富大小屋山荘物語Day1 小屋開けだよ!
2020年、4月20日。
いよいよこの日がやってきた。
待ちに待った小屋開けである。
毎年毎年、期待と不安が入り混じった気持ちでこの日を迎えるが、最終的にたどり着く願いはただ一つ。
大きな事故なく、平和に小屋閉めを迎えられますように、ということだ。
今年は一体どんな年になるだろう。
どんな小屋番が来て、どんなお客さんが来て、どんな景色が見られるだろう・・・
昨日から気ばかりが急いて立山駅で車中泊をしてしまった。
もうそれなりにいい年齢にもかかわらず、小屋開けの前日は遠足前の小学生と同じだ。
7時に目を覚ましてから、荷物を整えて本を読んだりうとうとしたりして過ごす。
落ち着かない。
10時立山駅発のケーブルカーで上山しようという話だったので、みんなその前に集まってくるだろう。
誰が一番最初に来るかな。
常峰さんか、売店の主か、ボスはおそらく一番最後だと思う。
8時30分、約束の時間よりもだいぶ早いが、常峰さんがやってきた。
去年の小屋締めを最後に一度も会っていなかったが、見た目は相変わらずに見える。
「お久しぶりです。お元気でした?」
「久しぶりだね。今年もまたこうして立山に来てしまったわ」
久しぶりに人と会ったらもう少しテンション上がらないのかと思えるほどに、すがすがしい飄々っぷりだ。
その浮き沈みのなさが、20年以上小屋番を続けてこられた秘訣なのかもしれない。
冬はどうしていたのかという話で静かに盛り上がってきたところで、石倉さんがやってきた。
「よっ!」
背負子にいくつかプラ箱を括り付けて、いかにも「小屋番です!」というスタイルを引っ提げている。
この人も相変わらずだ。
カラっとした風をまとって、明るくて、本人にその気は全くないけど笑顔がなんだかずるい人だ。
年齢が近いので兄のように頼りにしているし、この人がいればとりあえず1シーズン乗り切れる気がする。
続いて売店の主とボスが同じ電車でやってきた。
「はいみなさん、お元気でした?今年もよろしくね」
ボスがオーナーらしく簡潔明瞭な挨拶をした。
去年も同じことを言っていたと思うけれど、それがまた良い。
余談だが、この人の話し方が美輪明宏さんに似ているのは、決して気のせいではない。
一同ケーブルカーに乗り込み、和気あいあいと美女平に向かうわけだが、5人がそろうとみんな口々に言いたいことを言い始めるので収拾がつかない。
無駄に脳みそをフル回転させながら雑談を切り抜け、ようやく美女平に到着した。
ここまでくればバスに乗り、眠って目覚めれば室堂ターミナルだ。
と思っていたが、いざバスに乗り込むとシーズンはじめということもあり、わくわくが止まらずに全く眠れなかった。
45分間という時間はあっという間に流れ、たどり着いたここが、今日から私たちの生活の舞台となる立山だ。
天気は晴れ、立山の神々様は私たちが来ることを歓迎してくれているかのようだ。
一歩ずつ、歩みを進める。
ある人はスキーで、ある人はスノーシューで、一歩ずつ、一歩ずつ。
室堂ターミナル周辺の山小屋に立ち寄って挨拶をしながら、のらりくらり、小屋にたどり着いた。
息が、苦しい気がする。
やっぱり下界と比べると酸素が薄いんだなぁ。
それにしたって劔も槍も、富士山まで、きれいに見渡せて、なんて素敵な上山なんだろう。
時刻は13時37分。
半年ぶりの小屋はすっかり雪に埋もれて、二階部分だけがごくわずかに見える程度だった。
小屋開けの際の入り口は2階に設けられた大きめの窓なのだが、3分の2程埋まっていた。
雪の少ないとしならば少しの除雪で入れるのだが、今年の雪はそこそこに積もったようだ。
各々お昼を済ませ、さっそく除雪に取り掛かる。
春先の小屋番の仕事は、何はともあれ除雪につきる。
小屋に入るために除雪、窓から光を得るために除雪、水タンクを掘り出すために除雪、外トイレを開けるために除雪・・・
除雪をしても、たった一度の雪で努力はリセットされることも多いが、そのたびに自然への畏怖が溢れだして止まらなくなる。
石倉さんと常峰さんが窓の近くで雪を放り、放られた雪を私と主でさらに遠くへ放る。
