3.小学4〜6年生。 そして、中学の部活の選択について
4月6日で41歳を迎えます。
41歳カウントダウンアウトプットチャレンジ中
テーマは「私のライフキャリアを振り返る」です。
生きてきた41年間で、たくさんの人生の選択をしてきたことを、どんなタイミングでどんな判断軸や好き・嫌いで選択をしてきたかを時系列で書いてみようと思います。
小学4年生の4月に引っ越しをしました。
引越しの時期は、4月末。
なぜこんな中途半端な時期かというと
両親は、きりのいい4月になったタイミングからと考えていたと思う
でも、私が4月にあった遠足にどうしても参加したくて
遠足に参加してからの引っ越しになったことを記憶している
子どもの「やりたい」や「気持ち」を尊重してくれたんだな〜
と今更ながら尊敬する。
緊張していた新しいクラスにも、スムーズに溶け込めた。
ただ、近所に住んでいた兄弟ぐるみで遊ぶようになった同級生は
学年の中でも人気者の男の子だったので、
それを羨ましいと思ったのか、私のことが気になったのか、
女の子3〜4人に呼び出されて、
「○○くんが好きなの?」
と聞かれたことがあった。
あんまりいい雰囲気ではなかったことはよく覚えている。
私にとって、男友達とか、好きとか、
モテる男の子の存在とか、嫉妬とかを感じる出来事で、
そういう世界があることを知ったんだと思う。
男の子の中で誰がモテているのか
女の子の中で誰がモテているのか
誰がカッコ良くて、誰が可愛いのか。
意識するようになったのもこの頃からな気がする。
私の恋愛脳はこの頃から出来ていったんだな〜。
小学5・6年生の頃「勉強会」という名前をつけて
女子4人、男子2人、月曜日と木曜日の放課後に毎週遊んでいた
駄菓子屋さんに集合して、お菓子を買ってから
週替わりでそれぞれのお家に出かけては
少しだけ勉強(宿題だったのかな)をしてから遊んでいた。
その時に買っていたお菓子は、チロルチョコのピーナッツのことはなんだかよく覚えている。そのくらい美味しかったんだろうな。
そして、覚えている遊びは、Sケン・ゴムとび
もっといろんなことをしたんだろうけど、
このよく覚えている記憶ってなんでなんだろう。
不思議
この頃の挫折は「長距離走」
短距離には自信があって、毎年リレーの選手になっていたくらいだったし、あまり出来ないと思うことの記憶がないこの頃の私は、冬の季節に行われた「長距離走」で、全く走れなくて、先生も驚いたようで、親も心配して病院に行った。
結果は、貧血。
生理が始まったのも5年生だったり、成長真っ只中で、鉄欠乏性貧血の診断
走れないのは、そのためだと思っていたけど、結局その後の人生もずっと長距離は苦手。
あまりにも自分の中で、出来ないと思ったことだったからか、
中学校に上がり、部活を選ぶ時には、持久力が必要な部活以外で選んでいた。
さらに、自分の体が人より大きいことを気にしていたので、
部活の選択基準には、「ユニホーム」が恥ずかしくないかもあった。
競技自体は好きだったり、得意や興味があったりしても、ユニホームがミニスカートだったテニスやバドミントンは選択肢から外してしまっていた。