おとうと
第15話
貯金箱も置けない家になってしまった。
可愛いピンクのウサギの貯金箱。
陶器のそれは手のひらサイズで
私は500円玉をお釣りなどでもらうと、投入していた。
それなりに貯まったはずとウサギを持ち上げてみて驚く。
チャリン、という音さえしない。
スッカスカの空っぽ。軽いったらありゃしない。
「え?え?」
焦って周囲を見回す。いつも自宅にいるのは母だけだ。
母にアピールしたいのだがストレートに伝えるのは芸がないと
しょうもないことを考えてしまう。
「ちょっと、ねぇ、お母さん!私の貯金箱カラなんだけど!!」
娘の怒鳴り声に振り向くこともしない。
何故って母の財布からまた3万円弟が抜いていたから。
「お母さんもやられたわよ」
投げやりに言って溜息を吐く。
私は慌てて母の傍に駆け寄って「またゲーム?」と
分かり切ったことを尋ねる。
当時、我が家の一種の様式美のようになっていた問答。
私をギロリ睨み
「そうよ」
と言い捨て洗面所へ、或いは洗濯物を干しにベランダへ
移動する母を見つめながら
「どうしてあいつはこうなんだろうね!」
怒りをアピールするのは癖になっていて、
私はその「癖」を母に見せつけたかったのだった。
手のひらサイズの貯金箱に貯まっていた500円が
何枚あったのか、私は知らない。
弟も正確には把握していないと思う。
カネをゲットしたら周囲に大盤振る舞いするバカだったので。
友達に奢り散らかし自分もたらふく食らう。
小学2年生が自宅近くの食堂でクラスメート5人に
定食をご馳走してやったと知った時には、さすがに眩暈がした。
親のメンツ丸つぶれと、高校生になったばかりの私でさえ
理解したからだ。
都度、弟に激怒する母。
母の呼吸に合わせて怒り狂う私。
女2人に詰められて泣いて謝る弟。
いつもの構図だ。
ここに父が乱入してきて私たちを喝破し
弟を救出してどこかへ連れ出し、
美味しいご飯を食べさせてやり、誕生日でもクリスマスでもないのに
ゲームやおもちゃを買い与え機嫌を取るまでがセットだった。
いや、母が「あんたがやっていることは犬猫に対する接し方だ!」と
強く詰め寄るまでがセットだ。
母がどんなに強く迫っても、父が母を一瞥することもなく
「うるさい!」
と怒鳴り、黙らせてしまうことが私は不満だった。
だってこのまま大人になってしまったら、
弟は父の稼ぎを当てにするろくでなしになってしまうことは
どんな阿呆(私)にも想像がつくじゃないか。
「ねぇ。お父さんに1回ちゃんと話した方がいいんじゃないの?」
母に相談したことは数えきれない。けれど母は
「聞く耳持たないのに。どうやって説得するの」
と逆に問われ返事に困ってしまうのが常で
所謂水掛け論に熱心になる私と、それを聞き流しながら
弟のことに腐心する母は、そういったポジションに
自ら落ち着いていったきらいがある。
当の弟はといえば相変わらず呑気に過ごしていた。
漢字の書き取り、計算ドリル、都度出される宿題。
それらに手をつけてからゲームに興じるなんてことはまずない。
全て放置してゲームに向き合う。
彼からゲームを取り上げたら何が残るだろう?と
疑問を抱いてしまうくらいに、ゲームと一体化していた。
「宿題は?やったの?」
敢えて強めに声をかける。
「うん」
という生返事が聞こえる。
「したのかって聞いてんだよ!」
怒鳴り声をあげたらやっとこちらを向く。
弟はこの当時そんな風に仕上がっていた。
そして私はといえば、完全な不登校になっていた。
子供時代に母から受けた理不尽な仕打ちが
この年齢の頃に、急激な反抗心を滾らせる要因となってしまって
制御不能状態に陥っていたのだ。
父はそもそも私に無関心。
たまに顔を見る母方の祖母も「学校行かないの?」と
声をかけてくることはあっても、強制とまではいかない。
母だけが私に立ち向かい「学校行け!!」と強く命じるのだが
全く聞く気になれなかった。
高校1年の頃にいじめに遭ったことがきっかけで、
欠席グセがついてしまっていたことも不登校の理由にある。
「行かない」
にべもなく返事をし、テレビ視聴に忙しくする。
私と母のバカなやり取りを弟は目の端に留め
小学校へ登校する。そんな毎日。
不登校の姉に宿題しろと命ぜられても
そりゃ聞く気にはなれなかったろう。
親や私の財布や貯金箱からカネを抜き、嘘を吐き、勉強を放棄する。
家族という輪の中にいるはずが、
それぞれが別の方向を見て暮らしている。
その癖不思議と仲は悪くなかったのだから
あの時期は一体何だったのだろう?とふと考えてしまう。