大学首席になんかなるんじゃなかった。
過去の話。
全ては大学入学前の、1本の電話から始まった。
知らない市外局番からの電話にでると、入学する予定の大学の事務の人からの電話だと判明した。
事務の人に、
「あなたが首席であるため、入学式の時にスピーチをしてほしい。」
という旨を伝えられた。
その時、実は一瞬迷った。
そんな大役を私が担っても良いのか?と。
そもそも、私は常に、自分に自信がなかった。
なかったから、そんな大役を担う度量も自信も、勇気も何もなかった。
ただ、何もない自分だからこそ、それを請け負うことで自信がつき、「何もない自分」から脱却できるのではないか?と瞬時に悟り、「わかりました。」と返事をした。
後々、この決断をしたことをずっと後悔する羽目になるとは知らずに。
あまり語ったことがないので、知らない人が多いと思うが、私は元々農学部志望で、地元の国立大学の農学部に受かっていた。
歯学部は親に無理やり選ばされた滑り止め先にすぎなく、歯への興味関心はおろか、歯学部を志望したことなど一度もなかった。
(ただ国立の合格発表が私立より遅く、私立歯学部にお金を親が勝手に払ってしまい、国立大学に払うお金がない、ということで、歯学部に進むこととなった。
この国立大学に払うお金がないということは国立大学の合格発表日まで知らされておらず、というかむしろ、お金があるから心配するなと伝えられていた。
のだが、受かったその日に国立大学に払えるお金はないと言われた。騙された!と思ったし、もっと早く、騙されていることに気が付けていたら、世帯分離をして奨学金を申請するなりなんなりできていたのではないかなと、悔やんでいる。)
それ故に、歯科への思い入れなど微塵もないし、一体何をスピーチするんだよ、という疑問を抱えたまま大学県へと向かった。
大学が指定した日に学校へいくと、事前に用意されたスピーチの原稿を渡され、これを読んでくれ、と頼まれた。
しょうもない内容だった。全く記憶に残らないような。
ただ、スピーチを行ってしまったことで不覚にも、同期から(払わなくていいのに)妙な敬意が払われてしまったし、学長や主任などからは、おいおい、「ちょっとできるからって調子に乗るなよ。」「勉強だけしかしてないくせに。」などと、普通の成績の学生だったら、言われないような言葉を吐かれた。
また、2位3位の同期からは常に1番の座を狙われ、私が負けると、勝った人が私の目の前で(※当てつけみたいに)喜ぶし、みんなはその人に対して「よかったね、報われたね!」などと言った言葉をかけていた。
(※当てつけではなく、純粋に喜んでいるだけであることは理解しているのだが、目の前で喜ばれるとなんだか、当てつけみたいに感じられてしまい悲しかった。)
しんどかった。
たまたま受けた大学で、たまたま1番になってしまった、たったそれだけのことで、「勉強だけして生きてきた人間である」といった偏見の目で見られたり、敵視されたり(もちろん私と仲が良い友達は私のことをそういうふうには見ていなかったと思うが)、するのが嫌だった。
何故なら私は勉強だけしてきて生きてきたわけではないと、胸を張って言えるからだ。(それもそれでどうかとおもうが。)
人生で1番頑張ったことは何?と聞かれたら、間違いなく「Wiiのマリオカートです。」と答えるし(最悪)、友達ともたくさん遊んだし、家に帰れば必ず待ち受けている虐待にだって耐えた。
中高時代は校則で禁止されていたので、できなかったが、大学時代はアルバイトももちろんしていた。
中高生時代、同い年の子が、親が作ったご飯を食べる中、私は、自分でスーパーへ行き、食べ物を買い、親の分のご飯も作っていたし、洗濯ももちろんしていた。アイロンがけも。そして殴られて腕を切る。
そういう生活のうちのひとつに「勉強」があっただけだったし、勉強に時間もお金もかけたくなかったので予備校には通わなかった。
参考書も赤本も自ら買ったりはしなかった。
だから「勉強だけして生きてきた」わけではないのに、そういうふうに言われるのは心外だったし、周りの人間が全て敵のように感じられて、同期も、その学長や主任らと同じように思っているのだろうな、と勝手に想像して病んでいった。
大学の上の方の人に嫌われているのも理解していたし(なんせ私は残念なことに、従順ではなく生意気で性格が悪いので)、同期も自分のことをどういうふうに捉えているのかわからなかったし、周りの目線が怖かった。
あの日の決断で、自分が誰かに勝手に目指されたり、尊敬されたりする一方で、勝手な偏見で悪口を言われたりする立場になるとは思っていなかった。
どうしても1番がイイ人や、目指されたい側の人は別に良いかもしれないが、私はそれなりの成績をとり、それなりに友達と遊び、それなりの日常を謳歌したい側の人間で、恥ずかしながら、野心や向上心などは基本的にないため、他人の野心や向上心の先に立つ人間になるということが、とてつもなく辛かった。
1番になんてならなくていいから、同期ともっと対等に話したかったし、仲良くしたかった。
自分の立場が脅かされることに怯えて、恐怖に駆り立てられて、机に座り勉強をする大学生活を送りたくなかった。
いまさら悔やんでも仕方がないし、私は病んで大学を辞めたし、でも、その決断に対して上の人間は「あの嫌な奴、消えたんだ(笑)。」と、喜んでいるのではないかな?とすら思えてしまうくらい、猜疑心で満ち溢れた人間になってしまった。
し、何も知らない人は「首席だけど辞めてしまった人もいるし、成績だけが全てではないんだよ!」とか言って、私が大学を辞めたという出来事を、適当に消費していくのだろうな、と思っている。
すごく捻くれているという、自覚はあるが、そういうふうになったのは、私の本来の性質だけではなく、環境も手伝ったのではないかな?と思う。
もし時間を元に戻せるならば、私は絶対に首席のスピーチを断り、2番の子に譲り、何事もなかったかのように大学生活を送ると思う。
これは名誉だったはずのことが、屈辱に変わった話。
私もきっと知らない間に、他人の気持ちを踏み躙ったり消費してしまっているのだな、と反省した。
そして、大学も会社も、上司も、みんなみんな大切にするべき人間を大切にできるようになってほしいなという話でした。
(大学から「人材」が消えて、大学が終焉に向かっていると、小耳に挟んだので。)