窓の全体像が見えたのは作業を開始して30分程度、凍り付いた雨戸をたたいて外し、小屋に入る。
小屋のなかは薄暗く、湿っぽくて、少しカビのにおいがする。
ひとまず暖をとらないと寒くてみんな凍えてしまうので、ストーブに灯油を入れて火をともす。
あぁ、始まる、今年も始まるよ・・・
真っ暗な厨房で達磨ストーブだけが赤く輝いているのは、少し不気味であり、同時に魅惑的であり、人の心を奪う何か魔力的なものを感じる。
ここからは、特に打合せをしたわけではないけれど、各自華麗な?個人プレーが発揮される。
事務所近辺と小屋全体はボスの担当、売店は主、発電機や燃料系は石倉さん、厨房まわりは常峰さんと私で、大きな問題がないか確認する。
ここでいう大きな問題というのは、食料がケモノたちに荒らされていないか、小屋に大きな損傷はないか、発電機は回せるかといった、主に衣食住に関することである。
ひどい年は旧館の離れが雪の重みでつぶれ、あらゆるものが下敷きになってしまったこともあったとかなかったとか。
「ちょっと待っててね」
石倉さんが非常灯をつけに行ってくれた。
もしバッテリーが生きていれば、すぐに明かりが灯るはずだが、なかなかつかないのでこれはだめだろう。
ひとまずヘッドランプを白いビニール袋に入れて吊るし、持ってきたランタンもつけて、できるだけ明るい環境を確保する。
常峰さんが食料の担当、私は水の担当だ。
この小屋には室内にも水タンクがあるため、雪を溶かして水を作る「ザ・山小屋」な仕事はない。
とはいえ、室内水タンクの水を使うには表面に張った分厚い氷を割らなくてはいけないため、これが大変だったりするのだ。
ピッケルでガンガンやりまくる、パワー系の作業である。
常峰さん、普通逆じゃない?私が食担で、常峰さんが水じゃない?まぁ、ピッケルガンガン作業好きだから全然いいけど!
そんなことを思いながら仕事をしているうちに、遠くから発電機の回る音が聞こえてきた。
常峰さんも、米や残ったインスタントの食品などを終えたのか、落ち着いている。
ボスはのしのしと館内を歩き回っているようだし、主はおそらく売店にいるだろう。
気づくと、時計は16時を回っていた。
ブーン、という音とともに電気がついた。
尊い。
長い沈黙の冬を抜けて、こうしてスタッフがみんな元気に集まれたこと、またここで生活できること、山という存在・・・
言葉にならない思いが体中を駆け巡る。
電気がついたことによって、始まりが加速してゆく。
「よーし、お酒飲むよー!!」
無事に電気をつけ終わった石倉さんが意気揚々と戻ってきた。
常峰さんが厨房に転がしてあったザックからおもむろに良さげなウイスキーを取り出し、かたや主様は片手に濁り酒をもって厨房にやってきた。
ボスは依然、館内を歩き回っているのか姿が見えない。
こんなとき、廊下で叫ぶのは私の役目だ。
「ぼーちぼちはじめまーすよーーーー!!!!!」
1階の廊下で叫び、2階の廊下でも同じことを叫ぶ。
するとどこからかボスが現れて、全員そろったところで晩餐が始まる。
「ほら梅ちゃん、飲まれっ!」
主が濁り酒を勧めてくれる。
ボスはみんなの顔を満足そうに見ながら、何を考えているのかわからないけれど、静かにご飯を食べていた。
ちなみに今日の晩御飯は白米とレトルトカレーという、まぁ典型的な一日目のごはん、かな。
久々に食べる常峰さんが作ったご飯は、もとい、常峰さんが炊いたお米は、乗りに乗った絶頂期よりは劣るものの、やっぱりおいしかった。
ご飯を食べ終わったあとは、延々と飲み会が続く。
冬の間の話を酒の肴に、各自下界から持ち寄ったつまみを突っつきながら、山の日常は今年も始まった。
この物語は、現在富山大学小屋がある場所に山小屋があったら、という設定のフィクションであり、実在の人物や団体などとはまったく関係ありません。このたび新型コロナウイルスの影響によりアルペンルートがストップし、上山が延期になってしまったことを受けて梅乃の脳内に生じた架空の日々の日記、妄想ガタリとなりますので、くれぐれもご了承ください。