその少年と会うことができなかったんだ。だって、その少年を視界に入れた瞬間、彼の存在を感じた瞬間、転送されてしまうんだから。
 何度公園に行っても、彼と話すことも、笑いあうことも、触れることもできなかった。
 皮肉なもんでさ、その障害が、彼に対する恋心をより激しくした。恋心が激しくなればなるほど、簡単に、より遠くに転送されてしまうんだけどね。
 でも、さすがにすぐに帰れない場所まで転送されるようになってからは、あの公園で待っているだろうその少年に会いに行くことはできなくなった。
 本当に皮肉なもんだね、あれほど望んでいたはずだったのに、今度は転送されてしまうということが悲しくて、辛くて、やりきれなくて……でも、その少女はもしかしたら薄情だったのかもしれない。会わないで居る内に、彼のイメージが薄れていって、で、いつか恋と呼べる感情も消えていった。
 あの少年はいまどうしてるんだろう、なんて、時々彼女は思うけどね。
 そうだな、今でも、アレは特別なのかもしれない。せめてもっと話したかったって、できれば、触れたかったって、後悔している。
 だから、彼女は今、好きになりそうな相手がいたら、好きになるその前に、いっぱい話をしたいし、迷わず抱くし、たくさん触れるんだ。もう、あんな後悔はしたくないからね」

 遊の目が、狭い部屋の中で、どこか遠くへと虚ろに向けられていました。
 まあ、確認するまでもなく話の中の「彼女」「少女」は、遊のことだと想像がつきました。
 僕は、何と言って良いかわかりませんでした。わからないけれど、こんな長い話の感想くらいは言わなければならないような気がしました。でも、僕は感想文が苦手です。だからこんなことを言いました。
「一言で纏めていいか?」
「ん?」
「恋をすると、瞬間移動してしまう、ってことだよな」
 僕の要約に、こくん、と遊は頷きました。頷いて、僕ににじり寄り、そして、ぎゅっと僕を抱き締めました。僕の胸に顔を埋めて大きく息を吸うと、うん、君は、こんな形だ、こんな匂いだ、と呟きました。
 それが、何かしら遊にとって切ないことであるのは、僕を抱き締める力の強さから推し量れはしましたが、僕が同じ気持ちでいたかと言うと、そうでもありません。
 ファンタジーでした。じゃなきゃ、危ない妄想でした。もしくは、嘘、でした。
 僕は自分の世界を、実は何でもありのファンタジー世界にしたいとは思いませんでした。
 思ってはいませんでしたが、もし嘘だとして、そんな嘘をつかせる何かがあるのだ、と僕は感じました。
 それは、きっと深刻な事情なのだ、と想像できました。
 僕は、それを知りたくなった。どうしても知らなくちゃいけない、と思わせる迫力が、その口調にありました。
 なら、話を合わせよう、そして、できるだけ話させて、その嘘を遊自身によって破綻させよう、僕はそれを見逃さずに捕まえて、彼女の隠している本当の事情にせまろう、そんな風に僕は決意しました。
「なら、恋をしないで、一カ所にいればいいじゃないか」と僕はいいました。
「ん?」遊は僕の胸から顔を上げました。
「いや、だからさ、恋を我慢してさえいればどこにもいかないんだろ? 少なくとも一カ所に止まることができる。つまらないかもしれないけど、平和に暮らすことができる。
 確かにあまり良い環境にいなかったみたいだけど、もう、その子だってオトナだ、転送しなくても逃げ出せる。どこか、新しい街に行って暮らせば良い。それだけの話じゃないか?」
 遊は、ぐるりと身体を動かして、股の間に分け入り、背中を僕の胸に預けるように座り直しました。まあ、そうなんだ、そうなんだけどね、と遊は言いました。
「彼女ひとりが静かに暮らすだけなら、確かにそうなんだけどさ、でも、それは、実はもうその少女だけの話じゃなかったんだよ」
「ん?」
「でも、ここから先の話はあまり聞かせたくないんだ」
「どうして?」
「言ったろ? 知らない方が安全だって」
