とある黒猫のはなし
てらきたです。
今日は僕が東京に住んでいたころに出会った、とある黒猫の話を書きたいと思います。
僕が住んでいたのは工場などが多くある場所で、裏筋に面して建っていたマンションに暮らしていました。
その周辺には多くの野良猫が住んでいて、日が当たるところで10匹近くの猫が日向ぼっこしているのも見たこともあります。
そんな中、僕はグループに属さない2匹の黒猫と出会いました。
2匹の黒猫
その2匹の黒猫はとても人懐っこく、マンションの入り口付近でよく見かけました。
マンションの向かいが工場の社員用駐輪場だったので、おそらくその社員さんたちが餌をあげていたからだと思います。
もしくはマンションに出入りする人が餌付けしていたのかもしれません。
引っ越してきてからしばらくたって、僕がマンションの駐輪場から自転車を出そうしたときにその2匹と出会いました。
バラバラのときもありましたが、大体2匹は一緒にいることが多かったです。
マンションから出てくると、近くの草むらから出てきて自分に寄ってくるようになりました。おそらく人間に近づけば餌をくれるのだと思っていたのだと思います。
なので家になにかあるときは、少しそれを持って出たりしてました。
最後に見た2匹の姿
ある早朝、いつものように2匹は僕に近づいてきます。
しかしいつもと違った鳴き声で一匹が鳴き続けるのです。
さすがになにか異変があるのかと疑った自分は、その猫をよく観察します。
すると足の付け根部分が(おそらく)なにかに擦れて、出血していたのです。
自分にできることはこの猫を病院へ連れていくことでしたが、そのときは時間がなかったので、ひとまずその場所をあとにしました。
動物は人間にとって都合の良い存在ではない
これは僕が思う持論ですが、種が違うだけで人も同じ動物なわけですから、ぬいぐるみや、他人のあかちゃんをかわいがるのと同じではありません。
向こうには向こうのルールがあって、生きてきたこれまでの経験があります。
なのでこの2匹を抱き上げたり、撫でまわしたり、そういったことはしていませんし、赤ちゃん言葉を使ったことも、猫ちゃんとも呼んだことはありません。
あくまで同格の存在として、接してきたつもりです。
成人した大人に対して「どちたの? どちたの? よちよちねえ」なんて言うことないでしょう。いや、仮に思ったとしても口には出さないでしょう。
さっきの話に戻りますが、僕は用事を終えて昼過ぎにマンションへと戻ってきます。
怪我をした猫は朝と違って鳴くこともなく、じっと座っていました。
病院に連れていこうとも思ったのですが、果たしてそれで正解なのだろうか。と僕の脳裏によぎります。
この猫を見て可哀そうと思うのは仕方ありません。しかし、助けてどうするのか。そこまでを考えなければいけないと思ったのです。
野良猫には野良猫の生き方があると思います。同格の存在として接してきたのに、今になって人間の欲を満たすためにこの猫を助けてよいのかと。
そう思うと、この猫は死を受け入れようとしているのかな。そう感じました。正確にはそれすらも人間である僕が思ったことなので、実際のところは当の猫にしかわかりません。
結果的に僕は猫の頭に手を当てて、頑張れとだけ言って自宅へ帰りました。
それから、僕の元へやってくる黒猫は一匹になりました。
とある黒猫のはなし
一匹の黒猫とはそれからもよく会っていました。
彼(彼女かもしれない)には名前もつけていませんし、言葉をかけることもほとんどありませんでした。
僕が舌をコンコンと鳴らすと、草むらから飛び出してやってきます。
そうして僕が前に手を出すと、匂いを嗅いでから頭を擦りつけてきます。それから僕がなでて挨拶終了です。ほぼ毎日、例外なくこのようにコミュニケーションをとっていました。
彼も慣れてきたのか、一連のあいさつのあと、しゃがんでいる僕のひざの上に乗ってくるようになりました。
正直、冬で寒かったので暖をとりたかっただけなのかもしれませんが、膝にのせてしばらく夜風にあたるのが日課になりました。
