【連載小説】Words #02
この物語はフィクションです。
作中の人物・団体・学校・事件、及び各種名称、方言などあらゆるものは、創作であり、実在のものとは一切関係がありません。
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僕の創作にたびたび出てくる性的な事象に無感動なヒロインのイメージは、だから、そのときのかほ里に影響されて生まれていると言って良いのかもしれない。
どんなに嘘を重ねて、自分には無いものを書こうとしても、名前を変え、姿を変え、シチュエーションを違えても、その時灼きついてしまったものを、僕は今でも擦り落とすことができずに書き連ねている。
僕は、人生のある一時点まで、それを、強さ、だと思っていた。彼女の強さ、だと。
僕は、そういうものに、憧れたのだ。
その憧れの底に、あの時見た、彼女のカラダが、その柔らかそうな肉の白が、艶めかしく、潜んでいたのだとしても。
でも、僕は、それ以来、かほ里を意識するようになった。人間は欲しいものを見ると言う。僕も人間だった。
退屈な授業中、休み時間トモダチとふざけあっているとき、僕はいつのまにか自分がかほ里を見ているのに気付く。
見る度に、彼女の長所が増える。超然とした背中。長いまつげ。細くて、高い身長に、小さな顔。長めの、不思議な色の髪。やわらかそうな肌。だるそうに机の上に投げ出された伸びやかな腕の先で、リズムを取って動く指。
何、聴いてるんだろうな、とその白いイヤフォンを見て思う。
音楽、好きなのかな?
だとしたら――。
僕は自分の手を見詰める。指を動かす。
でも、それは古時計みたいなものだ。今は、もう、動かない。彼女の好きそうなものを、提供できるようには。
僕は、かつて、もう少し、そいつを自由に使えたのだ。少なくとも「エリーゼのために」くらいなら、弾けるくらいには。
男が誰しもがそうであるように、僕も少年だった。ただの少年だった。そのことをどう物語にしたらいいのかわからないくらい平凡な。
両親は、子供の将来に過剰な期待を掛ける程度の普通の親だったし、僕は毎日習い事にイヤイヤ通いながら、クラスの皆が少年ジャンプを読んだり、草野球をするのをうらやむくらいの、ありきたりの少年だった。
していることの全てがさせられていることで、僕のしたいことなんて、世界に許されていなかった。
ピアノは、母がどうしても僕にさせたかった習い事だった。僕はそう思っている。でも、母は言うのだ。
「あなたがやると言ったのだから、ピアノだって買ったのよ。どれだけムリして買ったと思ってるの。やりなさい」
残念ながら、僕にはそんな記憶が無い。あんなに嫌いだったことを、どうして自分がやると言うはずがあるのか。
でも、母は、その点について、今現在に至っても譲らない。そして、異議を唱える僕にため息をつく。僕もため息をつく。それ以上言い争っても、僕には母に勝つだけの弁舌も無い。
憶えているのは、どこかの音楽教師崩れの、主婦が開いたピアノ教室で、木曜日、バイエルか何かを、手の甲に十円玉をのせて弾かされること。落とすと曲の最初からやり直し。最後まで落とさず弾けなければ練習は終わらない。
アレは何だったんだろう。あなたの子供が音楽をやりたいなどと駄々を捏ね、諸事情でそうしてやれない場合、アレをやらせれば、まず間違い無く音楽を嫌いになってくれる筈だ。高いピアノなど買わずに済む。
僕にとって、ピアノを弾くことは音楽ではなく、ただ十円玉を手の甲から落とさないというゲーム、いや、苦行だった。
それでも、それを真剣に、真っ正直に続けていれば、僕はいつか音楽の愉楽に踏み込めたのかもしれない。
でも、僕は、こざかしい少年でもあった。ピアノ教師が目を離したすきに、十円玉をペロリと舐める。そうすれば、十円玉は手の甲に貼り付いて、容易にはそこからスベり落ちなくなる。そして、僕は定刻通りに帰れるわけだ。
帰ったところで、勉強か読書くらいしかさせてもらえないわけだが、でも、それでも、延々と十円玉ゲームを続けるよりはずっとマシだった。大体、そんなトリックに音で気付かない音楽教師に教わることなんて多く無い。そのはず、だ。
母にとって、音楽など、何の価値も無かった。
その証拠に、家に音楽が流れていたことなど無かった。CDの一枚も彼女は買わなかった。僕に、そんなものを買える小遣いを渡したことも無かった。だから、僕は、誰か音楽家に憧れる環境も無かった。そんな風になりたいと心から願うようなきっかけすらなかった。