「ああ」
「好きになるひとに迷惑なんてかけたくないじゃないか」
 それに信じられないひとには、実に馬鹿馬鹿しい話さ、と言った遊の声は、ひとが真実を述べる時の色をして聞こえました。
 でも、僕は結局「転送」自体を眉唾だと思ってましたから、彼女がどんな「危険」を語っても、それもどうせ嘘だろう、と高をくくっていました。だから、例のフリ、を続けました。
「いいよ、聞くよ」
 遊が少し躊躇ったような間があきました。その躊躇いに嘘は無かったのかもしれません。僕はもう一度、ここまで知ったら、あとは同じだよ、全部話せよ、と言いました。遊は少し真剣な顔をしてから、ボリボリと頭を掻きました。
「じゃあ、話そうか」
「うん」
「例えばさ、瞬間移動できるとしたら、ツトムはどう使う?」
「あ? うーん、狙った場所に行けるなら、交通費が節約できていいな、とか、遅刻しそうな時便利だな、くらいには……」
「……ツトムは善人だね」
「ん?」
「例えばだけど」
「うん」
「ドアを開けなくても、外に出られる。その逆もしかり。これがどういうことかわかるかい?」
「あ」
「そう。瞬間移動が本当に狙ったように、意図的に、できるとしたら、世の中の錠になんの意味もなくなる。セキュリティなんてものが崩壊する」
「うん」
「色んな利用法がある。好きなタレントの控え室。立ち入り禁止の遺跡を見て回ったりもできる。予告通りに銀行の金庫に忍びこむ怪盗なんてのもいいな。そこら辺までならロマンティックだけどね。でも、そうじゃない奴らが世の中にはたくさんいる。そんな甘っちょろい考えを鼻で笑うやつらがね」
「つまり?」
「……六歳の少女たちが消えた時、説明がつかない、ということを受け入れたやつらがいた。
 あの少女の嘘を『嘘』だと見通したやつらがね。
 やつらは、瞬間移動の仕組みがわからないということを受け入れて、その利用法だけを考えた。
 もし、それがコントロールできるのなら、ってね。
 そう、例えば、機密に溢れた研究室。例えば、安全保障上重要な軍事施設。あるいは目障りな要人の執務室。どうだい? 凄いことができそうだよな?」
「……あ……ああ」
「その連中はね、こう思った。このひ弱な国に与えられた神の武器だってね。そうなり得るかもしれない、って。そして『連中』は、消えた少女たちを監視下に置いた。ずっと追跡調査を続けていたんだ。そして、あの少女が、再び消えたことを確認した」
「うん」
「そして、彼らは何をしたか?
 いや、その少女に何が起きたか。
 突然、私立の某学校から、特待生としての誘いがあった。まあ、一流校だよ。学力はもちろん、それ以外の生まれやら育ちが入学に絶対必要な類のね。
 少女にはまるで青天の霹靂だった。だって、成績もあまりよくない、部活にだって入ってない、いじめられっ子に人望だってあるわけがない、親だってただの安給料の勤め人だ。自分に関して、何も良いところなんて見つけられない。それを、最大限の好待遇で迎え入れるって言うんだ。気持ち悪いよね。
 彼女は、まず、断った。でも、教師も、両親も、そこに行く事を勧めた。それでも断り続けるとね、今度は、恫喝し始めた。どうしても、その少女をその学校に転校させなければならない理由があるみたいだった。
……今思うと、幾ら掴まされてたのか、何の弱みを握られていたのか、って感じだけどね。
 少女は怖かった。オトナたちが自分の思い込みや都合で、どんなひどいことをするか、自分の肌に残る焼け焦げが教えてくれた。
 でも、少女は、やがて、思った。全寮制だというその学校に行けば、少なくとも、この世界からは逃れられる。もう嫌なひとたちに会わなくて済むんじゃないか、って。結局、少女は話を承諾した。
 その時の、オトナ達の顔と言ったら! あんな醜い笑顔を見たことがない。
 まあ、それは良い。そして、少女はその『学校』に行く事になった。高そうな車の迎えが来たよ。オトナたちに囲まれるように、その車に乗って……それから、もう、記憶がない。多分薬か何かを使われたんだと思う。
