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大人の発達障害。私の場合。


こんにちは。玉響です。

昨今よく耳にする、「発達障害」
SNSでもよく見かけますね。
今は情報も増えて、多くの人が身近に感じているのではないでしょうか?

私も情報網の中にいたひとりでした。
では、なぜそんな私が当事者になったのか。
今日はお話ししていきたいと思います。

あれ。仕事ができない…

現在23歳の玉響は2023年卒の代です。
去年、晴れて私は大学を卒業し
新卒で歯科助手になりました。

ドキドキで何も分からない、勉強の毎日。
でも、自分なりに頑張っていこう!(⸝⸝›_‹⸝⸝)
なんて淡い気持ちと新しい環境への期待でいっぱいでした。

しかし、受付希望で就職したはずが手違いで
思いっきし歯科助手として配属されました。
(しかも、面接で聞いていた所とは全く違う院へ…)

まあ、まあ、まあ、社会ですからに。
そう簡単に自分の
思い通りにいくわけがありません。
と、なんとか
自分を鼓舞させて頑張っておりました。

しかし、毎日立ちっぱなしの中での業務。
職場の最寄りまで片道1時間。
帰宅は夜22時。
そして何が何だか分からない器具たちの名前を
ひたすらに覚え、復習する。睡眠時間は削られる。
自分の時間なんて取れやしませんでした。

ただでさえ、体も疲弊しているのに
気持ちまでいっぱいいっぱいになっていきました。

また、私の頭をさらに悩ませたのが、
あれ、私って仕事ができない…?」ということでした。

・何度同じことを言われてもできない
・メモを取ってもどこに書いたのか忘れる
・指示通りに動けない
・自分から動くことができない(指示待ち妖怪化)
・とにかく手が不器用なので物をぶち壊す

これらのせいで、私は失敗と過失を重ねました。
周囲の方に迷惑を
かけてしまっていることへの罪悪感、
どうして皆んなみたいに
仕事ができないんだろう?という
自分自身への不信感で
押しつぶされそうになっていきました。


高校生の時から
パニック障害を患っていたのですが、
(今考えればここでちゃんと体調を気遣うべきだった…)
6月頃からはパニックの症状も
酷くなっていきました。
そして、とある先生からパワハラを
受けたことがきっかけで
私の心は限界が来ていました。
もう、辞めたい。

しかし、

せっかく大学出させてもらったのに働かないと。
仕事辞めてどうするの?お金は?
アルバイトじゃダメ。
転職するなら?また一から就活…か。仕方ない。
まだ半年しか働いてないけど…
今後のキャリアに傷がつくかな?
やっぱり3年働くべき?
いい娘でいないと。自立しなくちゃ。
いや、大丈夫、私が我慢すれば平気。大丈夫。

こんなことを考えながら、毎日出勤していました。

ですが、人間の身体って面白いですね。
私はとうとう動けなくなってしまいました。
もう私の中にはこの一言だけが浮かんでいました。

「もう、死んでしまいたい」


うつ病と診断。休職。
とにかく自分と向き合う日々。

そんなこんなで、うつ病と診断され
仕事は休職しました。

休職ってしたことのある方にしか分からない辛さが
あると思います。
・仕事に行けないことが「甘え」
と捉えられてしまう、とか
・仕事以外のことはできるから
結局働きたくないだけじゃない?とか

辛くて休んでるのに、また辛くなる。
私はそのループで、とにかく自分を責め続けていました。
自殺未遂も何度もしました。

その都度都度、家族に何度も諭してもらい
助けてもらっていました。

休職しんどい。新しい環境でリベンジすっぺ!

休職のしんどさに負けた私は、ものの2ヶ月ほどで
うつ病もろくに治っていないのにも関わらず、
歯科助手の仕事を辞め、再就職への道を辿っていきました。
(今考えると、ADHD特有の衝動性ですねワラワラ)

ハローワークに行ったり、求人サイトを見たり。
そこで縁あって、地元の運送会社に一般事務として
第二新卒で採用をいただきました。

通勤時間は実家から自転車で20分程、
座ってお仕事できるから、
前職ほどの体力消耗はない!
これはなかなかいい転職では…!
とウキウキしておりました。



あれれ、また仕事ができない😀

あっれれーおっかしいぞー⁉︎

参照:江戸川コナン

どうしたものか。

どれだけできないかを具体的にまとめてみました。

・請求書の出し忘れ
・請求書の封筒に切手を貼り忘れる
・請求書の計算が永遠に合わない
・エクセルに正確に数字が打ち込めない
・本来とは全然違う会社にFAX誤送信
・データ入力漏れ
・ファイリングができない
・電話応対ができない
・メモをとっても業務忘れる
・指示を忘れる
・勤務中に眠る

細かいものを数えたらキリがないので、
省略します。
これがほぼ毎日です。

一般事務って、
正確さがとにかく重要じゃないですか?
それができなければ
いる意味がないのも同然なわけで。
まあ、こんなのが会社にいれば不安ですよね。
社長に呼び出されました。
始末書を書いてこいとのことで
お叱りと注意を受けました。
また、その始末書の提出も忘れている
というミラクルコンボ。
いい具合に破滅に近づいています。

あれ、私って発達障害…?

