精神科入院(超雑記)
自殺未遂をして、高度救命センターに入院したあと、精神科に入院することになった。
入院形態は医療保護入院。
やっと自由になれたと思ったのに、
そのまままた入院だなんて。しかも今度は医療保護入院だからたくさん制限がかかる。
つらくて逃げ出したい気持ちになった。
目の前の灰色のドアが開くといよいよ閉鎖病棟か......
と思いながら、ドアが開くのを待っていると、灰色のドアではなく、その横にあるナースステーションがある方のドアが開いて、そちらに移動させられた。
ナースステーションの中にあるその部屋には、
パソコンが何台かあって、先生や看護師さんたちが作業していた。
パソコンの近くにはテーブルとイスがあり、私はそのイスに座った。
ちょっと待っててね!
と言われたので、ぼんやりしていると先生がやってきた。
先ほど見せられた医療保護入院の同意書を再び見せてきた。
『●月○日14時にあなたは医療保護保護入院になりました。』的なことが書かれていた。
14時......14時......
今日この時間からしばらく私は外界から遮断されるのか。外界から遮断された生活に耐えられることができるのだろうかと、かなり不安を覚えた。
そのあと色々な手続きをして、病棟のルールを説明された後、身体測定や持ち物検査がなされ、そして遂に病棟の中に入ることになった。
勝手なイメージだが、閉鎖病院は暗い雰囲気が漂う場所だと思っていた。
しかし、私が入院した病棟は病棟に入ってすぐに
大きな窓が見えていて、その窓から真っ白な光が差し込んでいた。
想像とは違いとても明るかった。
(閉鎖病棟なのに窓があっていいの?もしかしたら割って飛び降りることができるかも!!と思い、あとでその窓に近づいて見ると、水族館の水槽くらいぶ厚くて、体当たりしても跳ね返って転ぶのがオチだと思い飛び降りるのは諦めた。)
ぼんやりと車椅子に乗っていると部屋に案内された。
4人部屋だった。
数時間前まで個室でのびのびと過ごしていたので、他の人と同じ空間で共に生活することに少しドキドキした。
他の人怖くないかな?叫んだりしないかな?
うまくやれるのだろうか......
部屋に案内され、親が持ってきてくれた化粧水やシャンプー、石鹸類を全て没収されたあと、病棟の案内をされた。
洗濯機、乾燥機、テレビ、漫画、大浴場、個人風呂、ナースステーション……。
救命センターより圧倒的に日常に近くて自由だった。
久しぶりに日常に近づいて嬉しかったが、
5日間日常の全てを他人に任せていたため、
ちゃんとした日常生活が送れる自信が皆無だった。
病棟内を案内されたあと、もう一度部屋に戻った。
部屋に着いてすぐ、
「今からもう自由に過ごしていいよ。」
「車椅子もういらないよね??リハビリがてら部屋から出て歩いてみたらどう?」
と言われたのでそうすることにした。
救命センターで入院している時もたまに部屋の中を少しだけ歩いたりしていたが、その時は足がガクガクしてろくに歩けず、
「まだ22歳でしょ??しっかりして笑」
と言われたくらいだったので、歩けるか不安だった。
案の定、足がガクガクしてふらついた。
しかし、しばらく歩くと以前のように歩けるようになったのでさすが私、やればできる!と思った。
閉鎖病棟には約3ヶ月いたので、毎日どのようにすごしていたかは覚えていないが、印象に残っていることだけフェイクを入れつつ書いていく。