 気付いたら、知らない部屋にいた。
 拘束はされてなかったけど、白い壁の牢のような部屋で、太い鉄骨みたいな鉄格子の向こうに、通路があって、扉には鍵がかかっていた。むき出しの便器もあった。でもそれすらも画角に入りそうなカメラが部屋の高い天井の四隅にぶら下がってた。
 少女は、叫んだ。内臓を絞り出すくらいの大声で。ここはどこ? 出して! って。しばらくそうしていたけど、いつか、そんな力も無くなって、涙だけが垂れ落ちるみたいに流れて行って。
 そうしたら、鉄格子の向こうの通路に、スーツを着た中年の女が立った。
 少女は、もうふらふらだったけど、なんとか立ち上がり、鉄格子を掴んで、ここを出して、と女に叫んだ。声はもう、つぶれる寸前だったけどね。
 女はね、とても優しげな、でも、どこか胡散臭い微笑みを浮かべて、初めまして、よろしく、ミツウラシゲルと言います、と言った。ようこそ、ユウちゃん、って……あ」

 遊が口を抑えました。僕は、ひとつ息をついて、言っちゃったね、とその後頭部に向けて声を掛けました。言っちゃったなあ、はは、と遊が掠れた笑い声を洩らしました。わかったよ、わかってたから、先を続けて、と僕は言いました。遊は頷くと、話を続けました。

「ミツウラは訊いた。
 その身体にいくつもある焦げ痕は、ご両親がつけたの? って。
 わたしは、頷いた。ひどいことするのね、って彼女は言った。
 わたしが、とまどっているとね、ここではもうそんなことされないからね、くだらない世界から、わたしたちがあなたを守ってあげるから、とか何とか言ってた。
 牢に閉じ込めてるくせにね。
 わたしは、もう、力無く、ここを出して下さいってお願いするしか無かった。そんなことを思ったわたしの心を読み取るかのように、ミツウラは、あなたを閉じ込めてるんじゃなくて、守るためにこうしているの、今だけよ、永遠じゃない、と言った。
『あなたは、世界とうまくやれない。特別な子だから。特別過ぎて、誰も理解できないから。でも、わたしはわかる。だからわたしがあなたを守るわ。何があってもね』
 そんなミツウラを信じたわけじゃないけど、その後何度も繰り返されることになるその意味不明で意味深長な言葉を、わたしの心は跳ね返すことなんてできなかった。
 戸惑う私を見て、ミツウラは、それにあなたがその特別な能力を発揮したら、すぐにでも出られるわ、こんな檻、あなたには無意味でしょう? って微笑った。
 わたしの身体は固まってしまった。
 今でこそこうして話せるようになったけれど、わたしが転送してしまったということは、誰にも言っちゃいけないことだった。何重もの意味でね。だから、わたしは緊張した。でもそんなこと気にもしないように、ミツウラは、わかるわ、と小声で言った。わたしはその表情から何かを読み取ろうとしたけど、何も読み取れなかった。
 ミツウラは、わかるわ、ともう一度呟くと、あなたがオトナを、人間を信じられないのは良く知ってる、ひどいことされてきたものね、信じてもらえなかったものね、でも、わたしたちはあなたの能力を否定しない、ちゃんと信じてる、そして、そのチカラを活かす方法も知ってる、ここでは何も嘘をつく必要がない、あなたは本来のあなた自身で生きていくことができる、そのサポートをわたしたちが全力でする、そんなようなことを語った。
 わたしは戸惑った。嬉しいとは思わなかったけど、でも、人生で緩めることを許されなかった防御姿勢が、少し、緩んだ。
 その緩みを見透かしたかのように、ミツウラは穏やかな口調で、銀色に光る指輪のついた指で鉄格子をなぞりながら、こう続けた。
 あなたの能力を信じているから、こんな檻が、檻じゃないことくらい知ってるわ、ねえ、見せて欲しいの、あなたの能力を示して欲しいのよ、自分の力でここを出てみせてくれないかしら?
