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読書という自己満足
脱栽培マンマガジン、2本目です。
読書って無条件に素晴らしいことだと思っていないでしょうか?
子供の頃に「本を読むことはいいことだ!」と教わってきた人も多いかもしれません。
しかし、闇雲に読書という行為だけが全肯定されることに違和感を覚えます。
栽培マンの多くは「読書をした」という事実に満足しているだけのことが多く、中身を咀嚼して、それを実世界に応用しようと思って行動にまで実践できている人はほとんどいないのではないでしょうか。
もちろん、読書にも種類があり、小説などをエンタメ感覚で楽しむ分には問題ありません。
重要なのは、その読書を「エンタメとして楽しむ」のか「何かしらビジネスの役に立てようとするのか」という目的をはっきりさせることです。
目的意識が希薄な中でビジネス書を読んでいる、意識が高い人は多いのではないでしょうか。
目的が曖昧な中で「なんとなく読んでおいたほうがよさそう」と思って、グロービスMBAなんちゃらみたいな分厚い本を読みだして、睡眠薬にしかならなかったという人は少なくないと思います。
栽培マンは中途半端に意識が高いがゆえに、目的意識が曖昧な読書を試み、それを無条件に全肯定しがちです。
読書はその著者の叡智が詰まっており、それを数時間で咀嚼できるという点で、一見コスパが良く見えます。事実、目的がはっきりしており、マーカーを引いたりメモを取ったりして、その書籍の中から自分の行動に応用できる点はないか探す読書ができれば、コスパはとても良いでしょう。
しかし、読書自体が目的化してしまっている場合もあるのではないか。
「読書してる俺、知的」とかエクスタシーに浸っていないか。
面白いなと思ったのは「ファッション本としての落合陽一」という事象です。
私は正直、少し読んでみたことがありますが、よくわからないしあまり自分のプラスにもなると思えず、読むのをすぐ辞めました。
実際、内容が難しいこともあるため、落合本は多くの人がよく理解していない可能性が高いです。
しかし、「落合陽一を読んでいる(と思い込んでいる)俺って知的」とか思っているわけです。実態としては、本棚に眠っているだけで「いつか読もう」と積読候補になっているだけですが。
決して落合さんが悪いわけではなく、消費方法の一つとして、ファッション本として扱われている。中身ではなく、パッケージが買われている事象として、今回の主張に関係する例として挙げました。
無目的にビジネス書を読んでいても、その内容に対する吸収効率が悪く、コスパが悪いと言えます。
非常に苦しい言い訳をすると「人生無駄はない」とか、それをさらに高尚に表現すると「教養だ」といえますが、よほどあらゆる物事にアンテナが高い人じゃない限りは、無目的な読書で教養は身に付かないと感じます。
栽培マンは目的意識が希薄な傾向があります。
読書を全肯定するのではなく、今自分にとって何を読むことが必要なのか。
その本を読むことを通して、自分は何を得て、どう変化したいのかを読書前に思考した上で、読む本を選ぶと、読書によって得られる効用が何倍にもなるのではないでしょうか。
願わくば、良書だと思えば、レビューを書いてみると良いでしょう。ブログでもnoteでも良い。
レビューを書くことで、自分が何を学んだかの整理にもなりますし、著者の方も喜んでくれるかもしれないし、これからその本を読もうと思う人の参考になるかもしれません。
読書感想文のようなアウトプットを前提としたり、その本を読んでどう思考や行動を変えるかを想定した読書ができると良いですよね。
私は投資関連の本をここ1年読んでいますが、気になった箇所はマーカーを引いて、Excelに写経して落とし込み、たまに読み返しています。
以上です。
こういった栽培マンの無駄な思考や行動を指摘し、変化を促していくのが脱栽培マンサロンです。多くのサロンメンバーが書き込み、私から厳しいツッコミを受けていますw
毎週水曜を目処に、サロンの内容の一部を紹介する無料マガジン「脱栽培マンマガジン」をnoteで更新していきます。
今週から、デザイナーさんに「マガジン用のバナー」を作っていただいたものを使用しています。栽培マンたちの表情がなんとも言えませんねw
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