今を知りたくて、過去を見る
高校のときの夏休みの宿題をふと思い出した。
高2のとき、世界史の課題として「自分の歴史を書け」とだけ出題されたのを覚えている。
様式は自由、タイトルも自分で考えてつけること。ただそう告げられて、私たちは長い休みに放り出された。今思うと世界史の宿題としては風変わりと言わざるをえない。
私も自分なりに幼少期から記憶を遡り、当時の自分に至るまでの歴史を書き上げて提出した。
たしかタイトルは、そのとき日本神話に興味を持っていたこともあって、古事記をもじった「自事記」と付けたと覚えている。
夏休みから数週間が経ったとき、クラス全員の「歴史」が各々のもとに返却された。
そこには点数だったかABCだったか、なんらかの評価が下された印がつけられていた。
私たちはすぐにその評価を受け入れることができなかった。
いつも優秀な同級生が提出した、見るからに分厚い課題には低い評価がつけられていて、手を抜いたのではと疑わずにいられないほかの子のものとほとんど大差ない(むしろそっちの方が良かったかもしれない)とされていることに訝しがった。
困惑する私たちをしばし眺めるような時間とった後、その先生は口を開いた。
細かいところは曖昧だけれど、おおむね次のようなことを言っていたと記憶している。
「『歴史』というのは、過去をただ書き残せばいいってもんじゃない。過去が積み重なって、どう現在につながったのか。
『今』のことまで書かないと歴史とは言えない。」
だから、いくら幼い頃のことを事細かに書こうが、高校生の今のことを記してないレポートには評価をつけられない。
そうやって、先生が説明をしてくれたことが、随分と自分の心のなかに印象づけられた。
さて、では「今」はどうか。
社会人2年目の私は、過去の私とどのように連続し、歴史を紡いでいるのだろう。
正直に言えば、仕事や生き方に対して疑問に感じる瞬間もある。進路選びや就活の過程で自分の意思で選択をしてきた自負はあるものの、「そもそも今の自分は何やりたいんだっけ?」と根本的な問いを投げかけてしまうこともある。
でも、やみくもに今だけの思考に取りつかれるのではなくて、過去に大切にしてきた価値観や自分の根っこを見つめなおさないといけないんだろうなと思っている。
あのときの夏の宿題が教えてくれたのは、きっと「過去と現在とを分断するな」ということなのだろう。
今の自分を整理するために、これから少しずつ過去を紐解いてみていこうと思う。