閉鎖病棟に入院した初日は、たった5日間の関わりでしかなかったのに、大好きになったHCUの看護師さんたちともう2度と会えないという事実と寂しさで沈んでいた。
精神科とHCUでは看護の体制が違っており、
看護師さんが誰かしら部屋の中にいて1人になることや、廊下にいる看護師さんと目があったら部屋に入ってきてくれるといったことはない。
一気に3人で入ってきて話しかけてくれたりすることもない。主治医だけでなく、色々な先生が入ってくることもない。
久しぶりの1人は嬉しかったが、やっぱりそれ以上に寂しかった。
沈んでいると、ご飯が部屋に運び込まれた。
一般病棟や精神科病棟では看護師さんが運んできてくれるらしい。お仕事が多くて大変そうだなと思った。
ご飯の後は、歯を磨いて寝るだけだったが、
この日は初めての病棟や久しぶりの日常生活にドキドキしていたため、ずっと落ち着かなかった。その上、カフェインを致死量摂取したんだ。
しかも、もう心臓もちゃんと動いているからきっと眠れないだろう。
と思っていたのに、この日もあっさり眠れたのでさすがに自分に引いた。
次の日、朝ご飯が運ばれてくるということを伝える放送の音で目を覚ました。
(本当は6時ごろに目を覚ましておかないといけないらしかったが、私は退院まで朝ご飯ギリギリまで寝ていた。なんなら寝過ごすこともあった。)
閉鎖病棟で何か連絡がある時は基本放送だ。
病棟のどこにいても放送はしっかりときこえるため、天の声みたいだなーと呑気なことを考えていた。
ご飯のとき、バイタルチェックのとき、用事があって部屋に入ってくるとき、看護師さんは新入りの私に対して必ず丁寧に挨拶してくれた。
挨拶をしてくれた看護師さんたちはみんな優しそうだったのだが、いきなり病棟が変わり、新しい環境に慣れていなかったことと、それから元々、目上の人に対しては基本不信感を持ってしまう性格のため愛想よく対応することができなかった。
看護師さんが色々話しかけてくれるのに対して、うつむきながら短く返事をすることを繰り返していた。
また、入院してから2〜3日の間はどうして自分が閉鎖病棟に閉じ込められているのかがわからず、ずっと泣いていた。
部屋の外にも出ず、ずっと泣いていた。
HCUにいた時は泣きなくても泣けなかったので、自由に泣ける今は幸せだなぁ〜と思う余裕などどこにもなかった。
閉じ込められるべきなのは、私ではなく、私に嫌なことをし続けた母の方なのでは??
というか、母が私を殴ったり怒鳴ったりしなかったら、私はもっとまともに育っていて、自殺未遂などしなかったのでは??
大学だって、本当は自分で選んだところに行きたかったのに。自分で選んだ大学ならいくらでも通えるのに。休学なんてしなくてよかったのに。
病まなかったかもしれないのに。
などと、ぐるぐる考えていた。
考えれば考えるほど悔しくなり涙が溢れていく。
苦しくて苦しくて仕方がなかった。
死んでしまいたいと思った。
でももう首吊りもodも失敗した。
そしてここにいる限りは自傷行為はできない。
苦しみを紛らわせる術がない。
死ぬことすらできない。
またしても、もうどうしようもないという気持ちになった。
入院してから1週間と2日くらいたったある日、病室宛に頼んであったパジャマが届いた。
外部から届いた荷物は、看護師さんが見られながら開封し、中身を一緒にチェックするというルールになっていた。
届いたパジャマを看護師さんになにもないでしょ?
と思いながらみせた。
するとその看護師さんは
「あー!これ○○のパジャマじゃん!!安くて可愛いの多くていいよね!!
