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初めて他人を信頼した話(日記③)
入院して1ヶ月以上たったが退院できそうにもなく、病棟での生活が当たり前で日常になり、
かつて送っていた日常生活が今では完全に非日常に成り果ててしまった。
人生が自由であることを望んでいたのに、手に掴んだ自由を、自由な生活を、自分を、乗りこなすことができずに、精神科病棟に閉じ込められ不自由を強いられている。
一応任意入院ではあるが外には出られない。
院内の売店には行けるが、売っているものが少なすぎて、わざわざいくほどでもない。
この間、チョコが食べたくなったので、売店に行き、アルフォートを買ったのだが、中のチョコが暑さでドロドロに溶けたあと固まったらしく、大きな1枚の板と化したアルフォートが袋から出てきてもう期待するのはやめようと思った。
また、外泊もさせてもらえないし、面会もできない。まあする人もいないのだが。
ちょっと飛び降りただけでここまで色々なことを制限されるとは思っていなかったので苦しいが、自業自得。
でも、推しのライブに行けなかったし(チケットは公式サイトでリセールした)、髪も切れないし、メイクもできないし、好きな服も着られないし、日々、フラストレーションが溜まってゆく。
自殺に成功して死んだら何もできなくなるが、死んでいるから別に何もできなくったっていいのである。
逆に生きている状態でできないことがたくさんあるのはしんどい。すごくわがままな考え方だと思うが。
やることもないし楽しくないし、なぜ入院になったのかいまだにわからないし、もうこの国、終わりです!という心境なのだが、この入院生活の唯一の良いところは先生と長く話せるところだ。
もちろん先生なら誰でもいいわけではない。
信頼できる先生だから良いのである。
正直、精神科に長く通っていても信頼できる先生にはなかなか出会えない。
信頼しようと思い、頑張ってみても、先生の(ちょっとした)態度や言葉の違和感が、喉に刺さった魚の小骨のように、チクチクとした痛みを伴いつつ心に突き刺さり、信頼することを諦めてしまうのである。
もちろん、100%信頼できる人を見つけることなど不可能だとわかっている。
ただ、やはり信頼することができなければ、うまく自己開示をすることもできず、結局いつも治療はうまくいかなかった。
昨年の10月ごろに主治医を変えた。
初めて会った時に「ここまで頑張って生きてきたんだから死んじゃうのは勿体無いよ〜。」とサラッと言ってくれたことが印象的だった。
初診の時はわからないことが多かったが、何回か診察受けて、話をしていくにつれて、今までの診察では感じたことのない安心感を覚えるようになった。
(今までの医者に対して不信感を抱いたことはなかったが、逆に安心感を抱いたこともなかった。)
それ故に、先生と話している時に覚える安心感の存在に驚くばかりだった。
診察時間はだいたい10分〜20分。
私の調子がいい時は10分くらい。いや、10分もしないで終わる時もある。8分とか(細かい)。
調子が悪いと20分くらい話すこともあった。
調子が悪いので話しの内容の詳細を覚えておらず残念なのだが、診察が終わった後、胸の中に居座っていた重たい感情が穏やかな感情によって中和され、心が軽くなっていくのを感じることが多かった。
先生と話すことで辛い感情がサァーっと減ってゆき心と身体が楽になる。
精神科に通院して3年目で初めて私は精神科医による治療を受けているのだと、強く実感できるようになった。
のだが、自殺念慮を掻き消すことができず自損を行なってしまい入院になった。
入院になったことは最悪なのだが、信頼できる先生のもとで入院治療を受けられることはよかった。
外来と違って他の患者さんの待ち時間に気を遣うことなく、思う存分過去の辛かった話もできるし、今困っている症状の話もできるし他愛のない話もできる。
そのため、以前よりなんとなく先生との距離が近くなり、先生の為人がわかるようになり、幸いそれが私に合っていた(というか私の望む形であった)ため、さらに先生を信頼することができるようになった。
そうなると、今まで誰にも打ち明けられなかったようなことなども打ち明けれるようになり、そしてそれを受け止めてもらうことでより信頼できるようになるという、正のループに、流れに乗れるようになった。
今回の入院の唯一のメリットは他人を信頼する方法がわかったこと、それから信頼することによる安心感を得られたことではないかなと思う。
入院生活はまだ続きそうなのでぼちぼち頑張ります。おわり。