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長年気になっていたこと、『ディランとザッパ79〜82』案件

最近海外のFacebookグループで見つけたザッパのインタビューにとても興味深い記述がありました。1980年2月にオランダの雑誌に掲載されたもので、当時のザッパの最新作は"JOE’S GARAGE Act 2 & 3”でした 。

とりあえず俺の訳はイマイチだけど、以下、大意と抜粋。

Q: "JOE’S GARAGE" のメインテーマは反宗教?
「そう 思うね!。それは一つの要素であり、作品の最も重要なテーマではない。ボブ・ディランの宗派転向は、"JOE’S GARAGE"よりもはるかに反宗教的だ」

Q: ディランの誠実さを疑問に思う?
「彼がプロテストソングで誠実さを示したことがあるかい?。 今の世代はディランに興味を失っていた。 彼への関心は小さくなってしまった。そこでボブはキリスト教に改宗し、彼をほとんど知らない巨大な新しい市場を開拓したんだ。なぜ彼はユダヤ教でいなかったのか? 。もしかしてそれは、小さすぎるセールスエリアのためか?」

Q: 宗教を最大の危険と見なすか?
「破壊、死、戦争などを引き起こす3つのものがある。お金、セックス、宗教。この3つが複合的に絡んでくる。世の中のお金の意味は明確だ。セックスを通して、女性は男性を誘惑して馬鹿なこと引き起こす。穴に入れられれば、男は何でもする。過去にどれだけの戦争が起こったか、金と女性のためではなかったか?。 この見解は現代にはちょっと単純すぎると言えるけど、基本的にはそうだよ。」

Q:政府や宗教は意図的に人々を愚かにしてる?
「最終的には、それは全ての人のせいだ。なぜ人々があの政権を選ぶのか?。 しかし、誰かが政権の座についたら、そいつは自分のためだけにそこにいて、決して彼を選んだ人々のためになるようなことはしないということを理解できていない。」

Q: 民主主義は間違ったシステムだと思う?
「民主主義が機能すれば素晴らしいが、これは決してそうならなかった。 真の民主主義は、誰もが同じ教育を受けており、政府の漠然とした公約をきちんと評価することができるときにのみ有効である。」

インタビューは79年末か80年初頭だと思いますが、ここでの発言の主旨は、翌年の"YOU ARE WHAT YOU IS"から92年の大統領選出馬計画までに至る、ザッパの作品と活動の基本ステイトメントだったと受け取ることもできます。が、ここで興味深いのはボブ・ディランに対する言及です。
1979年、本来ユダヤ系のディランがボーン・アゲイン・クリスチャンの洗礼を受け、新興キリスト教に改宗し、大いに物議を醸したことがありました。その後の3年間は作品がゴスペル傾向を帯び、ディラン史的に見ても独特な時期になっています。この時期の改宗についてはいまだに謎な部分が多いのですが、「ちゃんとした宗教的立場から物を言うべきだと思った」という主旨の発言をディランはしています。この件についてはクリスチャン期のディランに詳しい人がいたら是非指摘して欲しいです。
あのボブ・ディランが純粋にこの発言通りの理由で改宗したとは到底思えません。今回この件についてザッパの具体的な発言を初めて知ったのですが、ザッパの指摘どおり、金や女が絡むタイプの事情と思惑はあったと考えます。が「ちゃんとした宗教的立場から物を言うべき」という作り手としての真摯な姿勢もあったことはその後の活動からも真実だと思います(それがその時点での、ある種の気の迷いだとしても)。「彼がプロテストソングで誠実さを見せたことがあるかい?」というザッパの言葉は、「自分はそういう立場は取らないよ」という意見表明と考えます。

その1979〜82年の間、ザッパに関しては、作る曲の歌詞の主題がボーン・アゲイン・クリスチャン、新興キリスト教、テレビ伝道師への批判と攻撃が主題になり、ほとんどポリティカル・アダルト・パンク・プロテスト・ソングだらけになっていきます。アラブの石油産業から大量の金が新興キリスト教へ流れ込み、莫大な献金で政治と企業をコントロールし、極度に右傾化し、おかしくなっていくアメリカの状況を憂うという視点があったわけですが、思うにディランの改宗の背景にもこの感覚があったと思います。でも、それで新興キリスト教徒になるなんて……(上の発言参照)。半分はオレの想像なのでまあ何ともかんともなんですが。
この時期のザッパの楽曲がレコード化されるのは81年になってからですが、このトピックに対するザッパの最初のリアクションは79年の"SHIEK YERBOUTI"のジャケット写真かもしれません。

