おとうと
第7話
おちんちん騒動がどうにか収まった翌年
弟は私が卒園した幼稚園に入園する。
何度か遊びに行ったが、懐かしいお顔が見られて嬉しかった。
私にはかなりのスパルタ教育を施した母も
それらが一切効果がなかったことを受け
弟には優しく接していた。年齢を重ねたことも理由にあったろう。
激しく叱責したり血が出るほど殴りつけたり。
弟はそんな目に遭っていない。遭う必要もない。
あれは教育じゃない。
父はといえば年嵩になってからできた子だからであろう、
「目の中に入れても痛くない」という諺を見事体現して見せてくれた。
両親ともに平たく言えば甘やかしていた。ガミガミ言うのは私くらい。
自分に甘い母親に、頭が上がらない私の言うことなどきくはずもなく
弟はかなり我儘な子に成長していった。
穏やかで優しい人柄がなりを潜めたように感じるほどだった。
幼稚園の遠足で「一緒にお弁当を食べるお友達がいなかった」と
打ち明けられたときには、これだけ我が強ければ仕方ないという思いと
純粋に可哀想に思う気持ちで心がごちゃごちゃになって
慰めの言葉一つかけられなかったことを覚えている。母は
「あなたが優しくないから。
意地悪な子と一緒にいたいわけないでしょう?」
と言ってきかせていたが、目に見えた効果はなかったように思う。
友達ができない現実と、帰宅すれば我が世の春が待っている日常と。
せめてお弁当を一緒に食べてくれる子はいないものかな、と
やきもきしたものだが暫くすると何人かの友達ができたと話してくれた。
「そう、よかったね」
ホッとして言う私に「うん」と頷く。
あちこちにぶつかりながら人間関係が形成されていくものなのなら、
弟はこの時人生で初めての壁にぶち当たったのだろう。
幼稚園生活は次第に弟に馴染んでいき
「今日楽しかった?」
と学校から帰宅して尋ねると楽しかったと元気のいい返事が聞ける。
「誰と遊んだの?」
と聞けばお友達の名前と何をして遊んだかを詳しく話す。
女の子のお友達が多いように感じた。中には男の子もいたけれど。
私にはサッパリだった父も父兄参観には必ず出席し
弟の成長に目尻を下げっぱなしだった。
父が撮った写真の何枚をも見せてもらい
「これは何をしているときの写真?」と弟に尋ね教えてもらったり。
園長先生にも担任の先生にも恵まれていた。
その頃私はというと中学生になり、所謂「年頃」を迎えていた。
やたら色気づき、勉強そっちのけでお洒落に気を遣う日々。
小遣いでやりくりしながらお気に入りのシャンプーやリンス
ボディソープを購入し、楽しんだものだ。
同じメーカーの同じブランドを長く使うのではなく、コロコロと変える。
恋コロンの次はティモテ、その次は植物派のJONAといった風に。
今と違ってポンプタイプではなく内容量250ml程度のサイズのもの。
1度購入すれば2ヶ月弱は同じものを使うことになる。
シャンプーに関してはかなりの浮気性だったので、恋コロンを買ったなら
使っている間にもう次のシャンプーは何を選ぼうかと考える。
そんなタイプだったからくりくり坊主の弟にシャンプーを使われるのは
私にとってかなりの痛手だった。
弟は小さい頃からアトピーに苦しんでいて香料や洗浄力が強い製品は
全くと言っていいほど合わない。
品によっては全身湿疹だらけになるというのに
私のシャンプーを使いたがる。
坊主頭だからリンスは要らない。シャンプーだけが減る。
余ったリンスを捨てるわけにはいかないから
他のシャンプーに変えたいのに変えられない。
当時ボブヘアだった私と坊主頭の弟。使うシャンプーの量も違う。
だからリンスが余るといっても非常に半端な量であって
同じシャンプーを購入したら今度はシャンプーが余るという
とんだ悪循環に陥ってしまうのだ。
私はかなりの苛立ちを覚えていた。
「使うな」と何度念を押しても勝手に使う。
ある日怒りが頂点に達した私は、シャンプーなどの一切を風呂から出し
洗面台の収納棚にしまい込んだ。これなら勝手に使われる心配はない。
弟も流石に手出しはできなかったようで自宅用のエッセンシャルと
牛乳石鹸に甘んじていた。が、ある日父と弟が入浴していると
風呂からかなりのティモテ臭が漏れてきた。
まさかと思い収納棚を確認する。ない。しまっておいたティモテがない。
私は2人が寛ぐ風呂に突撃し「勝手にシャンプー使ったでしょ!!」と
かなりの勢いで責め立てた。いつもはシュンとなる弟も父がいると強い。
どうして勝手に使わせるの!これ私のお小遣いで買ったのよ!!
半狂乱で喚く私に「このシャンプー、ちっとも泡が立たん」と
のんびりした父の声が届く。リンスで洗髪していたのだ。
「お前なんかずっとリンス使ってろ!」
私の怒鳴り声などどこ吹く風、2人楽し気に湯浴みするのだった。
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