関東(3)横川、軽井沢、しなの鉄道など
三日目もあちこち激しく動き回ります。
まずは
横川駅へ
ここからバスに乗って軽井沢に移動するのですが、横川ー軽井沢間といえば碓氷峠!
話せば長くなるっていうか、調子こいて間違ったこと書いてると困るのでこれ読んで。
鉄道文化むらについて | 碓氷峠鉄道文化むら (usuitouge.com)
要約すると、碓氷峠は古くから交通の要衝で鉄道を作る必要があったものの、勾配がきつく、地形的にスイッチバックやループ線という対処策も使えない。明治26年、アプト式を採用することによって難工事の末、横川ー軽井沢間を鉄道が開通。
……というので合ってるのかな。
うーん、文章めちゃくちゃだな。面目ない。
平成9年に廃止になってしまっていますが、当時の名残を駅のあちこちで見ることができます。
本当ならば駅に隣接した碓氷峠鉄道文化むらに行ってみたいところですが、時間の都合で断念。
鉄道文化むらをチラチラと気にしながらJRバスに乗り、軽井沢に行きます。
軽井沢にもいろいろ残っていました。
軽井沢になにしに来たのかっていうと、まことに恐縮ながらここはただの観光なんです。
子どもの頃、夏休みは長野方面への家族旅行が恒例イベントでした。軽井沢も何度か旅しました。
ふと思ったんですよね、家族でモーニングを食べたお店はまだあるのかなと。
で、行ってみたんです。
ありましたー!!!!
このブロンコというお店で朝からナポリタンを食べたことをなぜか妙にはっきりと覚えています。
嬉しくなってしまって、お店に入っちゃった。
前にここに来たのは何年前だろう。
詳しくは覚えてないけど、お店の中もあまり記憶と変わっていなくてすごく嬉しかったんです。
とりあえずケーキ食べました。おいしかった!
ケーキ食べたあとは軽井沢のアウトレットでちょっと徘徊。
夏休み中ということもあって、とてつもなく混んでいました。
休日の渋谷か! と言いたくなるぐらいの人混みで、人気のお店では満足に進むこともできません。
すぐに苦痛になってきました。
ブラウスを2枚だけ購入して撤収。
さあ、人混みから逃げましょう。
しなの鉄道
に乗ります!
撮ってきた写真とりあえず見て。
いっぱい撮ったからとりあえず見て。
なんの用事もない駅でちょくちょく降りつつ、今夜の宿・上田に向かいます。
泊ったのは、ほかの宿と比べて異常に安かった民宿(?)
お風呂とトイレは共同、私以外の客はたぶんすべて男性、テレビのリモコンは煙草で焦げたりしていましたが、贅沢を言える身分でもありません。
鍵のかかる個室に泊まれるだけありがたいと思いましょう。
夕飯はつかないので、近所を散歩しつつ食料を探し歩いていると日が暮れてきました。
なんだか妙に人が多い。
うーん、なんだ?
と思っていたら。
どーーーーん!!!!
花火
です!
え、花火?!
花火大会やってた!!!
とてつもなくテンションが上がって、人の波にくっついて河川敷に移動!
まさか花火大会の日だったなんて!
だとしたら宿が取れたという事実にもっと喜ぶべきな気がしてきました。
河川敷に移動したら、さらに嬉しいことが!!
花火の下の橋梁を電車が走っていく!!
なんだかひどく感動して涙が止まらなくなり、私は一人でわんわん泣きながら花火を見上げていました。
この夜が旅のハイライトでした。
きれいで、ドキドキして、嬉しくて、帰りたくないような、はやく帰りたいような、とにかく心が動き回って止まってくれません。
もっともっときれいなものが見たい。
見たことないものを見たい。
旅を続けよう、ずっと。
そんな決意とともに三日目が終わっていきました。
旅の翌年、私はあるニュースを見てひどく動揺することになります。
2019年10月、台風の被害でこの橋梁の一部が落橋。
「橋梁を走る列車と花火」の景色が失われてしまったのです。
この列車をいつも利用している方々がどれだけ困っているだろう、上田電鉄の経営は大丈夫なんだろうかと、関西の片隅で心を痛め、なにもできない中でじっと募金窓口の発表を待ちました。
苦しい時間でした。
そして2021年3月。
上田電鉄別所線が全線で運行再開。
赤い鉄橋復活のニュースでまた感動。
鉄道は人と自然と共にあり、いつも当たり前みたいに走ってくれているけど、その一瞬一緒が大切な時間と記憶の積み重ねなんだなと思ったものです。
(四日目につづく)