その後ディランは1982年にユダヤ教に帰正します。そして翌年に"INFIDELS(不信心者、異教徒、異端者)"というタイトルのアルバムを出す事になります。ザッパの発言によると、なんとこのアルバム、 当初ディランが直接フランク・ザッパにプロデュースを依頼してきたという話があります。ディランとザッパはこの時期お互いの動向をどう見ていたかは定かではありませんが、非常に興味深い話の流れではあります。ザッパはリズムセクションをクラフトワークにする(ヒョエー)等のアイデアを提案したようですが、結果実現はせず。うーむ。この話、ディラン側からの証言は自分は読んだことありません。ディランが直接ザッパの家を訪れたというところから、どこまでビジネスの確実性があったのかは分かりませんね。知ってる人がいたら積極的に指摘していだだきたいです。
ディランとザッパによる制作は実現しませんでしたが、ユダヤ系のディランとイタリア系のザッパが、当時の宗教の政治の問題にコミットメントして、どう作品化していったのか、研究する価値は多いにあると思う次第であります。ザッパが今の日本にいたら統一教会か日本会議を徹底的にコキおろす組曲を書くと思うんだけど。

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このテキストを自分のFacebookに投稿したら和久井光司さんからこんなコメントをもらいました、以下抜粋。

ディランの改宗問題に関しては、オレが『ボブ・ディラン・ディスク・ガイド』に書いたことが、いちばん現実に近いと思います。彼の精神的な支柱は両親に教えられたユダヤ教の道徳観なんだけど、同時に両親は共産主義的な市民運動を推進していたりした。若きディランがロックルールからウディ・ガスリーに向かったのも、アメリカの民主主義に疑問を持ったからだと思う。その後ニューヨークのフォーク・シーンに入って、スージー・ロトロやジョーン・バエズらから共産主義的な考えを教えられ、それがプロテスト・ソングになっていった。で、ディランは、思想ってのはそんなもんだよ、と彼の女性関係を少しも反省しないし、プロテスト・ソングの意味をメディアに問われることに嫌気がさしていって、オレはただの歌手ですからってスタンスでロックに走っていく。今度の映画、『名もなき者』が素晴らしいのは、病気で動けなくなったウディ・ガスリーや、女性たちとの関係から、何かを代表しない、無責任な人間として生きる、そこにこそ自由がある、ということを悟って、世の中の頭の固い連中に悪態をつく歌「ライク・ア・ローリング・ストーン」を書くまでが描かれているところ。
企画したのはブートレッグ・シリーズのプロデューサーで、ディランよりもディランを知っているとも言えるジェフ・ローゼンだから、御大もインスタで自ら宣伝するほど気に入ってるんだよね。
ボーン・アゲイン・クリスチャンになったのも、Tボーン・バーネットが連れてきた(?)お姉さんにくっついて新興宗教の教会に通うようになったからで、おかげでローリング・サンダー・レヴューで客が入らなかった南部で、ゴスペル・ツアーを成功させる。コロンビアにいるのに、ワーナーのジェリー・ウェクスラーにプロデュースを頼んで南部のサウンドを自分のものにしたのは大きかったし、キリスト教とユダヤ教の違いを思い知ったから、どこに対しても異教徒である宣言をしたんだと思う。それをザッパとやりたかったのは本当の話じゃないかな。ディラン側からその話は出てこないけどね。でも、ブッシュの一家みたいなのがアメリカを仕切っていることを悟ったのはゴスペル期だろうから、ザッパと組みたかったのはわかるな。そのあとダメな時期を抜けるのは、ニューオリンズでフレンチクォーターのラノワとやったときでしょ。それはミネアポリス育ちの、北部人のセンスだよね。次が『アンダー・ザ・レッド・スカイ』っていうのも、歌詞や思想という面では興味深いんだが、あれは音楽的にたいしたことないアルバムだから、研究されてない。その辺、語りたいところなんだけど。

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確かにこのテーマについて、自分がまとまったテキストを読んだのは和久井さん責任編集の河出のディラン本が唯一でした。どこかにそういうテキストはあるかのもしれないけど。和久井さんのテキストは音楽的な変遷という点でとてもわかりやすいです。理由がはっきりわかります。なので、結局ディランの改宗問題は90年代以降の活動まで見渡さないと意味が見えづらいかもしれません。ディランはザッパのように宗教から政治に直結させて曲を書いて行動するということはしないし。というかそういうことは積極的に避けているわけだし。ザッパが「彼がプロテストソングで誠実さを見せたことがあるかい?」と発言したのもわかります。ディランにはザッパのように大統領選に出馬する発想は皆無でしょう。"INFIDELS”については、ザッパとわずかかでもデモ録音が録ってあれば、後に公開されて経緯が明らかになったでしょうねー。キリスト教に対してももユダヤ教に対しても異教徒であろうとする宣言をするという歌に、ドイツ人のクラフトワークが加わるというのは、ある意味重いアイデアだったと思います。でもクラフトワークとならロボット的スタンスを装うことによって、あらゆる宗教と距離をとった表現が出来たかもしれません。

余談:ちなみにこのインタビューが掲載されたFacebookに一緒に投稿されていた写真がこれ。多分1977年の物で、女性が持っているのは"JOE’S GARAGE"のジャケットに見えるけど、実は”LATHER”の使用されなかったオリジナル・ジャケットですね。


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