高浜寛「ラマン」の感想
はじめに
数年間Twitterに色々呟いて来たんですが140字の限界とTLの煩さに疲れてnoteを使ってみることにしました。Twitterも楽しいんだけれど、はじめてのnoteにワクワクしています。
ラマンの感想
まず絵の美しさ。少女(原作者デュラス自身の少女時代)のミルクティーのように白く、サイゴンの暑さと湿気を含んでいるような、なめらかな肌。同じくなめらかな肌を持つ中国の華僑の青年との肌の重ね合い。
切ないストーリーには、幾つかの恋を既に経験した30代の私自身を重ねて、想うことがあります。
少女は華僑の青年が「他の女友達とやるように私を抱いてると思うのが好き」などと言います。結ばれない運命と本能的に分かっていた早熟の少女にとって、彼を本気で愛してしまうことは自分が壊れてしまうようで、怖かったのではないかなと思うのです。
母親がシングルで3人の子どもを育て、かつ不運にあって貧乏暮らしをしていた少女。彼女が唯一誇れるものはその若さと美しさ。でも、若さは減価償却される期限付きの資産。それも怖かったのかもしれません。もちろんデュラスは若さと美しさだけじゃなくて、知性も兼ね揃えてたのだけど、あの時の少女はまだ何者でもなかったのですから…。
そのような葛藤を経て、サイゴンからフランスに引き上げてからも3年間も貞操を守っていたと言うのは、彼を愛していた、愛してしまっていたからに違いないと思うのです。フランスに行こうと思えばいつだって行けたほどに裕福だった彼を、女の子の1番美しい時期に3年も待っていたなんて。
あの人(デュラスの母親)はきっと快楽を知らない。と言うセリフも印象的でした。一生のうちで本当の快楽を与えてくれるパートナーと出逢えるのは何回あるのでしょう?初めて原作を読んだ少女時代にはそのような性愛のことを自らの実感としては分かりませんでした。今、この歳になって分かることです。そして、分かってしまうのです。そんな相手は一生のうちに1人いるかいないかだと言うことを。その彼と結ばれない運命にあったデュラス。
全編切ないストーリー、キラキラと美しい一瞬の永遠が切り取られたこの作品、この歳でまた読めて良かったです。
ラマンの続編、北の愛人も読みたいと思います。
(amazonで、すでにポチり済み)