「みんな死んでいったさ。」
ひいおばあちゃん(ミヤさん)が死んだ。
103歳だった。
ミヤさんを思い出すと、胸がきゅっとなるどうしようもない寂しさと、同時にじんわりほっこりとあたたまる感覚が私を包み込む。
あぁ、だいすきだったんだなぁ。
なくなってからそれがどんなに大事か思い知らされる経験をまた一つ重ねた。人間は愚かだ。。いや、人間というか私か。
これは、そんなだいすきなミヤさんに向けた、ひまごからのラブレター。
大正、昭和、平成、令和と、4つの時代を生き抜いたミヤさんは何を見たんだろう。
私はこの103年間でミヤさんが見てきたものを見ることはできないし、私の想像なんかじゃ到底その現実には及ばない。体験したつもりになんてなれるわけない。
戦争も、高度経済成長も、私にとっては教科書に載っている単語で、あくまで「歴史の一部」として教わった、現実味のない言葉。
なんてったってミヤさんは元号が変わる瞬間を3回も迎えたんだよ。
平成から令和に変わる時には、テレビもSNSも平成最後の〇〇をとことん取り上げてた。なんなら日常生活でも平成最後の、、なんて使ったりしてね。
「より良い時代へ」と、CMやニュースは言っていたけど、彼女にとって現代は「より良い時代」だったのかな。
今となってはもうわからないし、
想像したところで正解なんてない気もする。
だからここでは、そんなことはやめて、ミヤさんに関して私が知っていることをとにかく書き残したい。
私が彼女に肩書きを作るとしたら、「スーパーひいおばあちゃん」にする。
ミヤさんは90歳ごろまで三鷹で一人暮らしをし、チャリに乗りこなし、スーパーでの買い物も自分でしちゃう超パワフルおばあちゃんだった。
90歳にしておばあちゃん(ミヤさんにとっては娘)と一緒に住むようになった時、彼女の部屋は二階に用意された。だから彼女は、体調を崩す100歳まで毎日その階段を上り下りしていた。私なんて駅の階段すら億劫でエスカレーター使っちゃうのに。
100歳だった時、彼女は骨折もしている。
テーブルの奥にあったお菓子を取ろうとしたら、うっかり足が滑って転んでしまったらしい。
彼女はテーブルの下でうずくまっている状態で発見されて、翌日まで普通に過ごしてたけど、次の日、滅多に言わない「痛い」という単語を口にして病院に連れて行かれた。
大の病院嫌いだったから、痛いって言うのめちゃめちゃ我慢してたんだろうなあ。
ちなみにその骨折はすぐに完治。恐るべし強靭さ。
95歳からミヤさんの物忘れが進んだ。最初の方は日にち感覚がなくなったりみんなの名前覚えられなくなったり。
けどそれがどんどん進んで、とうとう私はミヤさんにとって「ただの女の子」になっちゃった。
会話はいつも「あなただ〜れ?」で始まる。はじめはミヤさんの中の私がいなくなっちゃったことは寂しかったけど、同じ会話でも毎回ちがう反応をしてくれるミヤさんは話していて飽きなくて、特にころころと笑ってくれるところがだいすきでたわいもない同じ話を繰り返した。
真面目はミヤさんの代名詞と親族から言われるほど、曲がったことが大っ嫌いなミヤさん。人前に出るときにはメイクは必ずして、お礼をするときには必ず胸の前で手を合わせてお辞儀する。認知症で何も覚えてなくってもその二つだけは欠かさなかった。
きっともう、ミヤさんの「文化」になってたんだろうなあ。
さすがに口紅と眉墨を間違えて真っ赤な眉毛とともに現れた時は大爆笑、本当に苦しかった。
そんなミヤさんの忘れられない言葉が今回のタイトル。
「みんな死んでいったさ。」
小学校3年生だったある日、お風呂に入ったらミヤさんがいた。誰もいないと思って勢いよくお風呂のドアを開けた私はとっても戸惑った。けど、そのまま出て行くのはなんか失礼になると思って、一緒にお風呂に入ることにした。
ミヤさんと何を話していいのかわからなくて、その時ちょうど学校で習ってた戦争についてなんとなく聞いてみた。今だったらいろいろ考えて聞けないかもしれないけど、その時はただただ知らないことを知りたい一心で聞いてみた。そしたらミヤさんは言った。
「戦争はね、いっぺんにいろんなものを取って行ったんだよ。家族も、友達も、みんな死んでいったさ。道端でね、みんな。」
あまりに悲しそうに笑うミヤさんの顔を見て、9歳ながらに戦争の残酷さと彼女の偉大さを思い知った。だって、もし私だったら、いくら何十年も昔のことだからって笑える?絶対無理。
明日からどうやって生きていくのか、誰を恨んでいいのかもわからない中で子どもを四人も育て、きっと必死で生きていたんだと思う。
「生きる」という単語はシンプルで簡単だけど、じゃあそのことに対して本気で向き合ったことはあるかと言われると返事に困る。というか、明日があるか、そうじゃないかの二択しかない世界は私の想像の範疇を完全に超えてる。
戦争によって全てを失った彼女は、誰のことを恨むわけでもなく、
ただ「戦争はいけないねぇ」とつぶやいた。
それは、とてつもなくシンプルで、でもどんな言葉よりも、スピーチよりも説得力があった。
ミヤさんが穏やかで、気品高く、しゃんとしていたのはそういった途方も無い悲しみを乗り越えてきたからだと思う。いや、乗り越えるしかなかったんだろうな。
何か怖いものに向かっている時、悲しくなった時、私はミヤさんを思い出すことにしている。
そうしてミヤさんの人生を想像するたび、悲しさにだって堂々と挑む勇気が湧いてくる。私は彼女の娘の娘の娘だもん。ほんのちょっとでも彼女の血が私に入っているなら、なんだって大丈夫な気がする。
私だって、あんな風に強く素敵に年をとれる気がする。
正直私は天国というものがあるのかないのか、あるとしたらそれは素敵なところなのか全く検討もつかないし、だから否定も肯定もできない。
ただ、もしどこかに天国と言われる場所があって、それが幸福に満ちた場所であるなら、ミヤさんにはそこで、どうか、安らかな日々を過ごしてほしいと心から願う。
ありがとう、おばあちゃん。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?