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コロナ世代の本音

ふと、文章書こうと思い立ったはいいものの、読み切った本はないし参加したイベントもなくて、明確な題材がないので、今日は私が日々感じていたことを徒然なるままに書いていこうかなと。

コロナ禍の始まりと学生生活

私、二十歳です。高校一年生の冬にコロナ禍が始まり、今に至るって感じ。最初は学年末試験がなくなって、突然休校になって、春休み伸びたぜ!わーいみたいな感じでしたね。この先どうなるとかは全く考えてなくて、東京でコロナ感染者数が30人とかでもラインニュース速報で入るような時代だったので、とりあえず家でダラダラできる!ラッキーー✌️みたいなテンションでした。勿論最初はステイホームをみっちり楽しみましたよ。昼手前まで寝て、ふらっと起きてグラノーラ食べて、とりあえず運動しよーと思って軽く筋トレしたり、近くのお菓子屋さんまで散歩したり、そしたらもう夜でおやすみーみたいなね。当時苦しかったのはやはり、高校の友達に会えないことでした。高校って中学とは違ってみんな各々の地元から電車でくるから、ステイホームになっちゃうと全く会えなくなるんだよねぇ。でも、新学期が始まれば元通りだって信じてました。お恥ずかしながら、当時、派遣切りやら失業やらで困窮している家庭がいくつも誕生していたことは全く知りませんでした。うちは母が医師で父はリモート会社員なので、より身近な社会への影響を肌身で感じることって正直なかったな。それよりも、医療現場の逼迫状況ばかり母から聞いていた感じです。

フラフラ書いてみたけど、正直この時の記憶ってほぼない。それもそのはず、毎日前述した生活習慣ぐーるぐるで生きてたし、当然旅行、行事、イベント、外食すらなかったから、海馬がため込んでくれるような情報が何もないのよね。ただ、心の芯から反応して怖かったのは、人々が分断していくような風潮。例えば、私は医療現場のやばさを肌身で感じていたし、決して外出せずに友達と遊ぶのも我慢してたけど、勿論全員が全員そうではなくて。当たり前のようにいつもより気持ち空いてる繁華街に出かけて「コロナ禍プリ!なう〜」みたいな子もいました。そういう子に限ってsnsの更新頻度が高かったりして、普通にイライラしたの、覚えてる。ここで普通にって使ったけど「普通に」〇〇できるってすごいことだよ。「普通に」が通じる環境ってすごく秩序だってていいなって今なら漠然と思います。というのも、これから書くことは今の私、コロナ禍の真っ暗闇からちょっとずつ抜け出して普通に戻ろうとしている私にとっては普通ではないことだったから。それは何かというと、sns依存。強烈なね。自粛期間にフラフラ遊び歩いてる友達に対して、初めは「普通に」イライラしてたんだけど、徐々にみんないわゆる裏垢を作り出して。それも、「仲良い人にだけ見せられる写真をあげます!」「ヲタク用アカウントだから仲良い子だけ!」みたいなサブ垢を装った完璧な裏垢。悪口、妬み、嫉妬。そこで、新たな人間関係が生まれていくんですよね。この子は私を裏垢に通してくれているから仲がいいと思ってくれてるんだ!とか、裏垢に通してくれているから私のにも通さないと失礼になるんじゃないか、とかね。あとはなかなか裏垢を作らない友達のアカウントをチェックしては、私だけハブられているんじゃないか、とか。今考えれば馬鹿らしいです。でも当時の私たちにはこれしかなかった。家族以外の人間と顔を合わせることもできない中で、唯一感染の可能性のない安全なコミュニティがsnsだったんです。通常の学校生活で一つのクラスに一軍陽キャグループ、ゲームが趣味の静かめ男子グループ、いつも一人でいる女子、、さまざまな関係性と人間が混在しているのと同様にsns上でも同じ現象が起きていたわけです。でも、今の中高生って、学生になった時からブームはコロナ禍のsnsだったわけで、私が普通じゃないって断言しているような風潮が普通になってるんですよね。たくましいな。しっかり自分を忘れず生きて欲しいです。
ちなみに、私はインスタではなくツイッター派でした。この頃から、ツイッターのいわゆるツイ廃界隈にずぶずぶ埋もれていくんですよね。思い出したくもないですが。暇すぎて、スワイプするごとに新しい投稿がどんどん流れてできて消えていく、消費社会の象徴みたいなプラットフォームに脳みそハッキングされてしまって、一日中そこに顔を出していました。私は同じ立場の公立の進学校に通っている人たちの界隈にいました。みんなとにかく頭がいい、人がいい、そしてコロナ禍で心にモヤモヤを抱えているという共通点があってすぐに仲良くなりました。結局対面で会ったことがあるのは、自粛解禁後に2.3人だけですが、当時はそのコミュニティがないと不安で不安で、同時にこんな私が一人で飛び込んでも優しく受け入れてもらえて安心感でいっぱいだった覚えがあります。その時はそれが私が取れる最善の選択だったように感じます。今思うと黒歴史です。深くは言及しませんが。

