松本人志『ワイドナショー』卒業を通して、テレビ番組の視聴率と将棋AIの数値を比較してみる
前回、松本人志の『ワイドナショー』卒業について書きました。その続きです。番組内で、松本さんは視聴率の話をしていました。
それによると、『ワイドナショー』は『サンデージャポン』に視聴率で負けている、という非難があった。これに対して、彼は「コア視聴率」はダブルスコアで『ワイドナショー』が勝っていた、と指摘したのです。
要するに、『ワイドナショー』を批判していた人は、「世帯視聴率」のみを判断材料にしていたということでしょう。これは批判するデータが少ないのではないでしょうか。ひとつだけっていうのは説得力がないし、そういう批判がネット上にあふれかえるのは気をつけたいですね。
たぶん、そういう方は、説得力のある批判がしたいのではなくて、なにげない暇つぶしの批判なんでしょう。それこそ危ないですが。
これで思うのは、将棋AIのこと。「見る将」の私は、アベマでよく対局中継を見ます。そのとき、画面上に現れるのが、将棋AIによる形成判断の数値です。AIの評価の仕方はプラスマイナスの数値であったり、パーセンテージであったりする。
パーセンテージであれば、「50%対50%」に近い数値が出ていると、互角という形成判断になる。「70%対30%」や「80%対20%」になれば一方が勝勢、「99%対1%」であればほぼ詰みがあるみたいな感じです。
たとえば、最終盤で、AIの形成判断が「80%対20%」と表示されれば、見ているわれわれにとっては、野球でいえば「9回表で8対2」みたいな大差に見えるのです。野球であれば、ここからの逆転はほぼ不可能です。
しかし、将棋の場合はそんなに単純じゃなさそう。そもそも対局者にはこの数値が見えていないので、画面に「80%対20%」と有利に表示されていても、対局している本人は反対に、局面的に「20%対80%」と不利に感じている可能性もある。
つまり、ひとくちに「80%対20%」といっても、対局者が見て「そりゃそうだよな」というときもあれば、「そんなに開いている?」「自分が有利なの?」といぶかしく思うこともある。あくまでもAIの数値は、その局面の勝ちやすさをコンピューターで計算しているだけである。
一方、人間には「難しいな」「よくわからないな」と思う心理的な面もあるし、残りの考慮時間が切迫しているという焦りもある。要するに、局面によっては、AIのクールな計算には含まれない、さまざまな要素(とりわけ心理的なもの)を考慮に入れなければならないはずである。
人間はAIではない。焦っている場面で、クールな計算ができるはずがない。そんななかで「80%対20%」なんて言われても、対局者はよくわからないはずだ。でも、有利な状況から、ミスをして形勢を損ねてしまうと、「溶かした」「衰えた」など、視聴者からのネガティブなコメントがあふれる。
AIの数値は、あくまでもコンピューターが計算したものである。もちろん、それ自体は正しい評価だろうが、形勢の善し悪しの判断には、それ以外の要素も含めてもいいはずだ。いや、「局面の複雑さ指数」や「対局者の焦り指数」みたいな、もっと要素を増やさないといけない。
判断要素がAIのひとつだけで、これをもとに批判するというのはフェアではない。対局者が気の毒である。話が戻って、『ワイドナショー』の視聴率への批判も、判断材料が少ない。ひとつの指数だけを見ていじるのはどうかなぁと。芸人だって傷つきますよね。
それに、もっと広く考えれば、リテラシーの問題でもある。判断材料が少ないよりも多いほうがよい分析できるんだと、普段から気をつけたいですね。また次回。(梅)