入院中の忘れられない出来事
真っ白な病室で、寝返りも打てず、時間もわからず、スマホもいじれず、声もほとんど出せず、ご飯もなく水もなく、ひたすら天井を見続けていた入院2日目。
部屋を行き来する数人の看護師さんもいなくなった。
完全に1人になり、自殺に失敗したという悔しさの中、点滴がポツポツ落ちるのを虚しく見つめていた。
気がついたら眠っていた。
眠っている最中、母に虐待をされていた時の夢をみた。
叩かれたり、蹴られたり、踏まれたり、振り回されたり、引きずられたり、怒鳴られたり。
セピア色の夢の中で私は苦しんでいた。
いつのまにか夢は終わり、普通に眠っていると、看護師さんに起こされて、
「お母さんあと少しで病院にくるから、アパートの鍵渡していいかな??」
と言われた。
その時、私は 嫌だ!! と思った。
私に危害を与えてくる異常者に会いたくなかったのだ。
わがままを言える立場じゃないことも、
他人に迷惑をかけてはいけないということもわかっていた。
私の言うことなんてきっと信じてもらえないと思った。
(今まで虐待を信じてもらえずに苦しいと思いをしていた。)
それでも、母が私に近付くということが我慢ならなかった。許せなかった。
それが例え私のいないアパートに入る程度のことでも許せなかった。
だから、重たい目を開け、ほとんどでない声を振り絞り、
「鍵、やだ。」
「嫌、親、私叩くの、だから嫌...」
といった。
鍵を持って部屋を出て行こうとした看護師さんは立ち止まり、そして振り向き、私の方に歩いてきて、優しい声で
「そっか、辛かったね......」
と言いながら、白い布でぐるぐる巻きになった私の手を撫でた。
(意識がぼんやりしていて視野が狭くなっていたので、その人がどんな顔をしていたのかはわからないけど、きっと驚いた顔をしていたんじゃないかなと思う。)
そして最初向いていた方に向き直り、再度部屋から出て行こうとした。
ダメ、こんなのじゃ全然ダメ。
これじゃあ、イカれた自殺未遂患者の妄想だと思われる。違うのに。違うのに!
もっとちゃんと、はっきりと言わないといけないと思った。
「親、むかし......私...殺すって言った...嘘じゃない......」
といった。
その看護師さんは再びこちらに戻ってきて、そして優しい声で、
「怖かったね......」
と言いながら私の手を優しく撫でた。
ぐるぐる巻きになって皮膚が全く見えない腕。
布がぶ厚くて感覚が鈍くなっている私の腕。
それでも撫でてもらったことはしっかりと伝わった。
「ちょっと待っててね!」
そういってその人は部屋からいなくなった。
どうせ信じてもらえないから、多分渡されるんだろうなぁ。
そう思いながら目を閉じた。
どのくらい時間が経ったのか。
誰かに起こされた。
起こしてきたのはさっきの看護師さん。
先ほどまでとは違い、今回は私のベッドの横にしゃがみ、私と同じ目線でいた。
(救急で入院している間は基本寝ているところを上から覗き込まれることばかりで、それは別にそんなに嫌ではなかったけれど、恥ずかしさや寂しさが入り混じったような感情を覚えたし、それに当時の私は横に立っている人の腰あたりまでしか見ることができなかったため、久しぶりに誰かと同じ目線でいることと、他人の顔をちゃんと認識することができてとても嬉しかった。)
喜んでいるとその看護師さんが笑顔で
「鍵ね、まだ渡してないよ!!
先生と相談して決めよ!!😊」
と言った。
通った!!自分の意見が通った!!
初めて信じてもらえた。
しかも絶対信じてもらえないような状況なのに、信じてもらえた。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
10数年間、自分の受けた暴力に寄り添ってもらえなかった。
信じてもらえたことで、はじめて自分の傷に寄り添ってもらえたような気がしたのだ。
本当に嬉しかった。
ずっと凍りついていて真っ暗だった心がひび割れて割れて溶けて無くなった。
本当に嬉しかった。
薄暗くて白くてふわふわした病室の中で、喜びながら眠った。心地よかった。
-
しばらくすると再びまた誰かに起こされて、目を開けると今度は青い服の看護師さんや救急の先生ではなく、白衣を着た先生が私の横に立っていた。
もちろん顔は見えなかった。
その先生は多分鍵の相談のためだけに呼ばれた先生であるということを瞬時に認識した。
「鍵、渡しちゃいけませんか。」と聞いてきたので、
頷いた。
「どうしてダメなんですか??
お母さんに、会いたくないんですか??
鍵、渡されたくないんですか?」
「ヤダ......ヤダ......」
「ここは病院で安全です。今はコロナ流行っているから、お母さんは病院の中に入ってこれませんし、誰もあなたに危害を加えたりしません。それでもダメですか?」
「ヤダ......」
ふと前を見た。
部屋にいるのは先生だけかと思っていたが、他にも看護師さんが3、4人くらいいた。
人が集まってきてきた。
私のベッドの横から、部屋の入り口あたりまで列をなしていた。
うわっ、流石にやばい......
と思った矢先、
「どうして渡してはいけないんですか??
何もされませんよ??もしかして家に見られちゃまずいものでもあるんですか。」
と怒られた。
見られちゃまずいもの......自傷に使った刃物と、それから首吊り用の縄。
でも、先生なんかちょっと怖いし、人もめちゃくちゃ集まってきているからもう渡すしかないんだ......
と思い、
「ないです。」
と答えると
「じゃあ渡してもいいですよね。荷物持ってきてもらうだけですし。」
と言われたのでうなずいた。
集まっていた人たちもいなくなり、鍵は持っていかれた。
鍵を持っていかれたのは無念だったが、私の言うことを信じてもらえて、その上きちんと対応してもらえたことが嬉しかった。
この一件以来、私の誰にも信じてもらえない、誰もわかってくれないといった気持ちがスーッとなくなった。
そして、撫でてもらった時、自殺未遂をした私だけではなく、殺されかけた中1の時の私も撫でてもらった気がしたのだ。
時を超えて、10年前の私を助けてくれた人が現れたのだ。
10年前の私が成仏した。
そして、13歳の時からずっと止まっていた私の時間がようやく動き出した。
この日から冷たい夢はもうほとんど見なくなった。