さくらインターネットの「職務経歴、少し盛るか、そのまま書くか。僕らが職務経歴書に力をいれるワケ」の記事
Twitterをみていたら、こんな記事が流れてきた。
見出しだけ観て、「盛るのは詐欺だろう」と脊髄反射で感じた。とはいえ、見出しは極端に書いたもののパターンもあるから内容を読んだ。
書いたライターはさくらインターネットの人ではないが、メディア自体はさくらインターネットのもので、編集もさくらインターネットの記事。
読んだあとの個人的な感想としては「一企業のブログに載せていい内容か?」と感じた。明確に「どういったものか」ということが言えない、気持ちの悪さが残った。
記事の流れとしては、次のような感じだった。
1. 嘘は良くない。ただしアピールのために事実を綺麗に見せる(経歴化粧と呼んでいる)のは必要
2. とはいえ、盛りすぎは注意
3. 職務経歴書は判断材料になる
4. 盛った職務経歴書を見抜けないのは採用側の責任
5. 採用するベテランの営業経験者を入れれば見抜けるのではないか
記事中で書かれている内容はさくらインターネット自身のことではない。外部のライターが経験したことである。ただ、やはりこれをさくらインターネットの名義で載せてしまっていることに、言いしれぬ奇妙な印象を受ける。もちろん、そういった印象を受けない人もたくさんいるとは思う。でも、一応いまのところ感じている違和感を書いてみたい。
何かを主張する記事ではなく、僕が感じた「言いしれぬ気持ち悪さ」をまとめた記事であることをご了承願いたい。
1. この記事は誰向けのものか
この記事は誰に対して書かれたものなのかがよくわからない印象だった。社会人全般、といえばそうなのかもしれない。ただ、最初の方では「職務経歴書の書き方」について言及しているのに対して、最後は「職務経歴書を見抜く話」になっている。最初の方だけ読めば「職務経歴書に偽りはいけない」という印象を受けるが、最後の方には「職務経歴書を見抜けないのは採用側のせいだから気にする必要がない」というような印象を受けた。途中経過にも「職務経歴書を偽ることは良くない」という文章はあるものの、最終的には容認しているような印象だった。
2. 「虚偽」と「化粧」の違いはなにか
採用されるためによく見せる、というのは実態に適うものである。都合の悪いことは書かない、ということは虚偽ではない。削ぎ落とす、ということだろう。ただ、この文章から受け取られる「虚偽」と「化粧」というものの境目がよくわからない。もちろん、明確な境目というのはないのだろう。だからこそ、「虚偽」と「化粧」は単なる言葉遊びのように感じた。
3. これをさくらインターネットのメディアで取り扱っている
僕自身、「さくマガ」というメディアを知らなかったことも大きいだろう。そして僕がエンジニアの立ち位置だからかもしれないが、さくらインターネットは日本でも上位のIT企業という認識でいる。そのため、「さくマガ」というメディアとしての記事であっても、さくらインターネットの方に意識が行く。もしかしたら単なるメディア媒体がこの記事を書いたのだとしたら何も気に留めることはなかったかもしれない。それが「さくらインターネット」という企業が取り上げているという印象が強いためか、この記事を扱うのにはなにか適していないような印象を受けた。
本当に極端に言えば「採用する側が悪いのだから、職務経歴書に装飾するのは自由だ」と言っているかのような。これは 1. で書いた文章の構成の影響も少ないないだろう。
個人的な考え
個人的には、「装飾もせず事実を書くべき」だと考えている。もちろん、採用されたい気持ちはわかる。ただ、「企業に受け入れてもらう」という姿勢自体が間違っていると考えている。もちろん、企業の中で働くのだから少なからずの忠誠心はいる。しかし、それは自分を犠牲にするものではなく「自分の力を活かす」ための姿勢として必要な気持ち。企業が「こういった人がほしい」と考え、個人は「こういう人だから活躍できる」と考え、それらがマッチングしたときに初めて成立する、契約関係である。
そこに「化粧」などといった装飾の考えがあれば、少なからず契約が成立しない。そのようなことをする前に、自分自身が活躍できるような状態を作り上げることが「キャリア」というものではないだろうか。「採用されたい」という気持ちだけで行動することは幸福を生み出さない。
まとめると「付け焼き刃」はダメ。「たゆまぬ努力」が必要。それを怠るから「化粧」などという「付け焼き刃」でしか考えられなくなる。ただこれだけの話。