この魔法世界において筋肉は最強Ⅰ
第一章「この筋肉は、人の可能性だ」
【登場人物】
<カスミ>
巨大な杖を持つ少女。しかし魔法は使わない。
ブリンデル26世の所有物であったが脱走し、フレンダという町へ逃げ込む。
<筋肉おばけ>
縮めて筋肉男(きんにくお)。屈強な肉体を持ち、素性は謎に包まれている。
寡黙で、どんな状況でも落ち着いた声色で喋る。
<ブリンデル26世>
オーデラン王国に広大な土地を有する領主。
国の約三分の一の作物を賄っている。
<ジニア>
ブリンデルの屋敷仕える金髪の少女。
<オーデラン・リタリ>
オーデラン国王の1人娘にして、オーデラン王国魔術団の団長。
<魔術兵>
一般的な魔術兵。一定の基準を満たす魔法が使える兵士を指す。
<オーデラン王国魔術団 魔術兵>
オーデラン王国直下の魔術団に属する魔術兵。
世界的に見てもオーデラン王国の魔術団はレベルが高いことで有名。そのため一般の兵士に比べ、質の高い人材が多い。
赤い隊服から赤魔術兵と呼ばれることもある。
【あらすじ】
領主ブリンデル26世の所有物であるカスミは、オーデラン王国の西に位置するフレンダという町へ逃げ込む。しかしブリンデルが従える魔術兵により、酒場でついに追い詰められてしまう。
誰も彼女を気にかけない中、1人の男が立ち上がる。
2人はこうして出会い、物語は始まる。
いま魔法世界を変える冒険が幕を開けようとしていた。
0.窮地
どこかの山道。少女は走る。そのあとを追ってくるのは魔術兵たちだ。
魔術兵「なんとしても捕えろ!」
少女「はっ……はっ……」
山道を抜けると、新たな町の入り口が見える。大きな町ではないためか、見張りの門兵は少ない。少女は失速せず、加速していく。
魔術兵2「とめろ! とめてくれ!」
門兵「え? と、とまれ!」
少女「……ッ!」
気を抜いていた門兵を飛び越えて、カスミは街へ入った。そして一足遅れた魔術兵が門兵とぶつかり合う。
魔術兵「この、邪魔だ!」
門兵「急になんだっていうんだ」
魔術兵「あの女を生け捕りにしなくてはならないのだ!」
門兵2「すぐには街から出れんだろう」
門兵「そう広くもない町だ。隠れる場所はそう多くはない」
魔術兵「なにをのんきな……」
門兵2「奴隷か。どうしてそんなに躍起になっているんだ。ただの小娘だろう?」
魔術兵「あの女は、あの女はな……」
魔術兵たちは彼女の正体を口にして、ぽっかりと口を開けた門兵を置き去りに町の中へと駆けていった。
1.どこかの酒場で
近隣に構えるオーデラン城のふもと。そこから少し離れて位置するこの街は、比較的階級の低い者でも住みやすく、多くの人で溢れかえっている。
少女は薄汚れた白い衣類をまとい、長く地面に擦りそうなスカートをたぐり寄せ、人ごみを進む。
魔術兵2「町は狭くともこれだけの人だ。しっかり目を凝らさなきゃ逃がしちまうぞ」
魔術兵3「お前は直進。俺は右から」
魔術兵「俺は左からいく。再度ここへ集合」
魔術兵3「見つかることを祈ろう」
魔術兵2「祈るだけ無駄だ。連れ戻さなければブリンデル様に殺されるぞ」
魔術兵たちは生唾を飲み込んで、駆け足で方々へ散開する。
一方。人だかりを抜けた先で、少女は辺りを見回してから一息つく。
それからゆっくりと歩き始めてこれからの行く先を考える。そして視線の先に、大きな木箱をいくつも抱えた男と、それを先導する男の姿が目に付いた。
魔法の才がない者と、そんな彼に肉体労働をさせる者だ。別にめずらしくもないその光景は、とうぜん誰も目には止めない。彼女をのぞいて。
店主「はやく運んでくれ。まだ半分だぞ」
奴隷の男「申し訳ございません……」
店主「ん、どうした」
奴隷の男「実は昨日の荷運びで足を怪我してしまって……」
店主「それでどうした」
奴隷の男「あの……だから、少しだけでいいから休ませてもらえませんか」
あきれたようにして、大きな息を吐くと店主は答えた。
店主「だからなんだ。開店に間に合わなかったどうする。ほら、はやく立て」