私もよく買うんだ〜☺️」
と言った。
今まで看護師さんと話す内容は、全て体調のことや事務的なことばかりだったため、体調や事務的なことじゃないことで話しかけられたのは初めてですごく嬉しかった。
「わかります??ここのパジャマほんまにめちゃ可愛くていいですよね!!」と、精神科に入院してから初めて看護師さんの前で笑いながらハッキリと話した。そしてそのまま少し世間話をした。
この看護師さんは、いつでも驚くほど明るく、そして親しみを持って私に接してくれるので、その人の前では安心して笑えるようになった。
個室よりひとりぼっちのような気がしていた精神科の入院だったが、その看護師さんと親しく話せたことで、ようやく1人じゃないんだと感じるようになった。
入院してから2週間くらいたったある日、先生に「そろそろ医療保護入院から任意入院に切り替えましょう。任意入院の方ができることが多くていいよ!時間制限はあるけど、外にも出られるようになるし、売店にも行けますよ!!」
と言われた。
正直、任意入院になり、病棟から自由に出られるようになると、脱走してそのまま自殺してしまいそうだったのだが、それでも医療保護入院から任意入院になることは大きいことなので、少し不安に思いながらも任意入院に切り替えることにした。
任意入院になるとまず、お風呂が大浴場から個室に変わった。
HCUにいた頃のお手伝いでもう私の羞恥心は全て使い果たしていたが、それでもやっぱり大浴場は恥ずかしくてストレスだったので、1人でお風呂に入れることが嬉しかった。
HCUにいた時も含めると、1人でのお風呂は実に20日ぶりだった。誰にも裸を見られないってサイコー!と思った。
そして、没収されていたシャンプー石鹸類を返してもらえることになった。入浴のたびに看護師さんにシャンプー石鹸類をもらい、入浴が終わったらまた返すという作業が本当に面倒だったので、自分で管理できるようになりかなり楽になった。
そしてやはり1番大きかったのが任意入院になると少しの間だけ外に出られるようになることだった。外といっても、入院病棟内、売店くらいだがそれでも嬉しかった。普通に戻れた気がしたのだ。
任意入院になると、看護師さんや他の患者さんから「よかったね〜!!」と言ってもらえる。
他人に祝ってもらえることなど、誕生日以外はないので、これもやはりすごく嬉しくて任意入院に切り替えてよかったと思った。
他にも、任意入院は退院日を自分で決められるので、自分の体調を見ながら退院日を判断できるのがとてもよかった。
幸い、私が入院した病棟は「不安がなくなるまで気にせず居ていいからね!」という方針だったため、早く退院しなきゃと焦って体調がイマイチなのに退院してしまうなどといったことはなかった。素晴らしい配慮だと思った。
任意入院になり、できることがたくさん増えたが、心がまだついてきていなかったため、病棟の外に出る気にはなれなかった。
先生や看護師さんに毎日、外に出ようよ!!と言われまくったため、しぶしぶ数十分だけ外に出ることを繰り返していた。
繰り返しているうちに、どうしても受け入れることができなかった、外の空気や人間社会を少しずつ受け入れられるようになっていった。
しかし、未だに看護師さんや他の患者さんとは打ち解けられずに、外に出ている時以外はほとんど部屋に引きこもっていた。
任意入院になってから1ヶ月くらい経ったある日、受け持ちさんがガラッと変わった。
そしてこの日を境に私の入院生活も大きく変化した。
まず、受け持ちの看護師さんたちが全員明るく話しかけてくれる人たちばかりになった。
そして、プライマリーの看護師さんも変わった。
この方はすごくすごく親切で明るくて優しい人だった。
私がどれだけ心を閉ざそうが、何度も何度も明るく話しかけてくれる。
少しでもしんどそうにしていると、バイタルチェックの時間に何度も「大丈夫??しんどいの??なにがしんどいの??話せる?」と聞いてくれる。
私の気持ちを聞き出そうとしてくれる。
そして最後に「何かあったらいつでも相談してね!」と言って部屋から去っていく。
初めての経験だった。
すこし......私のことを話してもいいのではないか??
と思いはじめた。
しかし、なかなか行動に移すことができないでいた、そんな時期に外泊をすることになった。
細かくは書けないが、この外泊で病棟に帰れなくなるトラブルがあり、入院している間に看護師さんにたくさん相談しておけばよかったと激しく後悔した。
せっかく優しくそして配慮してもらったのに、私はなにひとつそれを活かすことができず、病棟にも戻ることができなくなってしまった。
悔しくて仕方がなかった。ひたすら泣き続けていた。
2日後、奇跡的に病棟に戻ることができるようになった。
今度こそ、たくさん相談するぞと誓った。
本退院までの期間はあと少しだった。
久々に病院に帰ると、大好きなプライマリーさんが待っていてくれていた。
嬉しかった。いろんな手続きがあるのに、すでに疲れ果ててベッドの上でぼーっとしている私に対して、寝てていいんだよと気遣ってくれた。
やっぱりこの人はいつも優しい。
だから、きっと私が相談したいと言っても嫌な顔ひとつせずに聞いてくれるだろう.......
