おとうと

第20話

現に弟のアトピーは卵料理やチョコレート、香辛料の入った料理などを
控えれば、症状は大分収まった。
強いステロイド剤に頼っていたが母が作った料理を食べてさえいれば、
痒みも痛みもかなり軽減され、皮膚は健康な状態にほぼ戻れる。
完治とはならないまでも、夜眠れないほどに苦しむことはなくなる。
というのに弟は、食欲の言いなりになっていた。
自分を律することなく食らい、甘いジュースをたっぷり飲む。
太るのは当たり前だ。アトピーが悪化するのも。
痒みが凄まじいので当たり前だが掻く。
するとカサカサに乾いた皮がボロボロ落ちてくる。
私は家族だから気にならなかったし、一緒に洗濯するのに
脱水が終わった服を洗濯機から取り出したとき
弟の皮膚がお気に入りのシャツにくっついていたところで
爪先で綺麗に取り払って、ベランダに干した。
床掃除するのにも掃除機では吸い取り切れない、
粉状になった皮膚を家庭用洗剤を吹きかけた雑巾で
拭きあげることも抵抗はなかった。
ただ、そんな状態なのに好き勝手飲食する弟に怒り、
呆れるなどはしていたけれど。

ある日弟が母に伴われ、学校から帰宅した。
PTAでもないのにどうしたの?と声をかければ
担任から呼び出されたのだという。
弟が確か小学3年生の頃だったと記憶している。
「給食当番をさせないでほしいって、同級生から言われてるって」
母は顔を顰めた。いじめに遭っていたのだ。
弟が配膳する給食に、アトピーでボロボロになった皮膚が入ると
危惧する女子らが、弟に給食当番をさせないよう担任に求めたと。
それはダメだ、みんなの役割だから。担任は受け入れなかった。
矛先は当然弟に向く。
「汚い」
「近寄らないで」
「臭い」
大抵の暴言は吐かれていた。
基本気持ちの優しい子だったのでどうすればいいのか分からず、
立ち往生していたようだった。
担任は
「給食当番を外すなどということはできません。それをやると
広義の意味で特別扱いになってしまう。他の児童は皆やっていることです。
現在息子さんがどのような治療を受けているのか、いつ頃治るのか
担当医師から聞いてきていただけませんか」
といったことを母に伝えたらしい。
顔から火が出そうだったと母は述懐した。
「あんたが悪い!そんな体なのに好き勝手して人に迷惑かけて」
自制心のない弟に母は喝を入れるが、そんなものに意味はないことを
私は姉として熟知している。
「給食当番しないでって、そんなの仲間外れじゃない」
驚いたようにこちらを見るが、母は学校生活というものを
経験していないので、時々こういう的外れなアドバイスをしたものだ。
「仲間外れだよ、それ。学校に来るなって言われてるの」
私なりに弟の状況を訳してみた。母は驚いたように目を見開く。
「そうなの?」
弟は仕方ないといった風に語り出した。
「〇〇さんと△△さんからは言われた。治るまで学校に来ないでって」
呆気に取られる母。私は聞いた。
「それであんたは何と答えたの?」
弟は無言だった。何も言わないということはその場でも
何も言えずにいたのだろう。
「いじめだよ、いじめ。担任もその感じだと問題解決じゃなく
『家で何とかしてください』って言いたいだけだよ。
給食当番をさせないって判断はできないって言ってるんでしょ?
つまりそういうことよ」
「そういうことってどういうことよ!」
母は激怒する。だけど、怒ったところでしょうがないじゃん。
私は実に呑気だった。
私自身、せっせと学校に登校するタイプの学生ではなかった。
ほぼ毎日、自宅でゴロゴロして過ごしていた。
テレビに飽きたら昼寝して、起きて空腹を覚えたらごはんを食べて。
昼行灯とはあの頃の私のことだ。
父は建設会社を経営していて、この当時実家はそれなりに裕福だった。
弟も男なんだから中学を卒業したら、現場作業員として父の会社で
働けばいい。跡取りとか面倒な話ではなく、勉強はできないし
する気もない弟が生きていく方法といえば、社会経験が全くない
当時の私には、その程度のことしか思いつけなかった。
だから弟が学校に行く気がないなら、勉強する気もないなら
体だけは鍛えておけば?将来のために、といった感覚だった。
しかし母はそうはいかない。
「お母さんの作ったもの、ちゃんと食べなさい!お父さんの家で
あんなことしないの。誰が見たって分かるわよ、体に悪いのは」
まさか担任から父兄召喚されるほどの事態に発展するとは
弟も考えていなかったのだろう。母に叱られ俯き、一言も
発せない程度にはショックを受けていたようだった。
「学校行かなきゃいいじゃん」
果てしなく呑気に宣う私。を厳しく叱りつける母。
「行かないとかは思ってない」
弟は打ち明ける。
「だったらお母さんが言う通り、お母さんの作ったごはんを
ちゃんと食べな。あんなのアトピー悪化させるって、
私でも分かるわ」
畳みかける私に素直に頷く弟。この感覚が持続するならと思うが
結局父から電話がくれば元の木阿弥。
美味しいごはん、ゲームし放題マンガ読み放題の自由時間が
あの部屋にはある。
弟の「食事制限」「生活改善」は、医師を頼る前に頓挫するのだった。

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