うめこ

17年越しの「自分のブランドを作る」という夢実現を目指し、ブランドが誕生するまでの過程を発信します|アパレル業界で8年修行👗そんな夢はすっかり忘れ、WEBライターを経て海外向けにオンライン秘書を始める|アラフォー2児のママ|モノづくり大好き|趣味は工場見学

うめこ

17年越しの「自分のブランドを作る」という夢実現を目指し、ブランドが誕生するまでの過程を発信します|アパレル業界で8年修行👗そんな夢はすっかり忘れ、WEBライターを経て海外向けにオンライン秘書を始める|アラフォー2児のママ|モノづくり大好き|趣味は工場見学

最近の記事

興味なくても、熱量の高い情報に人は惹かれる。

先日、スペイン在住の友人が我が家に泊まりに来た。 もうかれこれ10年以上の友人で、週1回位長電話をする仲だ。 友人は美容師をしながらライター業をしているのだが、大好きな作家さんがいるという。 どえらい作家さんなんだろうけど、ぶっちゃけた話、私にとっては「しらんおじさん」でしかない。 でも友人は「しらんおじさん」の本を読んで脳天に稲妻が走るほどの衝撃を受けたそうで、何かにつけて「しらんおじさん」の本を読み散らかしているらしい。 とある日の友人との電話で相談をもちかけられ

    • なんかどうでもいい、と思った瞬間うまくいく件

      ここ10年のあいだ「なんかどうでもいいなぁ」って思った瞬間、うまくいくことが何度も起こった。 一つ目は婚活 20代の頃の私は、人生の目標を 「20代後半で結婚して、出産して、 子供二人作る」 これを大きな目標にしていた。 この人生最終目標を達成するためにすべてのスケジュールを逆算し、その時を迎える準備をしていた。 そんな想いで生きてるもんだから、それはそれは重い女と化し、せっかく好きになった人も超ヘビーな私にドン引きしてあっさり振られた。 毎日涙を流し、もう人生終

      • やっと気づいた、自分が本当にやりたいこと

        3年もかけてたどり着いた、香港。 本当はずっと住むつもりだったけど、 いろんな事情が重なり、 帰国しなければならなくなった。 帰国後、相変わらず海外出張が多い、ファッション雑貨メーカーの生産管理の仕事についた。 まだまだリモートがメジャーではなかった時代。 その後、結婚、出産、引っ越しとなり、 残念ながら仕事を続けることが難しくなってしまった。 しかたなく始まったフリーランスの道 会社を退職後、 香港にいたときに感じた「海外に日本の良さを伝えたい」という思いから、

        • 3年越しの思いでたどり着いた最終目的地

          若かれし頃、バッグパッカーだったこともあり、日本に住んで普通に就職することが窮屈だと感じていた。 そんな私には、バングラに駐在する前から抱いていた夢があった。 それは「香港に住む」ということ。 なんで香港か。 それは、映画「恋する惑星」に心奪われたからだ。 アホみたいな理由だけど、それだけでほんとに行動にうつすから「若い」の馬力はすごい。 バングラの社宅にはwifiがなかったので、恋する惑星のDVDを見ながら「私はここに住む!」と鼓舞していた。 バングラで孤軍奮

          バングラ生活で生まれた最強マインド

          25歳のとき。 バッグ工房を辞め、失意のなか、ラオスという国に逃亡した。 ラオスは何度も訪れたお気に入りの国で、学生時代作っていたバッグにはラオスの生地を使っていた。 この国にしばらく滞在してバッグをつくれないか模索していたが、何もできなくて悶々とした日々を送っているところだった。 そんな中、NOKIAのちっさい携帯に母からの電話。 「バングラディシュでバッグを作る日本人の女の人いたよ。 バッグ1個買ってみた!」 興味を持った私は、母からバングラディシュでバッグを製

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          手取りは3万。厳しすぎる革職人の世界。ベテラン職人の仕事を見て思ったこと。

          美大生時代。 友人と布バッグを作って販売していたことがきっかけで、 将来はハンドバッグの革職人になりたいと思っていた。 布のバッグは寿命が短いけど、革のバッグだったら長く使ってもらえる! そんな思いから、当時は大学に通い、夜間はハンドバッグの革職人養成学校に通う日々。 私はただの学生なのに、本当に厳しくて。 あまりにも怒られすぎて、休み時間には階段のすみっこで涙することも・・・。 それでも高速でミシンを踏み、あっという間に美しいバッグをつくってしまう、職人の手仕事にあ

          手取りは3万。厳しすぎる革職人の世界。ベテラン職人の仕事を見て思ったこと。

          モノづくりが大好きなくせに飛び込めなかった高校時代

          小学校の頃の自由帳には将来の夢はファッションデザイナーと題して お洋服のデザイン画のようなものをびっしり描いていたような子供だった。 お絵描き大好きから始まった美大受験 中学高校の成績も、常に美術は10 「美術大学に進学しよう!」と思ったのは自然な流れだった。 高校の時は美大専門の予備校に通い、デッサンの練習をする日々。 当然、美大予備校には絵が好き、得意という人が集まっている。 課題を描き終えると、講評があり、 先生によって絵のうまい順番にデッサンが並び変えられる

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          ミジンコが円安について語る

          1ドルが154円になってしまった。 私は海外のクライアントを相手にお仕事をしているので、報酬の支払いはドルです。 さらに、海外向けオンライン秘書コミュニティも運営していて、 今円安だから外貨稼ごう!って推薦もしています。 当然ですが、私のドル資産はぐんぐんあがっているわけで。 そして、おうちにいながら外貨を稼ぐ私の働き方にも注目が集まるわけです。 つまり、私の立場的には本来円安を喜ばしく思う身分と言っても間違いではない。 でも・・・ 正直ちょっと複雑な心境です。

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          やりたいこと迷子のアラフォー。ようやくやりたいことやるってよ。

          とにかく今は考えていることを書いて公開したい欲が前の目っているので、これから挑戦しようとしていることについて書き留めていこうと思います。 間違いなく乱文になりますがご容赦ください。 簡単に今までの経緯主にフリーランスでライティングやらオンライン秘書やらをやっています。 なんだかんだ3年くらいになるのですが、あんまりガツガツ活動しているわけでもなく。 新しいスキルを身に付けては営業に走り、実際案件をこなすと「なんかちがう」と思ってまた新しいスキルを身に付け、のサイクルを繰り返

          やりたいこと迷子のアラフォー。ようやくやりたいことやるってよ。