――ああ、わたしは単純だった。コドモだった。その優しげな言葉にどんな意図が隠されているかなんて考えも及ばなかった。
 去り際にミツウラは、あなたがここから出られたら、他の同じ能力の女の子たちも交えて一緒にお茶会をしましょ、おいしい紅茶が手に入ったの、楽しみにしているわ、と言い残していった。
 わたしはそれを言葉通りに受け取った。本当に、疑いも無く。
 というか、他にもここにわたしと同じあの少女たちがいるんだ、とわかった。
 嬉しかった。
 一瞬だけ。
 すぐに自分がかつてついた『嘘』が身体を重くした。謝らなきゃ、と思った。でも、もし、出会ったら、きっと皆わたしを責めるだろう、と思った。わたしの『嘘』の巻き添えになった人達が許してくれると思えなかった。怖かった。わたしに楽観が無かったわけじゃない、もしかしたら、本当の友達ができるかもしれないっていう想いは消せなかった。
 消せなかったというより、怯えと喜びが、心の中に同時にわき上がって、その境界で混じり合っていた。
 でもね、人間はネガティブなものに浸って居続けられるほど強くない。そこに温かいものがあるなら、その可能性が感じられたなら、そこへ向かってしまうものなのよ。わたしのしたことはひどいことだったかもしれない、でも、謝ったら、許して貰えるかもしれない、そんな風に、次の朝――本当に朝だったかどうかはわからないけれど――目が覚めた時、想った」

 遊が僕の膝の間で、こくん、と唾を飲んだのが判りました。
 随分話しましたからね。多分話し疲れたんだろうと僕は思いました。
 そうですね。僕も、正直なところ聞き疲れていました。多少興味深くはあったけれど、でも、嘘だと思っている話を、それも真剣なフリをしながら聞くのは、確かにしんどかった。
 僕は、今日はここまでにしようか、と言いました。遊は、でも……と何か不安げに呟きました。僕は僕なりに察して、まだ、僕を本式には好きじゃないんだろう? と問いかけました。だったら、また明日続きは聞けるじゃないか、と。そうだね、と遊は僕の胸に後頭部を付けました。
 寝ようか、と訊ねると、遊は、今日は、ツトムと一緒にベッドで寝てもいいかな、と僕の太ももに手をのせました。
 僕に期待がなかったと言えば嘘になりますが、この「危険な」女の子に手を出すことに僕は躊躇いがありました。抜き差しならぬ関係になったとき、つまり、彼女の「真実」をわかってしまったとき、身体の繋がりがあることにより僕にかかる負担は相当になると推測できました。
 だから、ベッドは使っていいよ、僕が床に寝る、と応えました。
 まるで紳士の振るまいのように。
 遊は、……やった! と戯けました。
 その後、僕たちはそれぞれに横になりました。電気を消して、でも、寝付けませんでした。
 何十分たったかわかりません。もしかしたら、二、三分だったのかもしれない。
 ツトム、起きてる? と遊の声がしました。僕は応えませんでした。
 すると、ゴソゴソと音がして、床で眠ったふりをした僕の横に、そっと遊は横たわりました。僕は慌てて目を強く瞑り、何気なく寝返りをうったフリをして、背中を向けました。その背中に遊は寄り添い、僕に腕を伸ばして、柔らかく抱き締めました。
 ばれてるぞ、狸寝入り、と遊が可笑しそうに笑いました。彼女の手がすっと僕の肩から手の先へと動き、そして、僕の指を絡め取りました。
 僕は、セックスならしないぞ、と言いました。いいよ、しなくて、と遊は応えました。
 まあ、身体の状態だけを言うなら、してもよかったんですが、でも、心理的にはどうしても抵抗感が消えませんでした。
 そこでも遊はもう一押しをしてくれませんでしたしね。
 だから、僕は背を向け続けました。僕の匂いを嗅ぐように、深く呼吸をした遊が、ぽつり、とこんなことを言いました。
「ツトムのことも聞きたいな」
「ん?」
「どんな子供だった?」
「さあね」
「どんなことしてきたの?」
