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33.今の私でお父さんとしゃべりたい。
新卒2年目で仕事への慣れや高い営業目標からの悩みが生まれ、
父の余命宣告があり、生活と心が日々変化していた毎日。父親や家族の未来を考えると、どうしても、やりきれない気持ちに押しつぶされそうでになってしまうところを、非日常な時間が生まれる相手を選んで、会っていた。
“恋をすることよりも、非日常な時間を過ごせる人に頼っていた。”
そんな逃げ道を作っていた私も、亡くなる1ヶ月〜1ヶ月半は、誰かに会うこともしなくなり、仕事と家の往復生活をしていた。
お父さんが自宅に帰ってきているときには、背中にモルヒネを貼ったり、頭を洗ったり、一緒に寝たり。
体調が良ければ、出来る限り話をしていた。
でも、身体が痛そうで、他愛のない話だったような気がする。
すごく覚えているのは、年始に、会社の上司とリーダーがお見舞いに来てくれた。
その2人に会った時のお父さんは、弱っている素振りを全く見せずに、
「娘がお世話になっています」
と、ありったけの感謝の気持ちを話していたことをよく覚えている。
確かに、経営者としての存在感で、そこにいた。
そういえば、家族と会うときには、ベットの上のままで話していたけど、
仕事関係や、今回の私の上司やリーダーと話すときには、ベットから出て、
談話スペースのような所まで移動していた。
もしかすると、経営者として、娘の父として振る舞うためにスイッチを入れていたのかも知れない。それがありったけのプライドだったのかもしれない。
上司とリーダーとの会話をした日から、2週間ほどで亡くなってしまったので、身体的には、とてもしんどい状態だったと思うけど、私にとってのその空間は、しっかりと私のお父さんで、力強く存在していた。ものすごく饒舌にたくさんの話しをしていた雰囲気をよく覚えている。
あの時、私はなぜ2人を連れて行ったのだろう。全然覚えていないけど、でも、あの時間をこんな風に思い出すことが出来てよかった。
お父さんの娘への大きな大きな愛情を改めて感じれた。
最後の力を振り絞る。
残せるものは残す。
お父さんの誠実な姿勢を感じれた気がする。
あの時は、私は若すぎて、大人と大人としてお父さんを見てなかった。
今の私で、話したいな〜。
楽しいだろうな。
最近の私は、誰かと対話することで、自分を知り、
さらに、このnoteで、過去の自分と対話をしているような気がしていて、
過去の経験もまるごと受け入れているんだけど、
お父さんとも対話したいな〜
と、普段なら、叶わない・変わらない過去を出して、
こうだったらとか、こうすればとか考えないタイプだけど、
お父さんのことは、私の奥底に「こうだったら」とか「こうすればよかった」ってたくさんあるんだろうな。
だから、これを書きながら涙が止まらないんだろうな。
でも、きっとお父さんは、そんな私の人生を今までもこれからも全部見ている。
ものすごい近くで。
お父さんにも「モテている」って自信を持って言えるような人生でいよう。
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