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ベストタイミング

新しい学校に入って1週間が過ぎた。

うーーーーん、面白い。
能動的な勉強だからなのかな?大学でも能動的な勉強をしているつもりになっていたけど、課題とかディスカッションとか、成果を形として残すことにばかりとらわれてしまっていたんだなあ。

そういった意味で、課題によって学びを評価するわけではないところが私にあっている気がする。もちろんテストはあるんだけど、その問題や質問によって答えを深める質問で、知識だけでは答えられないものばかり。

ただ同時に、とてつもなく壮大な学問に足を踏み入れてしまったと授業の度に思い知らされる。

お経ひとつとっても、きっと1ヶ月かけてやっと理解できるぐらいの密度。
ひとつの教えにたどり着くまでには、何千年もの時間をかけて何百人もの人々が時間を費やしてきたんだよね。そう考えると、その数千年分の教えをこの一年で(体型的にでも)会得しようとしてるのって、ものすごいことだよなあ。

さてさて「ベストタイミング」という題にしたのは、最近それについて考えることがあったから。

私が今の仏教学校での授業を面白いと思えているのは、高校生の時に行ったアメリカ留学でどっぷりキリスト教に触れたからだと思う。

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ホストファザーはキリスト教の牧師さん、高校はキリスト教学校という環境のもと、周りの人と同じように生活した。宗教が生活の中心にあるような暮らしは初めてだった。

食事前、授業前には必ずお祈りをするし、日曜日には必ず礼拝に行って。週に2回は必ず聖書の授業というのがあって、聖書を読み込んでディスカッションしたり。なんといっても、友達との日常会話でキリスト教に対しての考え交換みたいなのをしているのが驚きだった。
私はクリスチャンじゃないから、キリスト教について何もわからなかったけど、とにかく質問したり聖書を日本語でも英語でも読んで理解しようと精一杯してたなぁ。
そんな生活のおかげで、周りの人の共通の哲学みたいなものがなんとなくでもわかるようにはなったし、教会には教会友達ができちゃって。
うっかりちゃっかり洗礼も受けちゃったりなんかして。
(あれ、そうすると私クリスチャン僧侶になるのか...?)

留学して最初の方は、「アメリカ人とか日本人って、大きい単位でまとめすぎじゃない!?アメリカ人だって日本人と一緒で一人一人に考え方があって、それぞれ違う考え方があるんだぞ」なんて思ってたけど、


やっぱり根本的に違う考え方というか心構えみたいなものがあって(決して悪い意味ではなく、どちらかというとポジティブな意味で)、そういうのは結局キリスト教の考え方が色濃く影響していたように思う。もちろん、私の周りは99%がクリスチャンだったからというのもあるけど。

本当に宗教って人々の考え方だけじゃなくて文化の一部なんだって体感することができた。

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でも、そうやって半ば体当たり的な感じにいろんなことにチャレンジしたり、考え方の違いを一生懸命見つけ出そうと精一杯になれたのは、私がまだ高校生で、新しいことをなんのバイアスもなく吸収できるスペースがあったからだと思う。ちょうどスポンジみたいに、いろんな形や大きさのものを吸収できるスペースがたくさんあった。
もちろんまだまだ経験も吸収スペースはある(と信じている)けど、経験と引き換えにやっぱりいくつかのスポンジの穴はふさがっているわけで。
きっと今留学していても「あーそんな考え方もあるのか、ふーん、おもしろい」という感じに、これまで吸収してきたものでできたバイアスを通して見てしまうだけなんだろうなあ。「よくわかんないから飛び込んでみよう!」と体当たりできたのはやっぱりあの時だったからこそなんだと思う。

だから、あの時に、あの地域に、あの学校に留学してキリスト教とそれが作る文化に触れたことは、今仏教とその文化について学んでいる私にとってベストタイミングだったと、授業中にふと気がついた。

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実はこれまで私の人生に起きたことは全てベストタイミングだったのかもしれない。

これまで出会った人もやってきたことも、実は全てが私にとってベストタイミングだったような気がする。

そう思うと、なんかすっごく心がスっとした。

大好きな友達とは小学校で出会ったこと。
中高では距離は離れたけど、大学生になった今また仲良くしている。小学校で出会ってなかったら、想い出の人にすらなってなかったかもしれない。

休学するか悩んでいる時期にゲストハウスで働き始めたこと。
尊敬する常連さんの言葉を借りるならば、「社会のスキマ」で生きている人が集まるあの場所で、その人たちの生き方や考え方に触れて、私も休学への一歩を踏み出すことができた。もしあの人たちに出会えてなかったら、一歩踏み出してなかったら、今頃休学への後悔にまみれながら生きていたと思う。

こうやってなんのつもりもなくやったことが、実はパズルのように上手にはまり込んでいて、どこかしらで繋がっていたんだなあ。

だとすると、私はまだ経験も知識も未熟な未完成のジグソーパズルだ。
きっと、これから経験していくものが1つ1つのピースになって、素敵なパズルを完成させてくれるに違いない。

これから出会う人も、起こることも、きっとわたしにとってベストタイミングなんだと思うことにすると、なんだかとっても元気が湧いてきた。

生きることにワクワクしてきた。

これまで私と出会ってきてくれた人、ありがとう。
ベストタイミングすぎるよ。サイコーだよ!

これから私と出会ってくれる人、ありがとう。
きっと、私はあなたに会えて幸せです。

って、心からすべての人に伝えたい。

こういうのは苦手なんだけど、自分の考えていること、思っていることを表現することが苦手で、それを克服したくてnoteを始めたのもある。だから、今、素直に文字に残すことにする。

ほんのちょっとだけど私なりの進歩。
よくやった、私!

最後に、この一連の気づきのきっかけになったのは、たまたま見かけたゆうすけの「これまで出会った人も、あったことも、全部ベストタイミングだと思う」みたいな感じのインスタのストーリーだった。正直それを見た時は、なんかいいことでもあったのか〜?くらいに考えていたんだけど、きっと頭の隅っこに残ってたんだね。あのタイミングであのストーリーを見たことそのものが、何よりのベストタイミングだったんだと思う。
ゆうすけ、ありがとう。


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