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男でも女でもなく、ワタシ。

こないだ恋バナをしてた時、ふと思った。

もし私が女の子を好きになったら、私は明日から「バイセクシャル」と言うカテゴリーに振り分けられる。
でも好きになった人の性別だけで自分の性別の名前が変わるのって、すっごく不思議じゃない?

だって、もしかしたら私はその子が「女の子だから」ではなく「その子だから」好きになるかもしれないわけで。
だとしたらまた女の子を好きになるかなんてわからないわけじゃないですか。

その時の私はきっと、「これまで好きになった子は男の子だったけど、今好きな子は女の子です」って感じだと思うんだよね。

だから、バイセクシャルという言葉でひとくくりにまとめられるのって、なんかやだな、と思った。

恋愛した相手の性別でジェンダーをカテゴライズすることの怖さは、こういった曖昧さを包括することを許してくれないことにあると思う。

私の思考回路は単純だから、男女という概念をなくせばいいのに、とか思った。


そんな簡単じゃないことはわかってる。でも、難しく考えすぎるから難しくなっちゃったりしてない?

ただ、今言った「男女という概念をなくす」のは、精神的な話。

人間は生まれてくるときはどちらか、男か、女か、2種類だから。

それに私は、例えば歌とか美術品に表される肉体的・概念的な男女の美しさを否定する気は無い。

ちょっと前に行ったクリムト展に並んでいた女性はみんな女性独特の曲線が美しく描かれていたし、明菜ちゃんとかが歌うオンナっぽい色っぽさ、すごく好き。

男の子の背中は大きくてきゅんとするし、腕筋だって見ちゃう。少女漫画で女の子を頼もしく守ってくれる男の子がいたら、主人公に入り込んで幸せな気持ちになったりもする。

芸術としての男と女とは、それぞれに美しさがあると思う。歌詞に出てくるような概念的な男も女も、どちらかの枠に入っているから共感を呼ぶような気がする。

だけどさ。

肉体が2種類だからって、心も2種類って決まりかい?

...あれ、好きになる相手と性別カテゴリーの話をしてたら、いつのまにか心と身体の相違の話になってる。

まぁ、とにかく、性別の話は、それだけ複雑なんだということ。複雑だから、もっと簡単に考えようぜってこと。

ゲストハウスで一緒に働いていたスタッフに、女の子と、元女の子で今は(多分)男の子のカップルがいた。その二人は、性についてとてもまっすぐに、正直に色々な思いを吐き出してくれた。

ある時、その女の子が言ってた。

「女だろうが男だろうが、その他だろうが、一緒に生きたい人といる、ただそれだけなのにね。」

あっけらかんとして清々しく放たれたその言葉は、水が染み込むようにスーっと私の身体を通過した。

そう、つまりはそういうことだと思う。

だからね、私はカラダは女だけども、自分のことは女でも、男でも、その他でもない私という存在として肯定したいと思う。

そんな風に肯定してくれる人と生きたいと思う。


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