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古きよきフランス映画の面影-『それでも私は生きていく』を観る

私が若いころはミニシアターブームがあって、女子大生たちがこぞってフランス映画を映画館に観に行ったものです。昨今はそういうこともなくなり、私もフランス映画を観る機会が少なくなりましたが、久々にいい映画を見つけたので紹介します。

それでも私は生きていく』は2022年の作品です。監督はミア・ハンセン=ラブ、主演はレア・セドゥです。原題は「Un beau matin」(すてきな朝、ぐらいの意味でしょうか)。しかし、この邦題、どうにかならないんですかねぇ。そりゃそうなんだろうけど…。
 
ミア・ハンセン=ラブは、『あの夏の子供たち』(2009)や『EDEN/エデン』(2014)といった良質の作品を生み出していて、いま期待できるフランスの映画監督のひとり。この『それでも私は生きていく』もいい作品でした。
 
ストーリーは、大雑把に言えば、ひとりの女性がどう生きていくか、ということ。小学生の女の子を抱えるシングルマザー・サンドラのお話。彼女の周辺には、視覚や記憶に疾患が出ている老いた父親(彼女は老人ホーム探しに追われる)、死別した夫の友人で、妻子持ちの新しい恋人(優柔不断!)、仮病を使う娘(なんかイライラしているのか?)、などなど、いろいろ大変。
 
と、ここまではよくありがちな作品。それでも、映画的な魅力が満載の作品なのだ。

古きよきフランス映画の面影

いろんなフランスの往年の映画監督の影響が見え隠れして、とても楽しい作品です。まずはなんと言ってもトリュフォーでしょう。パリ18区を舞台にしているのは『大人は判ってくれない』(1959)だし、物語のなかで重要な位置を占めるシャンソン「サンジャンの私の恋人」は『終電車』(1980)で使われたもの。これには不意を突かれ、思わず涙しそうになりました。
 
それから、まあロメールですか。父親役のパスカル・グレゴリーも老けたなぁ。『海辺のポーリーヌ』(1983)などがなつかしい。それと、やっぱり好きな母親役のニコール・ガルシア。彼女については、アラン・レネの『アメリカの伯父さん』(1980)とクロード・ソーテの『ギャルソン!』(1983)が思い出に残っています。

ひとりの女性が生きていくには…

さて、この映画はとにかく目まぐるしい。以上のように、シングルマザーのサンドラは、父親の面倒は見ないといけないし、彼を老人ホームに入れるためにあちこち動き回らないといけない。フランスの老人ホームって、現実に問題になっているが、サービスの質が非常に悪いところもあるので、気を遣うのだ。
 
ただ、サンドラは父親をたんに毛嫌いしているわけではなく、哲学者で崇拝者もいる彼の影響下にあって、老いて融通が利かない父をどう扱えばいいのか、正直持て余しているようである。ちなみに、原題の「Un beau matin」は、この父が構想していた自伝のタイトルだったはず。
 
彼女にはこの父親と別れた母親もいるし、父親のパートナーの女性もいる。そして、新しくできた恋人クレマンとの関係もうまくいったり、いかなかったり。宇宙化学者なる仕事に従事する(謎の仕事に従事する、というのもトリュフォーにおなじみ)彼は妻子持ちで、あっちとこっちを行ったり来たり、決めかねている。
 
娘とクレマンの関係は順調でなによりだが、とつぜん足が痛いと言って、奇妙な歩き方をしている。医者の処方は仮病じゃないかと。女の子って、なかなか難しい。

映画において感情の高ぶりをどう描くのか?

こうしたトラブル続きのなかで、サンドラはついに感情を高ぶらせる。ただし、その感情の高ぶりは、たんなるありがちな不満の爆発というものではない。むしろ、なにか「映画的な揺さぶり」によって引き起こされているように感じるのだ。
 
それはどういうことか。つまり、彼女の日常は、トラブル続きとはいえ、けっして不幸なことばかりではない。恋人との関係は、うまくいっていることも多い。娘との関係も良好だ。同時通訳者としての仕事もコンスタントにこなしている。だから、いいこともある。
 
私たちの日常とはそのようなものだ。良いこともあれば悪いこともある。悲しすぎることもないし、楽しすぎることもない。この辺もトリュフォー的か。ともあれ、こういった良い・悪い・良い・悪い・・・の連続が途切れなく続くので、その波が彼女の感情を高ぶらせるのである。
 
フランス映画って、アメリカ映画に比べて、ダラダラしていて、盛り上がりに欠けるように思われることもあるだろう。でも、実際はこんな小さな感情の波が、押しては引きを繰り返していて、それがひとつひとつ繊細に積み重ねられて、そうこうしているうちに大きな感情の揺れへと至るのだろうと考える。
 
実際、彼女が最後に感情を高ぶらせたのか、よくわからなかった人もいるのではないか。それは、今書いたように、彼女の内側でいろんなものが積み重ねられていたからなのだ。ミア・ハンセン=ラブによる、その積み重ね方がすばらしいのだ。
 
そういう意味では、『それでも私は生きていく』もまた、かつてのフランス映画、トリュフォーやロメール、レネあたりに連なる作品として楽しむことができる。パリを舞台にしたリヴェット的経めぐりでもあるか。必見の映画作品である。ぜひ劇場で!

では、また次回。(梅)

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