あのピアノは、だから、僕を苦しめるためだけに存在する、ただの拷問具に過ぎなかった。僕は、そこから響く「音」を聴いたことなど、無かった。
でも、一度だけ、そのピアノが、音楽を奏でたのを、僕は聴いたことがある。
もちろん、自分の演奏(演奏? は?)では無い。
勤め人だった父は、その休日珍しく昼から酒を飲んで、上機嫌だった。
彼が上機嫌なのは、僕にとっても悪い事じゃなかった。殴られない、ということだったから。
彼は、息子に曲がったことを決して許さなかった。従わないことも、認めなかった。悪い人間ではなかったのだと思う。当時そのくらいは普通だった。
それに、時間のあるときには、割と遊んでくれる。僕の欲しいものに関して、母と比べて理解がある。あくまで相対的に。
しかし、彼は、現在なら児童虐待として通報されてもおかしくないくらいは、僕を殴った。だから、僕は彼が上機嫌でいてくれて、ほっとしていた。僕は、彼が上機嫌でいられるように、曲がったことをしなければいいのだ。
問題は何が「曲がったこと」なのか、その時どきによって変わることであり、僕は、慎重に、彼の顔色をうかがってすごさなければならなかった。
うん、基本、じっと座って本でも読んでいればいいのだ。
そんないつもの微妙な緊張感のある読書をしていたリビングにチャイムが鳴った。玄関のドアの向こうにいたのはネクタイを締めた外国人の二人連れだった。
言うまでも無く、某宗教の勧誘だったわけだが、すっかり出来上がっていた父は二人をリビングへと招き入れた。
別に聞き耳を立てていたわけではないので、その詳しい話の流れやら内容を憶えているわけではないのだけれど、でも、いつしか、話は二人の生い立ちや、母国に残して来た家族など、プライベートな領域に及んでいた。
そして、金髪碧眼の外国人のひとりが僕の拷問具を見て言った。
「ピアーノガアリマスネ。ジツハ、ワタシハミュージシャンニナリタイノデス」
酔っ払ってわざとらしいくらい驚いた表情を見せた父は、じゃあ、何か弾いてくれよ、とその外国人にリクエストした。
彼は、実に嬉しそうに頷くと、アップライトのピアノの椅子に座り、感慨深げに、愛おしそうに蓋を上げ、そっと、本当に、そっと鍵盤に指を置いた。
次の瞬間。
音。
声。
甘く、掠れて、響く声。
ただ、音楽。
僕は、その「拷問具」の本当の姿を見た。
最初は遠慮がちに見えた彼の歌は、二曲、三曲と、曲が変わるたび、潤んだような熱を増していった。僕にその時彼が歌った歌の曲名を憶えていられる知識は無かった。もしかしたらオリジナルだったのかもしれない。英語だった。たぶん。
でも、音楽には言葉の意味を超えて、ひとを融かす力がある。僕も、ただ、それに融かされた。
彼は、数曲歌って、感極まった、今にも涙の零れそうな潤んだ瞳で、アリガトウゴザマス、とお辞儀をした。父が本当の、真に感動したときの大きな拍手を彼に捧げていた。僕も、知らずにそうしていた。
でも、僕は、同時に、台所に立つ母の、何か不穏な気配を視界に入れていた。彼らが帰った後、母は言った。
「あんな曲、低俗よ」
母が何をもってして、彼の演奏を、あの潤んだ青い瞳を、低俗だと言ったのか、良くわからない。彼女がその後の人生で、アメリカのテレビドラマの英語を理解した様子など一度も見た事もなければ、クラッシックのアーティストひとりの名を口にしたことなどないのだから。
ただ、親の影響を全身で受けることを余儀なくされている子供だった僕は、テイゾクなのか、と思った。
その後、僕はバイエルの練習曲を弾いた。どれだけ叩いても、あれだけ響いた美しい音色を、その鍵盤は奏でてはくれなかった。拷問具のままだった。
でも、いいのだ。アレは、テイゾクなのだから。
僕は、そう思い込んだ。
その頃、トモダチの鈴木くんが、バスケットボールを地元の、その小学校を中心とした少年団で始めた。彼は僕にも入団を勧めた。
「なあ、おまえもはいろうぜ。面白いんだぜ、本当に」
彼は、本当に楽しそうに笑ってそう言うのだ。
僕は誘われるまま、体育館に彼の練習を見に行った。器用にドリブルしながら、フェイントを挟み、パスをする鈴木くん。もともと彼が運動に優れていたせいもあるだろうが、その、走り、跳び、シュートを決める姿に、僕は一瞬で魅了された。
アレを、僕もやりたい!
自分なら、もっと上手くやれる!