奴隷の男「は、はい……申し訳ございません」
店主「はぁ。はやくしてくれよ」
少女「……あの」
少女は店主に歩み寄る。
店主「なんだ」
少女「時間がないん、ですよね……?」
店主「誰だ君は」
少女「あ、カスミです。カスミって言います」
店主「で?」
カスミ「ええと、それで、その木箱なんですけど、大きさのせいでバランスがとりにくいんじゃないかなぁ……と。
だから足への負担が大きくなってしまうんです」
店主「お嬢ちゃん、時間がないんだ。はやいうちに家へ帰りな」
カスミ「2人で端と端を持てば、より効率的に運べますよ」
店主「おい、見てわかるだろ。こいつ以外に誰がいる?1人でも運んでもらわなきゃ困るんだよ。
お嬢ちゃんにはわからないかもしれないけどね、おじさんは仕事をしているんだ。ええ? どうやって端と端を持つんだい? ほかに誰がいる?」
カスミ「……あなたです」
虚を突かれたように言葉に詰まる商人。すかさずカスミは続ける。
カスミ「仕事であれば遅れはよくないことは私でもわかります、けど……。だからこそ2人で運んだほうがリスクを冒さずにすむと思うんですが……」
言っている途中で相手が怒っているのを察して言葉の力が抜けていく。
店主「うるせえ! 俺の管理物だ! どうしたって自由だろ! 俺は魔法使いだぞ! おい、はやく運べ!」
奴隷の男はよたつきながら木箱を担ぐと、カスミに向かって口だけを動かして感謝を伝えた。そうして店主と奴隷は人ごみの中へと去っていく。
カスミが遠くに去る彼らを見つめていると、杖をついた1人の老人がこちらに近づいてきた。
オディ「あんた勇気があるね!」
カスミ「え?」
オディ「あんたが言ったことは間違いじゃない。誰も言わないが、いや言えないか。この世界の常識はおかしい!」
カスミ「は、はぁ」
オディ「わしはただのジジイだ。オディと呼ばれとるが別に本名じゃない」
カスミ「オディ、さん、その通りだと思いますよ」
オディ「?」
カスミ「おかしいですよ。この世界は壊れた幻想と同じです」
オディ「ああ、その通りじゃ。だが、お嬢ちゃんみたいに声を上げる人がおるだけで、この世界も捨てたもんじゃないと思えたわ」
カスミ「それで世界を変えられたらいいんですけど」
オディ「あんたに意思さえあれば、少しは希望が持てる」
カスミ「……希望はありません」
オディ「なぜだ?」
カスミ「私にはこの世界を変えられないからです。絶対に」
人ごみの中。カスミの視線の先。そこに魔術兵の姿が見える。
カスミ「あ、お、オディさん、わたし行かなくちゃいけなくて……失礼します!」
オディ「困ったことがあればいつでも声をかけてくれ。わしは君の力になりたい」
頭を下げて、カスミは走り去る。遠くからその姿を捉えた魔術兵が彼女を追いかける。
町の小さな酒場。昼過ぎの時間でもそれなりに人はいる。
町に娯楽がそう多くないために、人が集まっているためだ。しかし、そのせいもあってか怖い場所というイメージとかけ離れた、にぎやかであたたかな空間を醸し出している。
カスミは勢いよく扉をあけて、酒場に入る。
マスター「どうしたんだい?」
カスミ「あの、たすけ……あの! 少しだけここにいさせてください!」
酒場の客「好きなだけいればいいさ!」
酒場の客2「ハッハッハ、なんかやらかしでもしたか?」
血相を変えた彼女を受け入れてくれる雰囲気。それは彼女の罪悪感を高めていく。この人たちに迷惑をかけたくない。その思いで、せめて……とカスミは店の奥へと駆け足で進む。
次の瞬間。また勢いよく酒場の扉がひらいた。
入ってくる2人の魔術兵を見て、辺りの空気が一変するのをカスミは察した。酒場にいる彼らにとっては、つじつまがあったような感じがしたのだろう。客の意識はカスミへ向けられ、兵士はなにを言うわけでもなく、カスミのいる方向へ向かう。
魔術兵「調べさせてもらう」
魔術兵はそれだけ言うと、全員の意識が集まる場所へ一直線へ向かう。
