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この体勢楽ではないのだけどしがち

あらゆる筋肉がなくなり、もはや生きる肉塊。と自らを錯覚したとき僕はよくこの体勢をとる。

酔っ払ってソファに倒れ込むとき。仕事から家に帰って疲れを感じたとき。はしないか。

基本的に寝転がってスマホをしているとき。本を読むとき。考え事をしていたとき。ですね。

この体勢(上記のメイン画像のような体勢)をとるときいつも考える。

なんでこのような体勢を僕はとるのだろう。

楽だから。いや決して楽ではない。

手元を見やすいから。そうだ、首を折り曲げてこの姿勢になると手元のスマホが見えやすい。だからこの姿勢をとるのだ。大方の理由はこの姿勢を取るとスマホが見えやすいからに違いない。だがなぜかその理由がしっくりこない。

しっかりと椅子に座ってみる方がスマホは見やすい気がする。もちろん本も椅子に腰かける方が断然読みやすい。

ではなぜ体を寝かせ、首だけを折り曲げて、手元を覗き込むような姿勢をとるのか。

それはこの体勢が僕の人生を表しているからだ。そうだ、そうに違いない。

自ら苦しい方へ苦しい方へと誘い、そのくせスマホの中に広がる情報や、本の中にある言葉や、自分の頭の中にある妄想を必死に覗き、選び、広げようとしている。

しっかりと椅子に座り、あるいは立ってスマホを見て、本を読み、考えを巡らせる方が遥かに楽なはずなのに。

だがこの体勢をとられずにはいられない自分。

と毎日こんなくだらないことを考えています。


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