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ある日、ボロボロのクッション

不意に目線を足元に下げると、小綺麗に掃除され少し光沢がある茶色いフローリング調のフロアの上に、微量の黒い粉のようなものが見えた。オフィスのフロアには似つかわしくない光景だ。

「ん…? 土?」

オフィスのある東京・目黒は都会だが、街路樹もあるし公園もある。たまたま衣服(それこそズボンの裾など)に土が付いて、この辺りで払ったのかも知れない。何せ今居るフロアは10階よりも上で、ビルの入り口からエレベーターまでも少しの距離がある。靴の底についたくらいでは、ここまで運ぶのは意図的に努力したとしても一苦労だ。

おっといけない。今はチームの振り返り会の真っ最中だった。ちゃんと自分の意見を表明するために付箋に書き出さないと。だから執務室内ではなく、大きなホワイトボードが壁一面に張ってありフローリング調の床になっているセミナールームにみんなと居るのだ。集中しなければ。

自分を含めた数人が付箋に言いたいこと(この行動は良かったので継続したい、問題点、試したいこと)を各々が書き終え、座高が低めのイスから立ち上がって一斉にホワイトボードに貼っていく。
振り返り会は、週終わりの夕方に毎週定期開催されていた。この会を迎えると、今週も一段落ついたという安堵や短い期間を走り切った(実際に体は動いてないが)疲労感や休日の予定に向けたワクワク感など様々な感情が入り混じって湧いてくる。そんなものだから集中力が散漫になるのも無理はない。

ひとしきり全員の意見を交換した後、メンバーの1人が僕に向かって声をかけてきた。
「あれ? xxさんの周り、何か汚れてません?」

あぁ、さっき見た土のようなものの事を言っているんだろう。確かに綺麗な床には微量の黒い粉があるだけで、イス2つ分ほどの距離がある場所から離れて見ても違和感があるんだろうな。そう考えながら足元を見ると。
「え…? なんだこれ?」
自分の半径1mほどの範囲にわたって黒い粉が撒き散らされたようになっている。とても微量どころの騒ぎじゃない。あの時みた微量の黒い粉を、たまたま誰かが踏んで広げただけではこんな形にはならないだろう。明らかに量そのものが増えている。
振り返り会をやっていた30分の間に居たのは僕らだけ。自分を含めズボンの裾が汚れている人も居ない。一体どうなっているんだ。そう考えていると。
「xxさんの靴、壊れてますよ」と言われた。

靴が壊れるってどういうことだ?スニーカーで靴底や踵に穴が空くことはよくあった。いま履いているのはどちらかというとサンダルに近いような代物で、室内で足が蒸れないようスリッパ代わりに最近使い始めたものだった。ただ、最近と言ってもサンダルそのものを履いていたのは数年前からで底が厚く頑丈なので重宝していたが、飽きて長期間靴箱に放置していたものを引っ張り出してきたのだった。
片足の足首を膝の上に乗せ、詳しくサンダルを眺めてみると、3cmほどの厚みのあるポリウレタン製のクッションに無数のヒビが入っていた。

人が住まない家はすぐに傷んでいくと聞いたことがあるが、日常で実感したことは無かった。だって自分が多数の家を所有しているわけでもなければ、住まずに経過を見ることなんて出来ないのだから、当然と言えば当然なんだけど。靴でも同じ事が起こるんだと、無知な僕はそのとき初めて知った。『加水分解』である。

適当な掃除用具がすぐに見当たらなかったので、焦った僕はひとまずティッシュペーパーで掃除を試みようと駆け足で執務室に向かった。向かう途中の床には所々に黒い粉や欠片が落ちていた。すでに来る途中から崩壊は始まっていたのだ。
恥ずかしさを抱えながら途中の床の粉や欠片も拾ってゴミ箱に捨てつつ、ティッシュペーパーを手に入れ小走りでセミナールームに戻った。
一通り床を掃除し終えようとしたタイミングで、踏み出した足裏に違和感を感じた。足元を見ると、サンダルの底がハンバーガーのバンズのように真っ二つに分離し、踏み出す前の場所に留まっていた。まるで最後の足跡を残したみたいに。

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