さっきまでのにぎやかさと打って変わって、緊張感でとても静かだ。
魔術兵「やっと追い詰めた。追いかけっこはもう終わりだ」
カスミ「もう、あそこには戻りたくありません……」
魔術兵は無慈悲にも杖を彼女へ向ける。
魔術兵2「お前の気持ちは知らん。ブリンデル様がお待ちだ」
酒場の客「ブ、ブリンデル……!」
酒場の客2「おい、様をつけろよ! なにをされるかわからんぞ」
するとカウンターに座っていた男が、すっと静かに立ち上がる。
男は短い赤髪で、筋骨隆々の大男だ。落ち着いた声で魔術兵へ声をかける。
男「少し、うるさくないかね。君たち」
魔術兵2「仕事中だ。すぐに終わるから黙って飲んでいろ」
男「言い方を変えよう。君たちが居るとおいしく飲めない」
男は持っていたボトルをかかげて見せた。
【まめだいふく】と書かれた奇妙なこの酒はおいしくないことで有名で、一部の人間にしか需要がないことでも有名だ。ゆえに笑い飛ばす魔術兵たち。
魔術兵2「そんなものいつ誰が飲んでもうまくないわ」
男「いや、とてもいいものだよ。これは」
カスミと魔術兵。その間を男は割って入る。これには魔術兵も動揺した。
魔術兵「な、なんだ貴様!」
男「いいかい。もう一度言おうか。君たちがいると、おいしく飲めないのだ」
魔術兵たちは顔を見合わせる。魔法を行使する確認だ。
魔術兵「撃て!」
ドドドド、と次々に光弾が男へ発射されていく。
……しかし。
男「余計にうるさくするとは、困ったね君たち……」
魔術兵2「かすり傷すらついていないぞ!」
魔術兵「見りゃわかる!」
男「君たち、魔法世界だからといって、それにばかり頼ってはいかん。与えられたものは裏切るかもしれない……そうだろう?」
魔術兵「撃て!」
男の言葉をさえぎるように光弾が発射されていく。
男「飼い犬が主人の手を噛むことだってあるだろう? 魔法だってそうだとは思わないのかね。
世界に与えられたものなのだから、裏切られることもあると」
光弾はほとんどが男に命中していたが、やはり傷は負っていない。それどころか、光弾を撃ちきったときには、男は魔術兵の目前まで歩み寄っていた。
男「裏切られたな。魔法に。そんな顔をしている」
魔術兵「……!」
カスミ「ま、魔法が効かないなんて……」
魔術兵はおどろきから声が出ない。魔法の効果が出ないなんて、失敗したときぐらいのものだ。
だが、もちろん彼らは兵士で日々訓練をかかさない。つまり失敗とは無縁の光弾を撃ったことに間違いはないのだ。
違和感。矛盾。
そういったことを理解しているわけではないのだが、彼らは言葉を見失ってしまう。
男は落ち着いて座りなおすとこう言った。
男「君も1杯どうだね」
カスミ「あ、あの……私、未成年なので……」
男「ふむ……。それじゃあ、どれ、近くまで送っていこう。道を案内してくれるかな」
男は立ち上がりカスミにそう言った。
2.ともだち
馬車から小太りの男がおりてくる。
彼はブリンデル26世。広大な畑を持ち、大豪邸に住む領主である。オーデラン王国の作物、その三分の一は彼の所有する土地で賄われている。
そんな彼が降り立ったこの場所は、カスミの逃げ込んだフレンダと呼ばれる町だ。
ブリンデル「どうしてまだ捕まらん!」
魔術兵「それが男が現れて……」
ブリンデル「男だと? お前も男だろ! 魔術兵が何人もいて男がなんだ」
魔術兵「は! 申し訳ございません!」
ブリンデル「男を探せ。殺しても構わん」
魔術兵「……せん」
ブリンデル「はぁ? なんだって?」
魔術兵「あの男は、殺せません……! 魔法が通じないようで……」
ブリンデル「手練れなのか」
魔術兵「わかりません……」
ブリンデル「じゃあなぜ殺せん! いいからとっとと彼女を連れ戻せ!」
魔術兵「は!」
町の外れ。その山道にて。
筋骨隆々とした男とカスミが歩いている。
カスミ「あの、ありがとうございます」
男「いや、構わんよ」
カスミ「……」
男「……」
カスミ「……あの、お名前をお伺いしても……」