と思い、後日、勇気を出して「相談したい。」ということを伝えた。
思っていた通り、優しく頷きながら
「いいよ〜!」と言ってくれた。
この看護師さんに相談して以来、なんとなく他の看護師さんに対しての壁がなくなった。
病棟で1番若そうな看護師さんがいた。
その方はバイタルチェックのたびに私や他の患者さんに必ず丁寧に声をかけて、5分くらい話してから部屋を出て行く。
忙しいのにすごいなぁ、優しい人なんだろうか......
などと思っていた。
そして、その看護師さんもよく私の気持ちに耳を傾けてくれていた。「いつでも相談してね」と言ってくれた。
「せっかく入院しているんだから、たくさん相談していきなよ。今しかできないことだよ。」
という担当の先生の言葉を思い出した。
ナースステーションに行き、その看護師さんの名前を呼び、出てきてもらいそして、勇気を振り絞って
「相談したいことがあって......今日お時間とかって大丈夫ですか......??」
と伝えた。
すると、「○○さんが、そういうふうに言ってくれるなんて!!嬉しい!!」とその看護師さんは言った。
めちゃくちゃ驚いた。
嫌がられるどころか、嬉しいと言ってもらえるとは。嘘でも嬉しかった。
その日、その看護師さんと1時間くらい話した。
最後に「また話そうね!」と言ってくれた。
次の日の夜、私が病棟のそこらへんにある椅子に座ってぼーーっとしていると、私の横にその看護師さんが腰掛けた。昨日また話そうねと言ってくれていたが......もしかして話しかけてくれにきた??いや、まさかな、忙しいだろうし、そんなことしてくれるわけないだろう.......
とぐるぐる考えていると、その看護師さんは私に話しかけてくれた。
心の体調のことについてばかり話していた昨日とは違い、心のことには一切触れず、私の好きなことや趣味、出身地、お互いの大学のことなど楽しい話だけをした。
精神科に入院していると、看護師さんとの話の内容はどうしても病気のことになりがちだ。
患者とそれを治療する側という関係でしかないことを強く意識される。
もちろん患者と医療者間で一定の距離を保つことはすごく大切なことだ。
しかし、入院中の話が全て病気のことだけだと、つまらなくて味気なくて寂しい入院生活になる。
だから、夜に楽しい話だけをしてくれたことが本当にありがたかったかったし、嬉しかった。
入院中1番嬉しい出来事だった。
今でも感謝している。
入院中の体調は比較的安定していたが、一度だけ大きく取り乱してしまったことがあった。
その日の前日くらいからなんとなく動悸がしたり、夜に眠れなかったり不安感が強かったり、身体が重たかったりなど予兆があった。
そして、その日、ついに私は動けなくなった。
ご飯の時間になっても起き上がれず、ずっと寝ていた。
プライマリーさんが薬を渡しに来てくれてようやく起き上がった。
少し心配そうな顔をしていた。
消灯後、真っ暗な部屋が怖くて苦しくて仕方がなくなった。
真っ暗な中、嫌なことを思い出した。
気持ち悪くなり、泣いてしまった。
泣くと余計に気持ち悪さが増強された。
暗いのは怖い。吐き気を抑えるために外の空気を吸いたかった。
だから、部屋の外に出た。
すると、余計に苦しくなり立てなくなった。
どうしようもなくなり、うずくまって泣いていた。
どのくらい時間が経ったのかはわからないが、
気がついたら横に、夜の見回りに来ていたプライマリーさんがいた。
うずくまる私の背中をずっと撫でてくれた。
しばらくて顔を上げると、こそっと「あっちに行こう。」とナースステーションのある方を指差した。
言われるがままについていった。
案内された場所は精神科の入院初日に入ったところだった。
そこで1時間ほど話を聞いてくれた。
私がどれだけ言葉に詰まろうが、急かすことなくずっと待っててくれていた。
ああ、私も誰かを頼っていいんだ、そして私を見捨てない人もいるんだとすごく安心感を覚えた。
そして前日までは夜眠れなかったがこの日は割とすぐに眠ることができた。
私が2人の看護師さんに相談したことは、日勤と夜勤の入れ替えの際に他の看護師さんに申し送られた。
そのため、2人以外の別の看護師さんにも「私にもなんでも相談していいからね!」と言われるようになった。
トラブルで外泊から帰れなくなった時、
もっとたくさん話しておけばよかった......
