若きギタリスト、20世紀の作曲家に出会う。
これはフランクの息子ドゥイージル・ザッパが父の曲を演奏するためのバンド ZAPPA PLAYS ZAPPAの2009年の来日公演の際、雑誌『ヤング・ギター』で組まれたフランク・ザッパ特集のために書いた原稿です。内容は特集の冒頭の総論のようなもので、ザッとパーとザッパの概要を紹介したものです。
おおよそ2000文字という発注だったのですが、ここに投稿した文章はもう少し長いオリジナルバージョンで、これを一部カットしたものが雑誌に掲載されました。タイトルも一部変更されました。
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AMERICAN COMPOSER 1940-1993。これが現在ザッパ家が認定している、フランク・ザッパの短いが公式のプロフィールである。
興味はあるが近づきがたい男。「奇人」「天才」「難解」「前衛」何と呼んでくれてもかまわんよと言わんばかりに、CD100枚分に及ぶ作品を発表し、100のバンドを100回解散し、100の顏を持つと言っても過言ではない男。そんな彼を表す言葉はたったひと言「作曲家」。そう、ザッパはロックを生業にした20世紀の作曲家なのだ。
ザッパ以外に誰も書くことのないビザールなスコアをレシピにして作られる濃厚な音楽スープは、古典から現代、シリアスとユーモア、黒人に白人そして世界の各地域、やつらと俺たち、あらゆる音楽のジャンルを刻んで煮込まれまくる。マヌケな社会への怒りをスパイスにいただくそれは、極めて美味だがなかなかに聴き慣れない味だ。しかしこれはいつか確実に体に効いてくる。それに気づいた時には必ず2杯めが欲しくなり、最後には100杯は味わうことになるはず。まずはどうぞお試しを。
1940年のアメリカに生まれたザッパ少年のリスニング史は、50年代のR&Bと現代音楽から始まる。マニアックに黒人音楽のシングルを収集するかたわら図書館でスコアリングを独学したザッパは、既に創作の初期段階においてジャンルの広がりを手中にしていた。フランキー・ボーイはロックンロールバンドを組む前に、交響曲を書くなんともヒップな(または超ヒップではない)ティーンエイジャーだったのだ。そしてザッパはかなり早い段階から自らの音楽が表現するものを、「空気の彫刻」もしくは「時間の彫刻」ととらえていた。当初から音響に対する先鋭的な意識を持ち、あらゆる音楽を等価に聴き、音楽を構造物としてコントロールするコンセプトが脳内に備わっていたとも言える。そしてそれ故に音楽に対する粋で真摯な姿勢を持ち続け、それを崩す事はなかった。それは本人が音楽に対して嫌気がさしたように振る舞っている時でさえも。その結果がCD100枚分に及ぶ作品群であり、そしてさらにCD100枚分以上の未発表録音群が、今後100年にわたってその事を証明し続けていくだろう。
1966年、アルバム"FREAK OUT!"でデビュー以降、ザッパは常に膨大な作曲活動を推進してきた。初期の、ロックに異質なものを取り込む実験的試みは、技術の深化とともに、ロックンロールするストラヴィンスキー的なバンド交響曲の楽曲へ発展する。管楽器や各種打楽器を導入し、あまりにも特徴的なリズム構成と緻密すぎるユニゾンが、高度なスキルによってグルーヴィーに展開する室内楽的ファンク。そんな演奏をバックに歌と言葉がオペラとTHE MANZAIのように交錯するお笑いロック劇場は、多くのリスナーを瞬く間に熱狂的なマニアにしてしまう程に魅力的で楽しすぎるものだ。
そんなザッパは60年代からロック界に所属しながらも、さほどロック幻想は持ち合わせていなかったように思う。しかしながら、反体制としてのロックは成立するのかという問いには、作品を通して常に答え続けてきた。もっともザッパのスタンスは「反体制」でもあり「反・反体制」でもあるわけだが。その点でザッパは本当の「反骨のロッカー」だったが、時として多くの曲に込められている社会的メッセージは、作曲に奉仕するためのネタにすぎないのではないかと思えるフシもあった。言いたいことはある、でも重要なのはまず音楽を楽しむ事だ、という音楽中心主義の態度をザッパはとり続けてきたのだ。自分の作品のすべては「皆さんのお楽しみ」のためのみに、というクールな態度とユーモアこそが、ザッパの作曲における最高の美学ではないだろうか。
そして忘れてはいけないのは、ザッパはギタリストだっていうこと(この雑誌は『ヤング・ギター』ですからねー)。ザッパのような音楽家にとって、作曲家としての役目と演奏家としての立場を切り離して考えることはできない。ステージ上のザッパは決してギターヒーローとして君臨したりはしない。常に手もとを見つめて、孤独な研究家の様な表情で演奏される長時間のギターソロは、聴衆を前にした自身の作曲の現場でもあるのだ。時間をかけて幾何学的にフレーズを空間に埋めていくその音は、前から見ればロック、横から見ればジャズ、上からみればそれ以外の何かであるといった彫刻的サウンドだ。ライヴの曲中におけるザッパのギターソロは70年代後半以降その傾向が顕著になり、自分以外に多くのギタリストをバンドに雇い入れ、自身はギターソロに専念するようになる。ここから登場してきたのがエイドリアン・ブリュー、ウォーレン・ククルロ、スティーヴ・ヴァイといった、その後のロックギター界の先発メンバー達だ。そして彼等との相互影響も、ザッパのギタースタイルの変遷を考察する上で見逃すことはできないだろう。
「今日の作曲家は、死ぬ事を拒否する」。これはザッパが敬愛した作曲家、エドガー・ヴァレーズの言葉だ。ザッパの息子ドウィーズルによるバンド、ZAPPA PLAYS ZAPPAのツアーでザッパ楽曲の生演奏を体験し、年に何タイトルもリリースされる未発表作品に興奮させられっぱなしの今、「フランク・ザッパは本当に死んでいる」のだろうか?。ザッパは自身の作曲によって永遠の生命を保ち、リスナーはその音楽でライヴな喜びをこの先も実感する。ザッパに興味深々のナイスな若きヤング・ギター読者の皆さん!ザッパに出会い、楽しみましょう!
2009年03月