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カフェインで自殺未遂をして地獄を見た話 ③

1月13日

この日は朝から、気持ちが落ち込んでいて鬱々としていた。

入院してからの落ち込みは身体の不調によるものだったり、落ち込みの原因がはっきりしているものが多かったが、今回のは、原因はわからないが、なんとなく気分が落ち込むという感じだった。

自殺未遂をする前によくこういう落ち込み方があった気がする。

普段飲んでいた抗うつ薬抗精神病薬は手元になかっていたため、どうしようもできなくて、
喋れるようになったこともあり、入院してから初めて看護師さんに「つらい。」と漏らしてしまった。

その看護師さんはちょっとびっくりした様子で
「身体がしんどいの??」と聞いてきた。

身体だったらよかったのに……。
今回は心の方だった。
普段は弱音なんて吐かないのに。
会ってあってまだ2日くらいの人に弱音を吐いてしまう自分が情けなくて恥ずかしくて仕方がなかった。

そう思いながら、首を振って、「気持ちがしんどい。」
と言った。

すると、そうだよなぁみたいな顔をしながら、
私の気を紛らわせる方法をたくさん提案をしてくれた。

しんどくて全部拒否してしまったけど、ありがたかった。

そしてこの後も割と看護師さんたちと話していた記憶がある。

といってもお仕事で忙しいと思うので、自分から話しかけることはほとんどなかった。

会話の中で1番印象深かったのは、
今までどの看護師さんも私が自殺未遂したことに触れてこなかったが、ある看護師さんだけは
「ねぇどうしてこんなことしちゃったの??
今回のこともそうだし、それ(腕の傷)も。」
「それ、痛くないの??痛かったでしょ??」
とド直球で聞いてきた。

あまりに直球すぎたため、めちゃくちゃびっくりして
「あ、いや……。」とか「痛くないです……。」
とかしか言えなかった。

そして、答えた後、少しキョドりながら押し黙っていると、「もうこんなことしちゃダメだよ😊。それ(腕の傷)も。」
と言われたので、次やるときは100%成功させてやるという思いと、もう2度とやらないという2つの思いを込めて頷いた。

そして、この日から今日まで私は一度も腕を切っていない。

昨日退院しても良いと言われるくらいの体調だったのに、なぜかシャワーに入れず、この日もベッド上でお手伝いをされた。
22歳にもなっておむつを変えてもらうのは流石に恥ずかしすぎるので、早くパンツを履きたかったし、早くお風呂にも入りたかった。
いつまでお風呂に入れないんだろうかと思った。

そしてお手伝いの後、ようやく尿カテが抜かれた。
尿カテが入っている間はずっと違和感があったので、抜かれてすごく楽になりとても嬉しかった。
抜く時も入れる時と同様痛いのかなと思ったが、
抜く時は全く痛くなかった。


スマホをいじったり、ぼんやりしたりしていると夜になり、昨日のように晩ごはんが出された。

ごはんが食べられるのはやっぱり嬉しかったが、
この日の夜もあまり食べられずにいた。

ご飯をほとんど食べずにぼーっとしていると、
3日目の優しい看護師さんが入ってきて、
「ほらっ!!美味しそうだよ!食べないの??
そっか……無理して食べなくていいからね!!」
と言ってくれた。

実家ではご飯は出された量全てを完食しないといけなかった。
お腹がパンパンで気持ち悪くなっても、体調が悪い時くて食べられない時でも絶対にご飯を残してはいけなかった。
食べないと怒鳴り散らされるし、最悪叩かれる。

だから、無理に食べなくていいよと言われて本当に嬉しかった。
人間って意外と私に優しいんだな〜!!と思った。

晩ごはんの後は歯磨きをして、ゴロゴロしながらスマホをいじっていると、いつものようにバイタルチェックをされた。

体温計の音が鳴ったので、脇から取り出すと熱があった。私が自分で体温計に表示されている体温を確認できる体調になってから1番高い体温だった。

でもまあ熱があっても安静にしていたらしんどくないし、余裕だろと思っていたが、しばらくすると、我慢できないくらい身体が熱くなった。
布団を身体からのけてもまだ暑くて暑くて仕方がなかったので、看護師さんに脇の下や足のところにもアイスノンを置いてもらった。

冷やすとだいぶ楽になりずっとスマホをダラダラといじっていた。
スマホをいじりながら、高度救命センターで私はいったい何をしているんだろう。もっと医療を必要としている人がいるだろうし、その人に申し訳ないから早く退院したいと思った。

その日も夜は鎮静なしで寝た。

寝ていると、午前4時ごろにとてつもない気持ち悪さに襲われた。
我慢できそうになかったので、吐き気止めを点滴してもらった。

その後は何もなく眠ることができた。

1月14日

看護師さんに起こされて目が覚めた。

カフェインを飲んでいたはずなのに難なく眠ることができていた。
我ながらすごいなと思った。

起こされたとき、ここにきてはじめて○○ちゃんと呼ばれた。
いきなり呼び方が苗字呼びから変わったので驚いたし、嬉しかった。

中高時代、身の回りの大人に
お前てめえ苗字呼び捨ての3パターン
でしか呼ばれたことがなかったため、人に丁寧に名前を呼んでもらえるのがほぼ初めてだった。
だから本気で嬉しかった。

