おとうと
第16話
父が弟を猫可愛がりするのには理由があった。
父は昔ながらの男で
つまりは「仕事・酒・女」が父の日常を支えていた。
結婚してはいけない人だった。
恋をするのはいいのだ。好きな人に好きと言い
その人と共に過ごし、男女の関係になる分には。
どちらも独身なら何の問題もない
父はかなり倫理観が欠如していた。
母ともアンモラルな関係を構築し、結婚に至った。
父の前妻は母と私に夜毎呪詛をかけていたと
小学校の高学年になって耳にした。
その時はピンとこなかったが
私はいつ死んでもおかしくない状態で生まれ、生きた。
その人は私が小学校に入学した年に亡くなった。
人を呪わば穴二つと言うし、子供に罪はないという
大人の感覚を備えた人じゃなかったのね、と
何だかとてもしょうもないことを
呪詛云々の話を聞かされた時に考え込んだので
よく覚えている。
私は生きて、その人は死んだ。
死んだその人には子供がいた。
残された子供は母と私を激しく憎んだ。
随分経ってから生まれた弟も、それに含まれた。
両親がやったこと、両親を恨むのは分るが
私や弟に対するそれはただの逆恨みだろうと
呆れとも落胆ともつかない気持ちは
長いこと心を突き刺した。
父にも世話にはなったし恨みはないが
「もっと違う生き方はできなかったものか」と
父の人生を思い返す度に思う。
父は重度の糖尿病を患っていた。
母がどんなに言っても聞く耳を持たず
自分だけ享楽三昧の日々。
昭和時代の建設業界は誰も彼も接待漬けで
父も漏れずにしたりされたり、していた。
高級料亭や高級クラブをはしごする毎日。
腹がはちきれんばかりに食らい、浴びるほどお酒を飲む。
これが毎日だ。
体にいいわけがない。恐ろしく太っていた。
私が中学2年生の頃生死の境を彷徨い、無事帰還した。
がりがりに痩せた体を引きずるように歩く姿に
私はかなり狼狽えたものだ。
退院して暫くは大人しくうちで過ごしていたのだが、
母が付きっ切りで世話した甲斐あって
半年ほどで頗る健康体に戻った。
目を見張るほどの回復ぶりに圧倒されたものだが、
父は生来傲慢なところがあって
元気になった途端、また帰ってこなくなった。
享楽三昧の日々リスタートだ。
勝手にしろ、と斬り捨てられない母。そこはどうでもいい私。
弟はまだ5歳で右も左も分からない(はず)。
年嵩になってからできた子供ということもあり
ただでさえ溺愛していた弟を
父はよく別宅に連れて行った。
テレビもゲームも漫画も、欲しがるものは全て与える。
別宅はよほどのことがない限り母も寄り付かないから
私なんてもっと縁のない場所だった。
ストッパーがいない暮らしは子供には
恐ろしく快適であったろう。
夏休みになると弟は別宅に行きたがり、父はそれに応じた。
そんなある日。
父は昼のインシュリン注射を打ち忘れ食事を摂り、
注射を忘れたことに気付かず過ごしてしまう。
夕方風呂からあがってすぐ倒れてしまい、
その介護にあたったのがまだ幼かった弟だった。
インシュリンが切れたら飲むと聞かされていた
ポカリスエットを父の口に含ませ、
経口薬を書斎の引き出しから取り出して服用させ、
這う這うの体でベッドに横になる父の体を
タオルで拭いてやり、氷を入れたグラスに水を注ぎ
父に飲ませた。
お陰で父は復調した。
「俺の命の恩人」
その日以降、父はことあるごとにそんなことを口にするようになる。
母は弟に「気が利いてる」と声をかけ
私は「薬のある場所なんてよく覚えていたね」と感心した。
弟は特にテンションを上げたり得意になったりなどなかったが、
この出来事がきっかけで
父は弟を更に、父なりの強い愛情で可愛がるようになる。
家族最強だった父は、弟の言いなりになっていく。
父と息子という関係を逸脱することはないのに、
親子関係の逆転現象が静かに起きていた。
父の命を守った弟はこの10年後、
父の命を徐々に蝕む存在に堕ちていく。
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