手取りは3万。厳しすぎる革職人の世界。ベテラン職人の仕事を見て思ったこと。
美大生時代。
友人と布バッグを作って販売していたことがきっかけで、
将来はハンドバッグの革職人になりたいと思っていた。
布のバッグは寿命が短いけど、革のバッグだったら長く使ってもらえる!
そんな思いから、当時は大学に通い、夜間はハンドバッグの革職人養成学校に通う日々。
私はただの学生なのに、本当に厳しくて。
あまりにも怒られすぎて、休み時間には階段のすみっこで涙することも・・・。
それでも高速でミシンを踏み、あっという間に美しいバッグをつくってしまう、職人の手仕事にあこがれていた。
でも、進路相談した職人の先生にはこんなことを言われた。
「あなたはせっかく美術大学を出ているのだから、デザイナーになりなさい。職人では食べていけない」
「先生なんでそんなこと言うの??こんなにあこがれているのに・・・?」
混乱しながらも、先生のアドバイス通り、日本でも有名な老舗バッグメーカーにデザイナーとして就職した。
とりあえず新卒切符で入った老舗ハンドバッグメーカー
週休二日。残業もなく、
新卒デザイナーとしては悪くないお給料。
これで順風満帆!
とはいかず、実際はものすごいストレスだった。
学生時代は好き勝手にやっていたからできたものの、
会社にとって好ましいデザインを考えるということが、
モーレツにできなかった。
仕事中はよく修理室の職人さんのところに行ってサボり、
ミシンでサンプルを縫わせてもらったり、バッグづくりについて職人さんと話したり。
ストレスMAXだった私にとって、修理室はオアシスだった。
「やっぱり革職人になりたい」
そんな気持ちが大きくなっていった。
ありとあらゆる人にもったいないと言われながら、新卒切符で入った会社は1年で退職。
下請けのメーカーさんに相談して、自宅から2時間かかる小さな工房を紹介してもらった。
憧れの職人の道!
工房で働き始めて、職人の先生が言っていた意味が初めてわかった。
お給料は8時ー5時フルタイムで5万。しかも交通費込み。
交通費が2万くらいかかるので、手取りは3万。
「これくらいしか払えないけどいい?」
(全然よくないけど)「はい、やらせてください!」
お金はとんでもなく安い。
でも職人さんの技術はすごくて、
私の薄っぺらい具体的な指示もないデザイン画を、本当にそのままバッグとして表現してしまうような凄腕職人さんだった。
こうしてずっと憧れていた職人見習い時代が始まった。
日本のバッグ製造現場の実情
毎朝5時起き。
朝なのに真っ暗。寝ぼけて朝なのか夜なのかわからない中、工房に向かう。
そして、1日中ゴムノリを塗ったり、ヘリ返しという作業をし続けたり。
オーダーがなくてただコーヒーを飲んで帰ることもあった。
苦労して生産したバッグを納品したとき、請求書がちらりと見えて、衝撃が走った。
たったこれだけ???
その時初めて手取りが3万で、それでもいっぱいいっぱいの金額だったことに気がついた。
ある日、見習い修業をさせてもらった工房の職人さんはとても悲しそうな顔をしながらこう言った。
「この周辺にもバッグ工房がたくさんあったけど、今残っているのはうちだけなんだ。」
すごくあこがれた職人の道。
恥ずかしいことにわずか3か月で退職した。
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、未来が見えなかった。
日本のバッグの製造現場は、職人を志す若い人はほとんどおらず、
高齢化が進み、どんどん職人さんがいなくなっている。
私が当時お世話になった工房も、今はもうない。
こんな状況はバッグ業界だけではない。
いろんな日本のモノづくりの生産現場で似たようなことが起きている。
近い将来、日本製のバッグは絶滅してしまうかもしれない。
日本にはこんなに素晴らしい技術があるのに、
もっといろんな人に知ってもらえる機会はないものか。
おこがましくも、この頃からそう思うようになった。