自分が丁寧に扱ってもらえる時が来るなんて思っていなかった。生きていると必ずいいことがあると言うけど、たしかにそうかもしれないなぁと思った。
大袈裟ではなく、本気で。

そして、この日まではいつも顔を拭いてもらっていたが、この日の朝から、自分で顔を拭けるようになった。
自分でできることが増えて嬉しかった。

しかし、この後すぐに気持ちが落ち込んでしまい、動けないくらい無気力になった。

最高に鬱々としていて無気力なときに朝ごはんが運ばれてきたが、動くことができなかったため、食べずに寝ていた。

「ご飯食べれそう??」

の問いかけに返事をする気力もなかった。
死んだように横たわっていた。
横たわっていると、ぐちゃぐちゃになった布団を綺麗にして、そして私にそっとかけてくれたのでありがたかった。

横になりぼんやりしていると、この間来た精神科の先生が、上の先生を連れてやってきた。

今度は自殺に関することではなく、私の人生、親子関係、友人関係、学校のことなど様々なことを聞いてきた。

この日は、この間来た先生ではなく、上の先生が私に話しかけ、この間来た先生はずっと何かをメモしていていた。

今回も結構長い間話していたと思う。
話し終えると、先生たちは帰っていった。

入院の話も出ず帰っていったので、もしかしたらこのまま退院できるのでは??と少し期待した。


10時ごろ、看護師さんが部屋にやってきて「いまからシャワー入らない??すぐそこだし!!
私もお手伝いするし!どうかな??」
と言った。

正直、介助付きのシャワーはめちゃくちゃ恥ずかしかったが、ベッドでお手伝いされるよりかはましだったし、もう何日もシャワーを浴びていなかったので、大喜びで頷いた。

死ぬほど恥ずかしい介助付きのシャワーが終わった後、ようやくおむつが外れて、親が持ってきた下着に着替えた。

心電図とパルスオキシメーターもこの時外れた。

まだ点滴はついたままだったがもう少しではずしてもらえそうだった。(実際この日の夕方には外れた。)

髪の毛をドライヤーで乾かし、お昼ご飯を食べた後、ぼーっとしていたら、朝やってきた精神科の先生2人が今度は紙を持ってきて部屋に訪れてきた。

私の目は裸眼だとほとんど何も見えないはずなのに、その時だけは紙に書かれてある「医療保護入院」という文字をしっかりと捉えた。

うわっ......まじかという気持ちと、やっぱりな......という気持ちが入り混じった。

先生たちに、医療保護入院になりますと言われた後、すぐに退院の準備をした。
(といっても私は何もしていなくて、看護師さんたちが知らない間に荷物をまとめてくれていた。)

光の速さで荷物がまとまる様子を見ていると、私が大量に飲んだ薬が目の前に置かれた。
まさか病院に持ってこられていてしかも保管されているとは思わなくてとても驚いたし、すごく恥ずかしくなった。

荷物がまとまったら、今度は車椅子を持った男性の看護師さんがやってきた。
救命病棟の看護師さんと服の色が違ったので、精神科の看護師さんだとすぐにわかった。

「ここは救急車が来るところだからね。
移動しましょう。」

と言われた。(そんなのわかっていた。だから早く移動したかったんだよと思った。)

車椅子に乗り病棟を後にする。

ここで初めて他の部屋の人たちの様子をみた。

挿管されたおじいさん、なんか大変そうなおじいさん、おじいさん、おじいさん......
重症そうなおじいさんがたくさんいた。
もう2度と見ることはない景色だと思った。

(が、もしかしたら仕事で見るかもしれない。その時は、当時の不自由だった私の気持ちを思い出して接してあげたいなと思った。)

エレベーターの前にいく。

ボタンが押される。

扉が開く。

いよいよ退院の時か、と思った。

しんどいことはたくさんあったが、学んだこともたくさんあった。嬉しいこともあった。
多分もう2度とこういうことはやらないので、
これから先こういう経験もしないだろう。
優しかった先生や看護師さんたちに感謝しながら病棟を去った。

病棟内から出て精神科に移るときに、後ろから誰かがやってきた。

振り返ると、入院中私の部屋にはいたが、ほとんど話したことがない看護師さんがいた。

なんだろうとじっと見ていると、そっと笑いながら頷いてきた。

だから私もそっと頷いた。

私が頷いたのを確認した後、その人は私が来た道へと帰っていった。


頬にあたる風が涼しかった。

ふと前を見ると灰色のドアが私の目の前にあった。

閉鎖病棟だった。

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