【連載小説】Words #14
この物語はフィクションです。
作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。
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僕が、すっかり経堂に影響されて、「フツーの連中とは違うこと」をするために、休み時間、教室で倫生の過去問題集をひとり解いていると、目の前に人影が立った。
まあ、夢中で勉強しているポーズを取りながら、多分に人の目を気にしている僕は、一旦、気付かないフリをして、その人影がそれでも動かないのを確認してから、たった今まで気付かなかったという驚きを演技して、顔を上げた。いつか真沢について教えてくれた、彼女のグループの遠藤だった。
遠藤しぐれ、僕の気になる女の子リストにはいない子。そんな子が、少し、真剣な顔をして、僕を見下ろしていた。
「何?」
「ちょっと、いい?」
「……うん」
彼女は僕の頷きを確かめると、すっと、教室の出口に向かう。僕も、それに付き従う。やや、タイミングをずらして。
教室で、女子が男子を呼び出して、二人連れでどこかに消える、などということは、あってはいけないことなのだ。からかいの的になる。
それも、かほ里レベルなら、っせーな、とか不機嫌そうに言い返しながらも、からかわれ甲斐もあろうが、遠藤とは、ちょっと事情が違う。あえて詳しくは書かないけれど。
え? またモテちゃうんじゃねーの? みたいなことを思わないでもない。でも、真沢のトモダチだ。なんとなく、真沢がらみの用事だと、思う。
真沢を見る。こちらなどまるで気にせず、友人達と何やら会話している。僕は、期待と不安に塗れて、教室を出た。
少し離れて、遠藤の後についていくと、彼女は昼休み、ひとけの無い音楽室まで歩いて行った。僕は、あのピアノの前、遠藤と向かいあった。
で、何も意識してませんよ、という顔をして、訊いた。
「で、何?」
遠藤は、真剣な顔に、少し怒りを浮かべて、僕を睨み付けた。
「佳織ちゃんのこと」
ああ、やっぱり、と思った。そして、別に気になる女の子なわけでもないその子から、何か好意を表明されるのではないか、と期待した心が、だだすべりして、寒い。それをごまかすように、僕は会話を促す。
「で?」
「なんで、大切にしてくれなかったの?」
「え?」
「本当に、佳織ちゃん、あんたのこと好きだったんだよ?」
「……」
「ムリして身体壊すくらい」
「……」
「なんで、別れるって、引き留めなかったの?」
「……」
「終わりにするなんて、そんなの、本気じゃないに決まってるでしょ?」
「……」
「止めて欲しかったんだよ!」
潤んだ瞳が、僕を、叱りつけている。僕は思う。別に、他人のことで、そこまで怒る必要はないだろうに。
「そんなこと言われたって……わからないじゃん、そんなの……嫌いになったのかな、って、思ったりするし」
「仮に!」
「うん」
「仮に、佳織ちゃんがあんたのこと嫌いになったとして、それでもあんたが佳織ちゃんを好きなら!」
「うん」
「本当に好きなら、少しくらい、止めるでしょう?」
「……そうなの?」
「そうだよ!」
「ああ……」
遠藤は、鼻で、少し興奮をおさめるかのように、大きく、ひとつ、息をついた。
「やり直して」
「は?」
「佳織ちゃんとやり直して」
やり直す、と言ったって、僕は、何もやってないから、何をやり直せばいいのか、良くわからない。
「あのさ」
「何?」
「僕たち、付き合うっていっても、何も、してない」
「……」
「教室で話ができるわけでもないし。ネームを交換して、ただ無視し合って、手紙をこっそり遣り取りするだけ」
「……」
「どこかに出掛けたいと思っても、ウチ、こづかいもらえないし、だから、映画の時だって、お金貯めるの、すごく苦労したんだ。それに今は受験で、休みも外に出られない。しょっちゅうなんてでかけられない」
