全然平等じゃない『時間』
どうも、未だに青春と人情で泣けるうめちよです。
今日のお話は時間ってみんな平等だけどよくよく考えたら全然平等じゃないよねという話です。
まずは例のごとくツイートから
これ、投稿してから思ったのは「先になんで1時間あればの例から出さなかったんだろう」です。
段々短くしてるのに気持ち悪いですよね。(まぁいっか)
ここで『時間の質』という話を出してます。
通常1分には60秒がかかっていて、1日は1440分で構成されています。
今この瞬間に1分経ってる間にアフリカでは60秒経ってるんですよ! と有名な言い分があるように、基本的に時間は平等です。
人間は根源的に時間的存在であるとシュタゲでも言われている通り、人間も時間の枠に囚われている生き物としてあるわけです。
さて、ここで今回お話したい内容は『時間の質』
ツイートの通り、私の今まで感じていた1時間と今の1時間だと明らかに価値が変わってしまったんですよね。
1時間あれば『アニメが見れる!』『YouTubeが見れる!』と喜んで娯楽に時間を使っていたのですが、最近は1時間でどれだけインプットが出来るか、もしくは自己投資のための時間に使えるかと思考がゴロっと変わりました。
特に最近多いのは人脈を広げるためにオンラインで面談を組んだり、セミナーに参加したりと「人と関わるための時間」にシフトするようになりました。
それは単に気付いたことが大きいです。
『このままいくと、何者でもない状態で30歳を迎える』と
つまり、私のこの時間への価値観の変動の原動力は『焦り』です。
突然1時間が重く、15分がもったいなく感じるようになったのです。
これを見て、今までの自分の時間と今の時間が平等と言えるでしょうか?
1時間で数百万円を動かす経営者と、1時間アルバイトをして千円稼ぐ人の時間は、本当に平等と言えるでしょうか?
この時何が起きているのかというと、『時間=価値』に置き換えています。
この置換が出来る人と出来ない人とで大きく差が広がります。
20代のうちに気付けた人は強いです。
今なお、休みの日はゴロゴロ寝ちゃってます…
ネトフリで目的もなく動画見まくってます…
という人は、一度時間に対して向き合ってみてもいいんじゃないかなと思います。
向き合ってみて「いや! 俺はこの時間が人生の中で一番価値のある時間なんだ!」となるならそれはそれで良いと思います。
5年後は来ます。10年後も突然きます。
あの時ああしておけば良かったと、なってる自分を許せない人は『時間の使い方』見直してみても良いと思います。
ではまた明日。
(なんかこんなような記事前書いたような気がするんだよな)