と激しく後悔したことを思い出したので、
お言葉に甘えて2人以外にもたくさん相談させてもらった。
どの看護師さんに相談しても、必ずすごく親身になって答えてくれたので、本当に嬉しかったし、何よりアドバイスが全て実用的だったので、すごくありがたかった。
精神科の病棟は怖いイメージがあったし、いまだに良くないニュースを聞くことも多いが、私が入院した病棟はそれとは真逆の優しい場所だった。
看護師さんと話すことが増えたあたりから、部屋の外に出る時間も多くなった。
そして、普段外に出ない私が外に出たことで、他の患者さんが私のことを気になりはじめ、話しかけてくれるようになった。
私も他人に対する警戒心がだいぶ薄くなってきていたので、しっかりと話すことができるようになった。
普段関わることがないような年齢層の人たちと話すことができてすごく楽しかった。
患者さんたちにもう退院間近だということを伝えると、
「こんなにたくさん話せるのに笑
もっと早く部屋からでてきてよ〜笑」
と笑いながら怒られた。
それがまたなんだか嬉しかった。
退院の日がやってきた。
この頃になるともう看護師さんとも患者さんとも打ち解けていたので、朝からずっと寂しくて、そして寂しさをかき消すために、他の患者さんに「寂しいから離れないで!!」とせがみ、ずっとくっついていた。
病棟を出る時間になった。
お世話になっていた若い看護師さんが私を呼びにきた。
一緒に忘れ物がないかを確認した。
確認が終わり2人で病棟の外にでた。
書類にサインをしながら、
「たくさんありがとうございました。」
とか「入院のラストが○○さん(看護師さんの名前)でよかったです。」とか伝えたいことをたくさん伝えた。
そうしたらその看護師さんも
「私も○○さん(私の名前)の退院に立ち会うことができてよかったです。」
と言った。
本当にこの看護師さんに出会えてよかったなと思った。
書類に必要なことを全て記入し終えて、病室の外に出た。
最後にプライマリーさんに会いたいと伝えた。
そうしたらすぐそこにいるから連れてくるよ!!
と言い、プライマリーさんを連れてきてくれた。
顔を見ただけで泣きそうになった。
胸の奥に込み上げてくるものがあった。
退院おめでとうとか、よく頑張ったねとかそんなことを言っていた気がするが、泣くのを我慢するのに必死で正直記憶にない。
ただ、目の前にいる恩人2人が笑っていたことがすごく嬉しくて、暖かかったことだけは覚えている。
少し話をしたあと、プライマリーさんが
「なんか涙が出そう。」と言った。
若い方の看護師さんが笑った。
私も泣きそうだったが、ここで泣いてしまうと多分この先頑張れないような、そんな気がしたので必死で我慢をした。
喉の奥がギュッと締め付けられる感じがして痛かった。
少しでも声を出すと涙がこぼれてしまいそうだった。
いろんな思いを残して病棟を去る。
その最後の瞬間まで、私が見えなくなるまで、
お互いに手を振り続けてた。
エレベーターに乗り、病院の外に出た。
私を迎えにきてくれる人はいないので、すぐに1人になった。
もう私は社会から隔離された存在ではなくなった。
3ヶ月ぶりに自由を手に入れたのだ。
でもどうしてだろう、自由であることは素晴らしいはずなのに、胸が苦しい。
真冬の吹雪の日に入院したのに、退院の時にはもう外は暖かくなり空は晴れ渡っていた。
今日、晴れていてよかったね。
最後にそう言われたことを思い出した。
胸に込み上げてきたものをもう抑えることができなくなった。
寂しさを涙で洗い流しながら帰った。
嗚咽が漏れた。