「……」
「何を、やり直せば、いい?」
「……それは」
遠藤は、まだ怒りを滲ませながら、でも、少し考えるかのように、視線を下げた。しかし、またすぐに感情のこもった瞳で僕を見詰めると、彼女は言った。
「協力する」
「え?」
「わたし、協力するから」
「え? だから何を?」
「よく、まだ、わからないけど!」
「……」
「協力するから! 二人がうまくいくように」
「……」
「た、例えば、手紙の受け渡しとか、何かの連絡の橋渡しとか!」
「……」
「だから!」
「……」
「いま、手紙を書いて」
「は?」
「もう一度、付き合おうって、書いて!」
よくわからないけれど、遠藤は、真剣だった。真剣すぎて、なんだか、僕はおかしかった。
これは僕の物語だった。山場も濡れ場も、何もないオハナシだったけれど。
僕は、なんとなく疲労を感じた。
遠藤は、確かに真沢にとっていいトモダチだったのかもしれない。彼女の意を汲んで、彼女のために、こんなことができる。
でも、その、トモダチのための行動の中に、僕の気持ちなんて少しも含まれていない。
彼女は言っているのだ。アンタの気持ちなんて、どうでもいい、と。ワタシのトモダチのために、やり直せ、と。
恋にまつわるワンシーンに、僕が、本当に冷めた気分でいたかどうか、それは自信が無い。そういう遣り取りに、高揚しなかったなんて、言えないだろう。
でも、胸の辺りに痞えて、喉の奥で暴れ続ける違和感だけは、どうしても、拭えなかった。少し、指が痺れていた。僕は、それを言葉にできなくて、だから、遠藤にこう言った。
「わかった。明日までに」
少し戸惑ったように遠藤の表情が呆けたのが僕には不思議だったけれど、僕は背中を向け、ドアへと歩いた。感覚の薄い指を扉に掛けたとき、その背中に、さっきまでのドラマ口調ではない、ほっとした声が聞こえた。
「絶対だよ」
僕は、少し振り向いた。遠藤は、ヤサシク微笑っていた。
僕は、言われた通り、手紙を書こうと、放課後、頭を抱えていた。
もちろん、かほ里の隣でイヤフォンを片方かけて。
かほ里は僕にくれたあのCDを買い直したらしい。おざなりにしか聴いてこなかった僕にもなじみになった声とピアノが響いている。
かほ里が、何も書かれていないレポート用紙をときおり眺めては、鼻を鳴らす。僕は、そんなものも気にならない。もはや、僕が何かを書くということは、かほ里に対して、隠すべきコトではなくなっていた。
「歌詞?」
「……手紙」
隠すべきコトどころか、僕は自分が何かを書くひとなのだ、とかほ里にはむしろアピールしたい。だから、気の利いたことなど何も浮かばないクセに、真剣に悩んだふりをする。たとえばこんなことを訊くために。
「あのさ」
「なん?」
「ヨリを戻すとき、なんて言えばいいの?」
かほ里が、また、鼻をならして、シラけた顔を僕から背ける。
「しらんわ、んなこと」
「……だよね」
「どっかからパクったらいいんやけ。いつもみたいに」
「…………だよね」
かほ里がその長い手脚を伸ばし、天井を仰いだ。
その身体に、まとわりつく制服が、肉の凹凸をあからさまに表現していて、僕は、それを見詰めていてはいけないのだと思う。でも、視線は、その傾斜をなぞるように動いて、正直な自分の輪郭を描き出した。
あの廊下の半裸が重なる。
きっと、夜、僕はその映像を思い返して、加工して、柔らかさを妄想することになる。
味が、知りたい。その、素肌の、唇の、あるいは、その指の。
そうすれば、もっと妄想は現実味を帯びるのに。
疚しくて、切実な、希い。かほ里が、そのそばにいることを許すから、抱かざるを得ない欲望。その許可されたラインが深いところにあると思われるからこそ、許されない衝動。
もし、僕が、それを耐えきれず跨いでしまったら、失われるだろうということだけがわかるもの。
そんな勇気もないくせに、でも、そのもう一歩を意識せざるを得ない。
あけすけに、身体を晒す女。