餌もあげていたこともあってか、かなりなついてくれていて、なわばりを出て近くのコンビニまでついてきたこともありました。
(車などの騒音に怯えて動かなくなったので、先導して連れて帰った)
やはりそうしてくると、情が湧いてしまい、人間の勝手を押し付けたくなります。
僕は彼を一度家に連れて帰ったのです。
しかし、外に向かって鳴くだけの彼を見ていると、やはり家で飼うのは間違いだなと思い、また外へ出します。
もちろん無理にでも家に閉じ込めておけば、やがては慣れてくれたのでしょうが、どれだけ家が外よりも安心安全であったとしてもその生活観、それを押し付けるのは人間の勝手だよなと思いました。
少なくともそのとき彼は外に出たがっていたのですから、同格に接するのであればそれを尊重すべきだと考えたのです。
そんなこともありましたが、翌日にはいつもと同じ夜風にあたる毎日が始まります。
気付けば、膝の上で眠るようになったのですが、うれしい反面めちゃくちゃ寒かった記憶があります。とんでもなく寒かった……。
別段なにをするわけでもなく、僕は夜空を眺めるだけです。
ただ野良猫というのもあってか、周りの環境音に反応してすぐに起きるのですが、また座りなおして眠るんですよね。
もうええわ、となると膝から降りたり、座ったりします。
このころには帰ろうとすると、おなかを向けてゴロンと転がり通せんぼするようになっていました。帰りたいけど帰れない。そんな感じです。
マンションの階段を上がっていたら、遠くでみゃーんみゃーんと鳴いていたり、かなりなついていました(自慢)
別れのとき
それからたまたまなのか、なにかあったのか、舌を鳴らしても彼が出てこないときが増えます。
僕はあることがきっかけで僕は東京を離れることになり、一度、実家に帰ることにしました。
そうしてある程度の荷物をまとめて家を出ると、久しぶりに彼がやってきます。僕は餌もなく、キャリーバッグを引いているのもあって、いつもの挨拶だけ済ませて実家へ帰りました。
約一か月後に僕は東京へ戻ったのですが、それから東京を離れるまでの約二か月間、一度も彼の姿を見ることはありませんでした。
僕が思うこと
野良猫は繁殖のため、雌を探しになわばりを離れることもあるそうです。
また、飼い猫が死ぬ前に姿を隠すというのは有名な話かと思いますが、それも弱る身体を守るために身を隠すという野生の本能だと聞きます。
理由はわかりませんが、彼はどこかへ行ってしまったわけです。
保健所に連れていかれたのかもしれません。
(ほかにも猫がたくさんいるので可能性は低いですが)
または人懐っこさゆえに誰かに拾われたのかもしれません。
理由は考えればどれだけでもでてきます。
だからこそ人は都合の良い理由を探すのでしょう。自分を想ってのことだとかなんだとか。そう思いたい願望で決めつけてしまいます。
しかし彼は野良猫で、猫という種にはその種における生き方というものがあるはずです。それはきっと人間と同じではないのです。
ましてや野良猫。厳しい環境で生きる彼にしか理由はわからないと思うのです。
僕が旅立った彼に寂しいと思うのも、死んだと思って悲しむのも、人の勝手なのです。僕は猫の生き方を否定したくありません。何も言わずに去るのも猫だからなのです。どうあっても彼の選択を、生き方を尊重したいのです。
野良猫には野良猫の生き方がある。
何度も言いますが自分と彼が同格であるのであれば、やはりそれは尊重すべきです。
だから僕は涙も流さず、悲しまず、探すこともせずに、少しだけ感じる寂しさは納得させて残りの東京生活を過ごしました。
でもせめて一言、お別れの言葉くらいかけたかったなとか思っちゃいますね。
結局、そう思うのも人の勝手ですけど。
とにかく僕は、彼は今ごろどうしてるかなんて考えながら関西へ帰ってきました。
今でもぐるぐる考えちゃうんですよね。彼のその後を。
どれだけ考えても彼の猫生に干渉するほど自分は偉くないので、思い出だけここに綴ります。
理由も場所もわかりませんが、どこかに旅立った彼に一言だけ。
あばよ猫。
おわり