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インドで人生変わる、がマジだった2024年
ジャイプールという美しい街に女2人で旅した時、ルビーの指輪にとても惹かれて、「困難を乗り越える石」だと聞いて、即買いした。
これから家族の健康を優先して取らないといけないアクションが見えてきていた私、予想されるすべてのことに対処するのは心細く、精神安定剤のような気持ちで指にはめた。もちろん手にはメヘンディ(ヘナアート)をつけて。
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ここから数ヶ月、私の左手には必ずこのルビーの指輪があった。
帰国を決断した時、「毎日この国で息が吸えて幸せだ」と心から感じる土地を離れるのが悲しすぎて何度か泣いた。「呼ばれないと行けない」と言われるこの土地にせっかく呼ばれて来たのに追い返すんかい!と愚痴を言った。
夫を連れて帰り、その後単身引越し作業へ。
空港から力強くはためくインド国旗を見て、「これを見てもうただいま!と言えないのか」とまた泣いた。引越し中も銀行手続き等困難が多かったので、インド人にも日本人の友達にもたくさん泣き言を言った。自立とは依存先を増やすこと、とはよく言ったもので、この時の私は短期間で処理すべきことが多すぎて、愚痴と不安を垂れ流して生きていた…皆様本当にありがとうございます。思い出すといつも感謝が止まらない。
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「また連れてきてヨ」という願いも込めて、頂き物も含めガネーシャ像を4体持って帰国した。我が家の棚には今マリア像、無数の神社のお守り、ガネーシャ像がある(多神教もいいところ)。
無事に帰国して引越し先も爆速で決め、新居へ。マンスリーマンションやホテルを転々としていたので住処が見つかり、殻が見つかったヤドカリの気分。その後すぐ前の会社にーインドにいた時には一刻も戻って仕事をしたいと思っていた会社に戻った。
こんなに空が綺麗なのにみんなひたすら携帯だけを眺めている満員電車に、インフラが完璧なのに不自由そうな人々に、空気で会話されている会議に、今まで賛同しかしていなかった資料に、全てが計画通りに進むのが当たり前のプロセスに…全てに違和感を感じ始めた。
あれ、私もしかしてめちゃくちゃ中身変わった??ていうか日本の適応ムリゲーじゃない?
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日本からインドへの適応よりも、すべてがきっちり整然とした組織への復帰が一番ハードだった(私の中身が変わっただけなのでもちろん批判ではなく)。頻繁に発熱するようになりコロナにかかり、その後はコロナ後遺症で寝たきりになった。色々な種類の変化の疲れと焦りが募った数ヶ月。体が強制的にストップをかけた。夫の妻介護生活がスタート。
そんな中ガーナに住んでいた先輩(今はインドネシア住み)に相談したら、ガーナから帰国時日本に適応するのがとても苦しかった、という話を聞いてものすごく救われた。
体が強制的にストップをかけたことで、インドのこともゆっくり振り返る時間が出来た。
カオスな環境は全てがある意味自由自在で、すべて「なんとでもなる」という前提で動いている。だから疑うことや交渉がとても大切になってくる。「なんとでもなる」からこそ、「自分はどうしたいのか」を主体的に考えるようになる。
まわりとの調和を気にしていたら、得られるものも得られない。だから、主張することをやめない。それらを身につけて日本に帰ってきた時、会社の雰囲気や進め方にあまりに混乱して上司に「圧と勢いしか学んできていないのに、それが不要な国でどう生きればいいんですか!?」と聞いた。
部下のお悩み相談でも聞かない話でさぞ驚かせてしまったことだろうと思う。恐ろしい部下よ…
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キャリアについても大きな変化があった。
明確にカーストがある世界をまざまざと見せつけられていたので、「自分で自分の道を自由に選べる権利がある」日本という国の奇跡っぷりを感じた。コーチングも受けて、インドに行く前に主体的に生きていたようでいかに他人軸で生きていたかを自覚するようになった。
可能性の大小はあれどカースト世界ではチャレンジすら許されないことも多い。日本はまだ場数を踏める環境がインドよりは、多くある。インドに限らず修士号(理系は博士号)を持っていないと職に就けない国もザラな中で、学士号でも就職口があるのはすごいこと。
そして人生の生き方は思っていたより多様だ、自分でデザインしていけるのだと知れたこと。
今まではまわりも自分と似たバックグラウンドのバリキャリ系統女子が多く、私自身は「目の前のレールを効率的に早く進むこと」を信条の一部のように生きていたし、「無駄」とされるものが嫌いで本棚は全てビジネス書。文学部だったのに文学には手を触れず、いかに効率的に生きられるかばかり考え、無自覚ながら偏差値教育の負の遺産を詰め込んだような生き方をしていた節があった。
そんな中突然「駐在妻」という新たなラベルが自分に貼られることになった。駐在妻は多種多様でいろんな人がいた。バリキャリタイプもいれば、立派に家庭を支えている子、インドを存分に楽しんでいる子…「仕事が好きで前に突き進む」人たちがまわりに多かった私にとって、彼らの存在はとても新鮮で、また新たな世界を学ばせてもらった。
「一生主婦していたい、主婦は幸せ」と話してくれた友達。そんな価値観があるのかと目をまんまるにしたのを今でも覚えている。一方で、彼女らが懸命に激務の旦那さんを支える姿や家庭を支えるために磨いているスキルにはいつも感動させられた(爪の垢を煎じたくて震える…感動していたら1年が終わってしまっていた)いろんな役割があって良いのだから、世の中の専業主婦とワーママ論争なんてどうでも良いと心底思ったし、いろんな生き方があって良いのだと思った。
現地採用でインドに住んでいる子たち。厳しい気候条件にも負けずたくましく生き抜くインド人たち。とにもかくにもこの国に集ってくる人は面白く、話せば話すほど自分の枠がいかにちっぽけで、判断基準が自分の外のちょっと悲しいものだったかを痛感する。
「インド行くと人生変わる」とよく聞くけれど、あながち間違ってはいない。今は友達に話をすると驚かれることが増えたので「ごめん、インドでOS変わっちゃった★」と前置きするのがデフォルト。自分でも自覚していないペースで価値観が変わり、世界を見る目が変わったなと思う一年。
「とにかくレールの上を前に早く進まないといけない」「頑張り続けないと死ぬ…」という謎の呪縛から解放され、全てが計画通りにならない、なんなら計画そのものが消え去ってしまうような国で過ごすことで、「人生紆余曲折あってなんぼ」「自分でいろんな生き方を選べる国に生きているのだ、それを最大限に活かそう」「レールは自分で作っていけば良い」と気づけたことはとても大きく、インドに行かないと意外と頭でっかちで理屈屋な私は変わらなかったなと思う。
インドで人生変わる、これは大真面目にマジ。
変わる中の苦悩はもちろんあるけれど、こんなに違う価値観のハンマーで脳をぶん殴ってくれたインドと、キャリアコーチングのコーチと、インドに連れてきてくれた夫に心から感謝を込めて。
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noteを通して書くことや言葉を練ることの楽しさに10数年ぶりに気付き、皆さんの見ている世界を少し覗かせていただき、とっても豊かな時間を過ごさせていただいたと感謝です。
ヘンテコな文章も多い中、読んでいただき本当にありがとうございます。
これからの皆さまの記事も楽しみにしております!