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モノづくりが大好きなくせに飛び込めなかった高校時代

小学校の頃の自由帳には将来の夢はファッションデザイナーと題して
お洋服のデザイン画のようなものをびっしり描いていたような子供だった。

お絵描き大好きから始まった美大受験

中学高校の成績も、常に美術は10
「美術大学に進学しよう!」と思ったのは自然な流れだった。

高校の時は美大専門の予備校に通い、デッサンの練習をする日々。

当然、美大予備校には絵が好き、得意という人が集まっている。

課題を描き終えると、講評があり、
先生によって絵のうまい順番にデッサンが並び変えられる。

私はいつも一番最後か、最後から2番目くらいをうろうろ。
何十人の前で、先生に気を遣われながら下手な絵についてあーでもないこーでもない言われるのは、なかなかの拷問。

「絵、下手すぎ。センスないのかな、、、。」

講評があるたびに、どんどん自信を失っていった。

さらに、美術大学は試験がとても専門的で、
高校生の時点でグラフィックデザイナーになりたいのか、映像作家になりたいのか、工業デザイナーになりたいのか、はっきり決める必要があった。

やりたいことなんて定まってないし、自信のなさも手伝って、超逃げ腰で。
高校3年の秋に、美大受験をあきらめ、一般の大学に進路変更した。

美大から一転。結局選んだのは私のキャラとはかけ離れた皇族も通う「フランス文学科」

そして選んだ道は「フランス文学科」
当時、頭がお花畑だったので、
「芸術の都、パリ~、私にぴったり!」と本気で思っていた。

が、、、!
フランス語には全く興味がなく。
毎日の授業が退屈でしかない。

みんな「全然勉強してなーい、やばーい♪」って言うから、真に受けていたら、結構できてるっていう。。。

一応私なりに真面目に勉強したり、
授業にもでていたのに、
大学1年でまさかの留年。

自分で選んだくせに、
あと4年も興味のない勉強をしなければならない現実に絶望。
研究室の掲示板の前でしばらく立ち尽くし、こう思った。

「そうだ、美大にいこう」

美大再受験をめぐり、父と大バトル。1日12時間の猛勉強。

両親に大学をやめて美大に行きたいと伝えると、父は大反対。

でも、あと4年、興味のない勉強をして時間を無駄にするのは私の人生において大きな損失。
しかも4年で済む保証はない。

毎日のように父とバトルが繰り広げられ、とうとう
「美大に行けないなら、明日退学届をだす。
しばらく海外を放浪する。」と言い放つ。

あまりのしつこさに、諦めた父は
「浪人なしで、3か月で美大に合格できれば行ってもいい」と言ってくれた。

今思うと、お金がかかりすぎて本当に申し訳ない。お父さん、ありがとう。

残された時間は3か月。
私は実技では他の受験者に絶対勝てないので、学科で満点を目指し、合格するという道を目指した。

1日12時間以上勉強し、成人式にも出ず、ご飯を食べる時間も削り、1日おにぎり1食生活をして、何とか3か月で美大に合格。

そして、美術学生時代はとことん、好きなモノづくりに没頭。
これが、すべての始まりになった。

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