こんな社会生活を送っているものですから、
そりゃあ自分自身でも思います。

私って、どこかおかしいんじゃないの?と。
ここまで仕事ができないのは自分の能力の問題ではないのではないか?
しかもこれで2回目。ちょっとこれは異常かも。

上記の特徴をインターネットで調べてみると、
“発達障害”なるものにヒットしました。
そして詳細を開いてみたら、
もう、当てはまる当てはまる。
自分の姿を見られてるのかってほどでした。

ですが、障害ってまさか私が、ねえ。
と素直に納得というか、受け入れることはできませんでした。

しかし、この年の玉響の誕生日。
家族で外食に行った時のことでした。
待ち時間でふらっと立ち寄った本屋さんで
とある一冊の本に出会いました。

ツレうつでお馴染みの細川貂々さん著、山登敬之さん監修の
「凸凹あるかな? わたし、発達障害と生きていました」

こちら、細川さんの幼少期からのエピソードが
四コマ漫画で綴られているのですが、
もう、共感しっぱなしでした。

幼少期、おもちゃや枝豆を
ひたすらに整列させていたり、
とにかく落ち着きがなくて怪我が多かったり、
大きい音や声が苦手だったり、授業中ぼーっとしていたり。

得意なことや長所より、
できないことや短所を挙げる方が簡単だった。

そんな自分と重ねて読んでいました。

これはもしかしたら、
神様からの誕生日プレゼントかもしれないと
思い立った私は、その後爆速で
心理検査の予約を入れに行ったのです。


逃走。生きる意味って?


予約を入れたのはいいものの、やはり
大人の発達障害の影響力たるや
予約は1ヶ月以上先になりました。

しかも前金15000円、
検査後15000円の支払いという
なんともハイリスク。

その間、私は自分のグレーゾーンと闘い続けました。
自分のできなさに打ちひしがれ、
怒られ、そして
仕事のできなさから社内では無視、
上司にも冷たくあたられるように
なっていきました。

そんなこんなで、
ようやく心理検査を受けることができました。
あとは結果を待つだけ。もう少しだよ自分!と
頑張って仕事に向かう日々。
でも同時に、
「もし何にもなかったら?
ただの怠け者になるの?
ただただ能力の低さと向き合って生きていくの?」
と不安にも駆られました。

もう、正直頭の中はめちゃくちゃでした。
職場での居場所はない、
結果はどうなるか分からない、
もし自分の違和感が間違っていたら?

どんどんどんどん不安は増す一方でした。

そして、私は逃走しました。
仕事について母と口論になり、
もう生きていたって仕方ないと
このまま死んでやろうと。

やっぱりあの時の誕生日、
私は死んでいればよかったんだと。
希望なんかなかったんだと。

雨の中、ずぶ濡れになっていた私は
道中で大声で泣き喚いてしまいました。
通行人の方に110番してもらい、
警察の方に保護されました。

そして、父と母に無事に身柄を引き渡されました。
(逮捕されたみたいになっちゃった)


私は言いました。

ずっとずっと死にたかった。
いい娘でいなくちゃ、ちゃんと生きなくちゃ。
お金を稼がなくちゃ。なのに、それなのに、
何もできなくてごめんなさい。
生きててごめんなさい。
ごめんなさい。

そんな私を見て、呆然とする家族のみんな。
そんな中、母がこう言ってくれました。

「もう、何にも考えなくていい。
辛かったね。もういいんだよ。
いい娘とか、会社とか、関係ない。そんなものいらない。
あなたが生きていなければ意味がないの。」と。


結果、ADHD・ASD・軽度知的障害でした。

逃走した翌々日が、なんと結果発表日でした。
運命とは。

逃走した次の次の日なので、姉に付き添ってもらい
病院へ向かいました。

結果は、ADHD・ASD・軽度知的障害
フルコンボだどんっ!でした。

ちなみにIQは小学校4年生程度しかなく、
よく大学卒業できたねと言われました。
全てのテストにおいて著しく結果が低く、
しっかりと診断をもらいました。

現在は障害者手帳も給付してもらい、
うつ病・パニック障害の療養を兼ねて
立派にニートしています。

ちなみにまだ働いたり(アルバイト・パート)などの
活動をするわけではないので、
ADHD等のお薬は処方してもらっていません。


自分に合った生き方を選択する、これに尽きるよね。

現代社会では、私のように
小さな生きづらさを抱えて苦しんでいる方が
たくさんいらっしゃると思います。

でも、「病院に行くことが不安、結果が怖い
自分でもメンクリに行っても大丈夫?」
なんて声もよく見かけます。

ですが、本当に辛かったら、苦しかったら
私は行動に移すべきだと考えます。

グレーのまま生きるって、普通に擬態するって
とっても苦しいことだと思うんです。
だって、自分らしく生きられる居場所が絶対に
どこかにあるはずなんだから。
もう、辛い思いしなくていいんだよって。

私も当てはまるかも?とか、
どこか生きづらいなあって
少しでも感じたら、
気軽に相談だけでもしてみることが
自分自身を救うきっかけになると思うんです。
ていうか、なります。

だからこの文章を最後まで読んでくださった方、
自分に合った生き方をぜひ、
自分の力で見つけてみてください。
絶対にあなたが
あなたでいられる場所があるはずだから。

玉響

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