 僕には語って聞かせるような、人を喜ばせるような、話せる秘密がありませんでした。特にないよ、と応えるしかありませんでした。
 えー? 何かあるでしょ? と遊はそんな時だけもう一押しをしました。なんとなくさっきの話の途中で思い出した話をしていいか、と思いました。
 僕は、遊に背を向け続けたまま、暗闇に向かって話しました。
「僕もいじめられっ子だった」
「うん」
「友達もいなかった」
「うん」
「親は厳しかった」
「うん」
「助けてくれなかった」
「うん」
「ある日、教室の窓ガラスが割れてた」
「うん」
「学級会で、犯人探しがあった」
「うん」
「皆が、僕のせいにした」
「うん」
「僕は否定したのに」
「うん」
「先生まで、僕を疑った」
「うん」
「先生は、放課後僕を職員室に呼び出してこんなことを言ったよ。『黍島くん、自分がやったことを素直に認めないのは、よくないわ』って」
「うん」
「『ねえ、先生、誰にも言わないから、本当のことを言って』って」
「うん」
「僕は、本当のことを言った。僕じゃないって」
「うん」
「そしたら『わかったわ、黍島くんがやったんじゃない。わかってるわ。だから、先生、誰にも言わないからね』って。僕は、やったなんて一言も言ってないのに」
「うん」
「で」
「うん」
「家に帰ったら、まだ早い時間に父親が帰ってきて」
「うん」
「凄い顔して、僕の襟首を掴んで投げ飛ばして」
「うん」
「そのまま何発も殴られて」
「うん」
「正座させられて」
「うん」
「『お前がやったんだろ? やったことは仕方無い。でも、どうして嘘をつくんだ』って何発も何発も。ひどいことを繰り返し。気を失いそうになるまで」
「うん」
「僕も、自白した」
「うん」
「校長やら担任やらに謝らされて」
「うん」
「教室に入ったら、クラスの連中が、まるでマネキンみたいに無表情で並んで座ってて」
「うん」
「でも、腹の底でニヤニヤと嗤っているのが伝わってきて」
「うん」
「僕は、その時、もう誰も信じないって決めた」
「うん」
「それだけ」
「うん」
 静かな夜でした。そんな静かな夜にも、遊の呼吸が聞こえていました。遊はこつん、と枕代わりの座布団の上で、僕の頭に額をつけました。そして、言いました。
「そんなツトムがわたしを信じてくれるんだね」
「あ……ああ」
「嬉しいよ」
「……ああ」
「ああ、それはさ、信じてくれることだけが嬉しいんじゃなくて」
「ん?」
「ツトムが、また人を信じられるようになったことが、嬉しいんだ。人間には回復の可能性があるってことが」
「……もう随分前の話だし、そうは言っても、子供の決意だったからな」
 人間は、強いね、と遊が、何かを噛みしめるように言いました。そうかな、と僕は応えました。そして、僕の手を握る遊の手に、ぎゅっと力が込められました。
 ねえ? と遊が僕に問いかけました。
「ん?」
「わたしたちは、似ている。最初思ったよりずっと」
 僕は、その意味なんて考えずに、そうかよ、と応えて、遊の手を振り解き、閉じこもるように身を丸めました。
 すぐに眠りが落ちてきました。でも、その眠りに呑み込まれようとしたとき、遊の声がしたような気がしました。何と言ったのかわかりません。
 だけど、多分、「ごめん」だったと思います。
 その言葉の意味は、深い暗闇の中に溶けていって、僕はつかみ取ることはできませんでした。

<#04終わり、#05に続く


 この物語はフィクションです。実在するあらゆる個人・団体・学校・組織および事件・事象などとは一切関係ありません。
 また、この作品は2016年にKDP・Amazonで電子出版された作品に読みやすくするため改行や若干の言葉の変更などを加え、分割して順次掲載する予定のものです。以前の電子書籍版と大筋において変更はありません。

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