その頃から、僕はどうにも自信過剰なところがあって、他人がやっていることを、自分もできて当たり前だと思ってしまうくせがある。大した運動神経でもないのに、しかし、その時の僕はそう思った。
思って、少し、気分が重くなった。
僕は、手を使うスポーツを禁止されていた。
ピアノ、のために。
オンガク、のために。
スポーツなら、「やらされていた」。しかし、それは、アイススケートやら水泳やら、サッカーという、手に危険のないスポーツだった。
草野球すらやれなかった。だから、当時少年なら誰でも持っていたグローブひとつ、僕は持っていなかった。
野球には、幸い、それほど渇望は無かったから、それまでは気付かなかったことだけれど、そうしてバスケットボールと出会ってしまった僕にとって、手をつかってはいけない、という束縛は、何にも増して鬱陶しい決まりになった。サッカーボールを蹴っていても、ただ気が重い。
あの、バスケ特有の細かくて機敏なフェイント! 背中越しのパス! 小さなリングに華麗に決めるレイアップシュート! マジックみたいなボールの動き! そしてあの変わったカタチのキュッキュと鳴る靴! バスケットシューズ! スポーツドリンクのボトル!
もう、そう思い始めると、世界の輝きの全てがあの体育館にあるような気がし始める。そして、自分がそんなものから隔絶されていることに絶望すら感じる。
何故、こんな泥だらけになって、思い通りに動かないアシの方でボールを蹴らなければならないのか?
でも、それが僕のウチの決まりである。突き指したら、ピアノの練習ができないし、怪我をしなくても、指が固くなって、演奏にシショウがある。
もう少し大きくなった時、僕は、苦笑したものだ。一体あの田舎町で、三流ピアノ教師につけて、母は一体僕を何にしようとしてたのだろう、と。どう考えたって演奏家になるには、才能の開花が遅すぎる年齢にまでなっていたはずだ。
そんなことすら母は知らなかった。何故なら、オンガクを知らなかったから。CDの一枚も買わないひとだったから。無知で、教養の無い女が、そのコンプレックスを、息子で解消しようとしていただけなのだ。
辛辣過ぎる? でも、習字にしろ、英会話にしろ、水泳にしろ、ピアノにしろ、ソロバンにしろ、彼女にできることなんて一つも無かった。彼女が僕に読むことを強制した児童文学全集の中に、彼女自身が感動した物語など、一篇も無かった。読んでいないのだから。
母親が、その母親から聴いて、その子供に伝える物語がある。夜、眠る前に、愛情と信頼を伝え合う儀式が。そこで、自分の感動したその気持ちを伝えたくて、母親は、子供に語りかける。
でも、その児童文学全集に、そんなモノは無い。
僕の母は、ただひたすらカタチだけを、僕に押しつけて、中身を籠めることをしないひとだった。自分の愛するものを、明かしたりしないひとだった。もしかしたら、何も愛したことの無いひとだった。
きっと、僕に手を使うスポーツをさせないことだって、ちょっとどこかで耳に挟んだ、音楽家の噂話でも、真似ただけだったのだろうと思う。ただ、それだけの、空虚な決まり。それは子供の僕にとっては、まだ気づけないことだ。
ただひたすら親という理不尽な権力によって、拘束され続けていることに、不満だけを高めているような毎日だった。
僕の中の内圧は高まって、それを逃がす穴を子供ながらにずっと探していたのかも知れない。そして、きっと、「鈴木くんのバスケットボール」は、そんな僕に、小さな穴を開ける針だったのだ。
そして、ゴム風船が、あっけなく割れるように、僕の想いは爆発した。
僕は、誰にも断ることもなく、そのチームに入った。
思っていたようにボールを扱えるわけでも、カラダが動くわけでもなかったが、僕は、その「上手くやれないこと」に感動していた。
ドリブルしようとすれば、足に当たる。パスをすれば、明後日の方向に相手を走らすことになる。リングのはるか手前でシュートは床に落ちる。
でも! 何故かそれが楽しいのだ。僕の心を沸き立たせるのだ。ピアノの鍵盤が音楽を奏でないときにはただ苦しいだけだったのに、ボールに振り回される自分のことは何故か好ましかったのだ。
僕は、そんな気持ちを、人生で初めて知った。そして、きっと、それは僕に向いていた。一週間もすると、僕は周りの同学年の選手たちと同じように、ボールを扱えるようになった。そのことが余計、そのスポーツを好きにさせる。
楽しい。楽しい。楽しい。
楽しい!
今の僕が振り返るに、僕の人生で、あの時以上に、楽しかったことはない。ピアノの時には、ズルをしても帰ろうとした練習時間が、バスケットボールの時は、どうしてそんなに早く終わってしまうのか、悲しかった。バスケットボールは、楽しかった。ただ、楽しかった。
しかし、風船が破裂するときには、大きな音を伴うモノだ。僕の爆発も、実は、大人達を驚かせ、困惑させ、怒らせることになった。
<#02終わり、#03に続く>
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