男「名前か。特にこれといってないのだが、周りからはこう呼ばれている」
カスミ「はい」
男「筋肉おばけ、と」
カスミ「ええと、それはどういう……」
筋肉おばけ「私にもよくわからないが。おそらくほめ言葉かな?」
カスミ「いや違うと思います」
筋肉おばけ「どうだろうか?」
カスミ「たぶん馬鹿にされてます」
筋肉おばけ「みんなは縮めて筋肉男(きんにくお)と呼ぶんだ」
カスミ「やっぱり馬鹿にされていると思うんですけど……」
筋肉男「それで君の名前はなんというのかな」
カスミ「あ、私はカスミです」
筋肉男「縮めて、カス、か」
カスミ「それは悪意ありませんか」
筋肉男「悪意? そんなものはない。なにか気に障ったかね」
カスミ「いえ……別に……。気には障ってないですけど」
筋肉男「それでどこに向かうつもりなんだ、カス」
カスミ「……とにかくオーデラン王国を出ようと思うのですが、
国境をどうやって越えるかを考えているところです」
筋肉男「国を出たいのか。このまま進めばすぐにでも国境だ、カス」
カスミ「……」
筋肉男「カス?」
カスミ「あのやっぱりカスって呼ぶのやめてもらえますか」
筋肉男「おや気に障ったかな。気をつけよう」
一方、オーデラン王国の中心。
城下町を見下ろすよう構えるオーデラン城。
城内、オーデラン王国魔術団集会所にて。
魔術団の女団長オーデラン・リタリは優雅にも赤く透き通った紅茶を片手に、わずかな余暇で身体を休めていた。しかし、そんなときでも集会所にいるというのは、彼女の抱える仕事量がうかがえる。
彼女は湯気の立つ紅茶を口にしながら、目前に見える多くの書簡を確認していた。
そこへ、1人の魔術兵が一報を持って集会所へと立ち入る。
魔術兵「失礼します。お休みにならなくてよいのですか?」
リタリ「君だって働いているだろう? ご苦労さま。それで何用だ」
魔術兵「ブリンデル殿に仕える魔術兵から一報を預かっております」
リタリ「またブリンデル殿か……今度はなんだ」
魔術兵「は。西の町フレンダにて奴隷が逃げ込んだため、手を貸してほしいとのことです」
リタリ「まったく手を焼く……」
魔術兵「これでも国の三分の一の作物を賄っておられますからね」
リタリ「……そうだ。手を貸さないわけにはいかんだろう。
フレンダならばそう時間もかかるまい。今動ける団員を4名ほど派遣させておいてくれ」
魔術兵「は。……あ、あと一つ忘れておりました」
リタリ「……? なんだ?」
魔術兵「ブリンデル殿に仕える魔術兵たちが返り討ちにあったとか」
リタリ「奴隷にか?」
魔術兵「まさか。奴隷に魔法は使えません」
リタリ「ならば協力者がいるということか」
魔術兵「ええ。そのようです」
リタリ「どんな魔法を?」
魔術兵「いえ、使った魔法についてはなにも聞いておりません」
リタリ「ふん、それで手を焼いているようだな。やはり4名で十分だ。
我々はただの魔術兵団ではない。オーデラン王国魔術団の力を見せてやれ」
魔術兵「は!」
場所は戻って山道。
カスミ「どうしてここまでしてくれるんですか?」
筋肉男「どうしてだろうね」
カスミ「ここまでしてもらって、いまさらなんですけど……。実は私、ブリンデルの元から逃げてきたんです」
筋肉男「ブリンデル……?」
カスミ「はい……あのブリンデルです」
筋肉男「まったくわからん」
カスミ「知らないんですか!? この国の人じゃなくても知っていますよ!」
筋肉男「そうか」
カスミ「要はとてつもない権力者です」
筋肉男「そうか」
カスミ「そう、です……自身の魔術団を有しているんですよ!」
筋肉男「うむ」
カスミ「それに王国魔術団に協力を働き掛けることだってできるはずです」
筋肉男「うむ。それはすごい」
カスミ「す、すごいです……。王国魔術団ってわかりますか?」
筋肉男「もちろん知っているとも。オーデラン王国の魔術団は優秀だそうだね」
カスミ(それじゃあ、なんでこの人は動じないんだ……? 本当にわかってるんだろうか……?)
