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クソジジイに世界の美しい鱗片をシェアしてしまった

水曜日。
雨が降っていた。

「天気の中だと雨が大好き。梅星えあはどの天気が好き?」

推しのアイドルからメールが届いた。
(メンバー一人につき月額440円の有料コンテンツなので人物は伏せ、添削しています。)

雨が大好きって珍しいな。
今日みたいに荷物が少ない日だったらまだいいけれど、ライブの日なら3泊4日分のキャリーバッグとIKEAのでか袋とリュックとで重量がとてつもないし、もちろん傘をさす余裕なんかなくてかなり困る。
美容室に行く日に雨になったら、帰り道は「せっかくメンテナンスしたのに最悪」ってハズレだと思っちゃう。
電車の湿気も気持ち悪い。
もし誰かと会って話し足りなくなって、なんとなく終電を待つあの時間も消えるんだろう。
でも、雨から守られながら静かに過ごす部屋の中は好き。
それくらいかな。

屋根のある駅のホーム。
無造作に縛ってボタンで畳んだ、しぼんだ傘を手首に引っ掛ける。
周囲にも線路を挟んで向こう側にも、一旦役目を終えた傘を持ち電車を待つ人たちがいた。
悪い視力と低気圧頭痛、振り続ける雨で視界と思考がぼやける中、自分の好きな天気を探し始めた。
晴れは好きじゃない。
責められている気持ちになるから。
消去法で、現状好きな天気はくもりになっているわけだけど、そういうことじゃない気がしてきた。

もし世界にひとりだったら。
晴れでも責められた気持ちにはならないかもしれない。
みんなが活動的になるのに自分だけが動けていない状態に鬱屈してしまうけど、それがなくなる。
雨はどうだろう。
ライブもないのだから大荷物を持って歩くことはなくなるし、美容室の予定も電車の湿気も、会いたい誰かもいない。
しかし今度は雨から守られながら過ごす部屋での時間は退屈なものになるかもしれない。
土砂降りの中、歌ったり踊ったりするかな。
今もやったりしてたけど、風邪ひいたら迷惑かけるからもうやらないし。


好きな天気。
たったそれだけのことを世界には私以外がいるから見えなかった。
そして世界には私以外がいるから、天気ひとつで私のその日創る世界が構築されていることを知った。
じゅうぶんだ。
そんなことに気がついただけで今日を生きた理由になった。

再び雨の降るコンクリートの街に身を投じる。
右手が傘で塞がる不自由さが戻ってきたけれど、
ビニールを打つ雨音がなんとも贅沢に感じた。
今日の世界は実は綺麗だったのだ。
視点が変わった素晴らしい日だった。
霧のかかった脳が明るくなる。
伝えたくてポストしたけど意味わからなかったかな。
見た人いるかな。

この幸せを手に入れた代償としてなのか、このあとバイト先であるキャバクラのクソジジイを召喚してしまう。
しかも私は、視点が変わったというこの話をこいつにしてしまった。
ピンときてない感じだったがどうでもよかった。
良いことに限ってだけど、誰かにすぐにでも言いたくなってしまう。
そして、“クソジジイ”についてだが差別用語をあえて使っている。
説明など必要な際は、普通は“50代の男性”といった表現にする。
紳士的で面白い、自分の好きな方々と同列で表現したくないため、“クソジジイ”という表現にした。
私の知っている中でクソジジイはこいつだけだ。
悪い意味だったとしても特別な存在にするのが悔しいが仕方ない。
普段は明らかに自分に害をもたらす存在に感情をつかうのがもったいないと感じるし、何よりそんな人間と関わらなければいけない環境にいる自分が悪いと思うため、わざわざ苛立ちをあらわにしないが、この日こいつは一線を超えやがった。

まず、去年からの度重なるクレーム行為に疲弊していた。
席でスタッフまで呼んで一時間以上も説教を始める。
帰った後、箇条書きで長文の改善点を送ってくる。
嫉妬深くメンヘラを起こしてキレて帰る。
「もう来ないでほしい」と言うと謝罪して、やっぱり何度も来る。
不死鳥の如く。

この日は自分がたばこを忘れて帰ったくせに、慌ただしい店に何度も電話をかけ、すぐに出なかったことに腹を立てて「自分も悪いけど、忘れ物のCHECKができない店は相当ヤバいって自覚してください」と長文で連絡してきた。
まじでぶっ殺したくなった。
相当ヤバいのはお前だろ。
唐突なネイティブ“CHECK”にも気づかなかったほど苛ついた。
同時に、好きな天気の話をしたことをとてつもなく後悔した。
これがなかったらいつものように耐えられていたかもしれない。
本当は3月に亡くなった彼女に話したいことだった。
天気の話なんか話すことない人と話す会話だと思っていたけど、視点を変えただけで世界は美しく光ること。
抱えきれないほどの愛をくれた彼女が拒絶した世界の綺麗なところを探しながら、同じようにこの世界を嫌う私たちと生きていこうと誓った。
それで探し始めて見つけた一つ目の綺麗なところだった。
そんな大切なものをこんなクソジジイにシェアしてしまった。
この世界の嫌いな一部はこのクソジジイで構成されているというのに。

酷く後悔してるが、嫌いな面があるからこそ煌く。
こいつ自体は絶対に愛さないが、こいつのような存在は愛しながら生きようと思う。


ちなみに写真は過去在籍していた私の大好きなお店での一枚です。
クソジジイはいません。

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梅星えあ
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