自分が甘美な肉であることを隠さないひと。
どうにかなってしまう、と思う。でも、僕に狂気に走る才覚もない。
ただ、常識的に、常識に縛られた、コドモ。相手に危険すら感じて貰えない存在。
僕は、自分の中のオトコを示したくなる。だから、書いた。
かほ里が、僕のシャーペンの動きに、目を遣り、そして、また鼻を鳴らす。
「また、それか」
「……」
「そんで? 出会わなかったら?」
「……」
僕は、大きく息を吸い、そして、シャーペンを握り直す。
かほ里が、く、と笑った。僕は顔も上げられなかった。
「手紙?」
「……うん」
「歌詞」
「……うん」
「どっち?」
「……わからない」
「字数が、めちゃくちゃやけ」
「……うん」
「内容も」
「……うん」
「だから、『歌詞』。つくりもん」
「……うん」
「読んだら、真沢、どんな顔するやろ」
「……うん」
「ん」
「うん」
「ここだけの、話にしとき。つくり話に」
「……うん」
「ほんで」
「……」
「『好きだ』って言うな」
「……」
僕は、顔を上げた。かほ里の目が僕をヤサシク眺め続けていた。僕の手は、つい、彼女の手に伸びようとして、止まる。それを知ってか知らずか、かほ里のほうの指が僕の手の甲にのり、そして、ひやりと人差し指をなぞっていく。かほ里が少し顔を逸らし、宙を見つめて言う。
「みんな、いずれ、するのにな」
「……」
「好き、なんて言葉は、そのためにあるのにな」
「……」
「なのに、そんなことが無くっても好きなんだ、って言わなくちゃいけないんやけ」
「……」
「それだけしか、ないのにな」
「……」
「その先に、それだけしかないのなんて、みんなわかってるのにな」
「……」
かほ里の言葉の間、かほ里の指は僕をなぞり続け、やがて、拳を解きほぐすように絡んで、掌を合わせるように、冷たく僕を掴んだ。
その冷たさが、感度の落ちていたはずの指に、血を通す。
耳には、古い、邦楽。永遠を歌う、あのウタ。
キスが欲しい。その胸元を開きたい。抱き締めて、液体を交わして、自分の中の獣を、獣としての自分を、受け入れて貰いたい。
美しい言葉が、切ない音色が、逆に僕の暗闇を明らかにする。
そんな疚しい自分を、僕は必死で堪える。僕が生きているのは、漫画でも小説でも、まして、アダルトビデオの世界でもない。だからといって、ここは、美しいウタの世界でもないのだ。
かほ里が、ぽつり言う。
「でも、あんたとはせんよ」
「……」
拒絶されて、僕は自分の限界を突きつけられる。僕とかほ里が別の、別々の、人間なのだとわかる。悲しくてみっともない心が、それでも可能性を探して、言葉をこみ上げさせる。
「どうして?」
「……ん」
かほ里は繋いだ手に少しだけ力を籠めて、そして、左手を僕の拳にこれで終わりと言い聞かせるように添え、その手を離し、あっさりと立ち上がった。立ち上がり、僕の書いたものを雑に取り上げると、それをしまい込んだ鞄を肩で持って、立ち去ろうとした。左手に粘りつく、つめたさと汗の余韻。その背中に、僕はもう一度問わずにいられなかった。
「どうして?」
かほ里は、少し首を傾げて、立ち止まり、応えた。
「……そうやな」
「?」
「……あんたは……とっとく」
「……え?」
「……レンアイなんて、つまらんことやけ」
「……」
そのままかほ里は教室から去った。よくわからなかった。僕の暴走した「歌詞」は、一度、やんわりと、拒まれた。
しかし、そこには、もうひとつ奥があった。
それを感じても、僕は、かほ里が僕に許したそんな場所が、一体どこなのかわからなかった。どんな風に想い、どう振る舞えばいいのか、全然理解できなかった。
僕は自分が、どこか、ただ殺伐とした広い空間に吊されてしまったような気がした。
だから、僕はそこにそのまま残り、あっちのカオリに、手紙を書いた。一度、暴走を窘められたせいで、僕は冷静にそれを書いた。
『真沢さん。
もう一度やり直しませんか?
