2024/3/1 東京〜幸福の感じ方
平日の晴れた日の朝、東京都内。布団の中までホーホケキョ!と聞こえてくる、咄嗟に「都内の鳥だ!」と思う。鳴き声が短い。ガリシアの鳥の鳴き声は総じて長かった。まるでラテンの人々の大仰な言い回し、詩人。東京のは短いセンテンスでチャキチャキやりとりしてる。
トニーに捕えられた最初の朝、パラスデレイを出た直後に
「あなたはこのあとサンティアゴまでの全てに気を配らなければならない」
とトニー。そのあと最初にした会話が鳥の鳴き声についてだった。いい空気になった。暫く歩いてトレッキングポールを使わずに2本束ねて歩いていたら
「トレッキングポールを使わない時は、尖っているところ(石突)を前にして歩かないといけない」
と冷徹に言われた。気勢を削がれた。地下鉄とかでリュックを前に背負って電車に乗るのと同じ理屈か。まぁその通り、殊勝な気持ちになる。
ホセ兄弟は普通に気が張れていた、どこでも。アルスーアを出た朝、8時くらいでまだ暗い頃、森の中に入ってしばらく行ったところでボクは枯葉の下の丸くて中くらいの石を踏んでしまった。転びかけたところでホセ兄弟が咄嗟に両脇からボクの左右の腋に手を入れて支えてくれた。左膝は多少擦り剥いたものの右は無傷、捻挫すらない。
軍人や警察官ならば皆、談笑している時でも気が張れているものなのだろうか?感謝すると同時に受け手として気は優しくて力持ち、みたいな優しさととらえる。仲間としては心強い限りだ
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空港に向かう前日、モロッコ人のタコス屋でフクロウからメッセージ
「私たちはあなたを愛しています。あなたは素晴らしい人であり、非常に…」
最後の日の空港へ向かう列車の中でトニーからメッセージ
「友人、とても寂しくなるでしょう、あなたは素晴らしい人で、途中でお会いできたことをとても誇りに思います、マヨルカではいつも友人が…」
今みると本当に表現がオーバーだ。ひと昔前、ラテン人て大仰な表現ばかりでバカみたいと思っていた頃の気持ちを思い出す。でも実は、これらを頂いた時のボクの返答もすごかった
「私はあなたのタフネスや自分に厳しいところも尊敬しているけれど、家族の写真を見ている時の愛情ので具合が半端ない。あれ見てると愛が人間の最上級のエネルギーなんだと…」みたいな笑
言葉のインフレとでもいえばいいか⁈頂いたものに相当するお礼をと素直な気持ちで返事したらこうなった。いつの間にかラテン人て…みたいなよそ者意識がなくなっていたって事なんだと理解する、カベが取っ払われた。
カベがあると仲良くなれない。カベがあると意識が張れていても気付けない。“どうせ…“とか“とはいえ…“とか、ブラインドを作ってしまい、目の前に見えているものがそう見えなくなってしまう。カベができないようにしないといけない。そしてそこに広く大きく気が張れれば、自動的に愛情の交換は起こるのかも。幸福を感じられる。
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最近知人に「四国には歩きに行かないの?」と聞かれた…想像できなかった。
例えば、今晩アルベルゲが見つからないかも、山頂は寒くて雪が降り始めたのに。スペイン語は出来ない。そんな恐怖…なかなかだ、なかなかない。そんな時に二言み言話しただけだけれど、知人、何ヶ国語も喋れるベルギー人の弾丸娘が出現した時、様々な感動が増幅する。
一日歩き終わって入ったバーで、イベリコ豚に種類があってロモってしっとりしたハムの独特の味わいが素晴らしのなんのって!その時のボクの驚き、喜びはスペイン人には真似できない。下手すると、山頂のアルベルゲの事件を乗り越えたこととかまで、おいしさに乗っかる。そして同席した彼らはボクのそれも一緒に味わえる。
こうやって異種が共に生きることで恐怖も喜びも増幅する、それにつられるのか気を張る時の集中力も増す。相手を尊重する。勘も鋭くなる。ボクは知ってしまった。アウェイの世界の楽しみ方を。四国がアウェイかホームか?と言われると確かにあまり知らないから結構楽しめる気はするのだけれど、刺激がエスカレートする方向に流れたい。今はスペインが楽しい。
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余談だが、丸二ヶ月経った今も勘はまだ結構冴えている。先週友達とクッキーを食べているときに、友達が迷った挙句に一つ選んだので「じゃあ取らなかった方を食べるね」と言ったらなんでわかったのかとびっくりされた。能力者みたいと優越感を感じる。この勘が鈍らないうちにまた外に出たいな、と思う。
このままだと「将来は探検家になりたい」などと言い出しそうだ。
完