ステイホーム後の学生生活

高校二年生の6月(うろ覚え)ごろからようやく学校が開始になりました。ここは、学校に一つ物申したい部分なんですが、どうして行事もなく分散登校なのにクラス替え強行したんですかね?!全然新しいクラスに馴染めなくて大変でした。まだ覚えてますが、一年生の時の別のクラスの主要女子グループの8割がまとまったもんだから、クラスの雰囲気が彼女たちとその他(勿論私はその他(笑(笑い事じゃねえ)))となってしまい、どうにもできない状態でした。新しいクラスで馴染んで楽しくやりたくて話しかけに行ったのに、私の目の前でグループ内だけで話し続けて結局会話を至近距離で眺める赤の他人みたいな構図にされたの今でも忘れない。結構傷ついた。今思うと、そりゃ保守的になるよね、と。すでに友達がいる状況で新しい子に声かけていこうなんて新学期テンションならできるかもしれないけど、当時進学校なのにコロナの影響でカリキュラムが終わらないのが目に見えてたし、部活も行事もなくて突然のクラス替え。それはみんな現状維持に傾くよなぁと。まぁこんな感じに辛いこともあったけど、そのおかげで今の優しい自分がいると思えばいいのか?(結構よくない)
そんなこんなで、高校二年生、三年生と過ごして無事医学部現役合格して今に至ります。受験の焦りと、高校の喪失感とで自粛期間中にsnsにはまったあたりから実は徐々にメンタルブレイク気味になってしまって、結局高校の卒業式は行きませんでした。(実際後期試験が被ってしまって出席できなかったんだけど、果たして後期が被ってなければ出席したのか?永遠の謎です。)今思うと、出席しとけばよかったなぁ〜と。これは後日また機会があれば書きたいなと思ってるんですが、私結局心が拗れたまま大学生になったもんで、大学もあまり馴染めていないんですよね。初手でミスるってやつです。これは読者さんたちの心にはまりこんでくれるかわからない表現なのですが、高校一年生の楽しかった時期がまた突然始まるような気がして、ね。それまで一旦別のところにいるというか、塾の夏期講習に参加しているような気持ちで大学生活を始めてしまって、高校生ではない自覚が全然ないんですよね。それもだいぶマシになって、今はこうしてパソコンと向かって自身の気持ちを整理できるようなるほどには成長できました。節目って大事ですね。終業式とか卒業式とか結構舐めてたけどほんとにちゃんと参加した方がいいです。じゃないと、脳みそが空想と現実を取り間違えちゃうからね。

書いててちょっと悲しくなってきたので、休憩してきます。なんだか重くなってしまってごめんなさい。みなさんご自愛くださいね。

芽生


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