うまく言えないけど、
僕は、そうしたいと想っています。』
なんの興奮も余韻もなく、僕はそのレポート用紙をたたんで、真沢の机に差し込み、教室を出た。
数日後、真沢からのこんな手紙が、遠藤から、手渡された。
『うん。
やり直そう。
つらかったの。なんだかうまくいかなくて。
もっとしてあげたいことが、してほしいことが、
一緒にしたいことが、あるのに。
どれも、うまくいかなくて。
だから、我慢ができなくて、
終わりにしようなんて言ってしまいました。
今度は、もっと、気軽にできたらいいね。
でも、あのひとたちから、睨まれてるし、
きみを巻き込むことになるから、
やっぱり教室ではムリかもだけど。
でも、この手紙もそうだけど、
しぐれちゃんが協力してくれるっていうから、
どこか、他で会えたらいいな。
とにかく、もう一度、よろしくお願いします。』
僕たちはそうしてやり直すことになった。とは言っても、その時の僕に、だったらどうすればいいのかなんてアイディアは無かった。だから、僕たちの仮面『絶交』は続いた。
時折真沢から手紙があり、僕は相変わらずかほ里の影響を受けた返事を授業中に書いては返し続けた。あるとき、ひとけない階段下で真沢からの手紙を手渡したあと、遠藤が言った。
「あのさ」
「うん」
「佳織ちゃんをどこかに誘ったげて」
「え?」
「佳織ちゃん、どこかに行きたいんだって、あんたと」
「はあ……でも、僕、金ないし」
「……」
遠藤は、少し僕を憐れむように眺めて、ひとつ、わざとらしいため息をついた。
「何?」
「お金、貸すよ」
「え?」
「そんなにいっぱいは貸せないけど」
「……いや」
「わたし、結構貯金あるんだ。今までのお小遣いとかお年玉とか、全部使わないで貯めてるから」
「……だけど」
遠藤は、僕に一歩詰め寄って、キビシク僕を睨んだ。僕は、何も言えなかった。
「あんたのためじゃない」
「……」
「佳織ちゃんのため」
「……うん」
「うん」
僕が、曖昧に頷いたのを見て、満足げに遠藤は、小さな可愛らしいがま口をポケットから取り出し、そして、そこから小さく折りたたまれた札を僕に握らせた。
「今度は、ちゃんと、一緒に映画を見てあげて」
「……」
「おごってあげるんだよ」
遠藤は、くるり振り向いて、その場を離れて行った。僕は、手に握られたものを改めて確認した。五千円だった。驚いた。僕は慌ててそれをポケットにねじ込んだ。
僕はそんな大金に、それまでの人生で一度だって触れたことが無かった。僕は、わけもわからずその後の授業を受けた。
たかが紙。でもその紙は、ただの紙ではない。ポケットの中で、軽くて重いものの存在が僕の意識を強ばらせる。僕は何度もズボンの上から、その存在を確認せずにはいられなかった。そして、それが無くなっていないことに、安堵し、緊張する。なのに、微熱でもあるみたいに、身体がフワフワする。
そんな状態は、放課後まで続き、僕は、かほ里のそばに座ることすら忘れて、気付いたら繁華街にいた。店先にディスプレイされた商品や、飲食店のメニュー眺めて、歩いた。
そんなことをしたのは初めてだった。それらは、それまで、自分とはまるで関係の無いものだった。服にしろ、ファーストフードにしろ、母が選ぶものか禁止されているもので――僕には買えないもので――どこか遠い世界の、おとぎ話のように思っていたから。
でも、ポケットの五千円が、その世界のゲートをこじ開けて、自分を幻想の、関係ないと思い込んでいた場所へと誘っていた。
道々、その紙切れ一枚が、お前は何でもできるのだと、囁き続ける。
いや、これは、真沢のために使うものだ、とその度に僕は、暗くて甘いその囁きに抗ってみせる。でも、それは頼りない。徐々にその音量を落として、やがて、掠れて消える。
僕は、それを使わなくてはならない! いつのまにかそんな風に僕の心は支配される。
そして、そのタイミングで、僕はCDショップの前を通り掛かる。
見るだけ、見るだけだから。
僕は、それでも一応、内心で言い訳しながら、その入り口を通り抜ける。僕は、商品のどれもを正視できない。
ただ、そこに山ほどのオンガクがある。かほ里との、繋がりが。
僕は、ふと思いつく。母に取り上げられたCDを、ここで買ってしまえばいいんじゃないか、と。
そして、今度こそ真面目に聴いて、かほ里に、あの「○○」って曲、良いよね、とか言えるんじゃないか、と。
僕はKANを探す。いまや決して多く無い枚数が棚に並んでいる。
僕は、ためらう。買う気の無い商品に手を触れてはいけない、というのが、ウチの「躾け」だったから。
触ってしまったら、それは買わなくてはならないものになるから。
でも、冷静さはとうの昔に失われている。どのタイトルかすら、僕にはどうでもいい。もう、その棚の前で僕を金縛りしているものが、何だったかも良くわからない。あっちのカオリのことなど、もう頭の中にはない。
震える指が、挙動不審気味に、そのケースへと、伸びる。
そして、僕が心の矩を超えようとしたその時、手を掴むものがあった。小便でも漏らしそうに驚き、僕は振り向く。ボブカットの女の子が首を傾げ、呆れた様に僕を見詰めていた。
<#14終わり、#15に続く>
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