カスミの疑問は深まるばかり。そもそもこの人は何者なんだろうか。と。
この何者にも動じない、湧き出る自信はなんだろう。考えても理解できないので、カスミは諦めた。
カスミ「私が言いたいのは、私に関わってしまったことであなたに迷惑をかけてしまうということです」
筋肉男「なにも迷惑だとは思っていないよ」
カスミ「今は! 今はそうかもしれませんけど。
これからあなたもブリンデルやオーデラン王国に追われる身に……なっちゃったかもしれないんですよ……?」
筋肉男「別に構わんが……迷惑というのはそのことかな?」
カスミ「そうです。だから本当にいまさらで申し訳ないんですけど、これ以上、私に関わらずに国を出たほうがいいと思います!」
筋肉男「わからないな。どうしてだ?」
カスミ「私に関わっていいことなんて絶対にありません。呪われているんです」
筋肉男「君は呪われてなんかいない」
カスミ「え?」
筋肉男「私は君に関わっていいことがあったよ。
君と出会えなければこんなに空気の澄んだ山道を歩くことはなかっただろう。それが呪われているということなのかい?」
カスミ「たしかにここはきれいですけど」
筋肉男「それじゃあ君は呪われていないのではないかね?
いいかい。生まれがどうであっても、人が生きることは自由であるべきだ。君がどうしたいかで、生きていいはずだろう?」
カスミ「……」
筋肉男「君が呪われたと嘆く人生を望んでいるのなら、話は別だがね」
カスミ「……私は……本当は、友達がほしい、です……」
筋肉男「ならまずは1人目からだ」
筋肉男はその太い腕をカスミへと差し出す。
カスミ「とも、だち……」
筋肉男「これからは自分の思うがままに生きてみなさい。私は君の意思を尊重するよ」
暖かな日が差す山道で、カスミは奇妙な友人と握手を交わした。
3.少女の意思
「お前はこの世で最も優れた魔法使いだ」
「お前はこの世をけん引せねばならん」
カスミ「わたし、もっと花をみていたい」
「鍛錬を怠るな」
「優れた魔術を披露してみよ」
「この世界で花など愛でるだけの消耗品! 役に立たぬ」
「この魔法世界において、魔法だけが最も重要なのだ」
カスミ「いやだ……もう魔法なんてつかいたくない」
「カスミ!」
「カスミ!」
「運命から逃げるな!」
「カスミ!」
カスミ「いやだ、やめて……やめてよ!」
瞬間。辺りはすべて塵と化す。
その日、おさないカスミは家も家族も知り合いもすべて失った。
男「駄目だ駄目だ! 雇えない!」
カスミ「そこをどうにか……」
男「こんなこと言いたかないが……君は誰かの所有物……奴隷だろ?」
カスミ「え……?」
男「魔法を使えないのにどうしてこんなところにいるんだ? 厄介ごとはごめんだ。悪いね。ほかをあたるか、諦めてとっとと所有者のとこに帰りな」
無慈悲にドアは閉じられる。
すべてを失って一か月。それは自らの魔法を禁じて一か月とも呼べる。破壊の才能を持つ危険な魔力を二度と使わないとカスミは心に決めていた。
しかし、この魔法世界では優れた魔法使いであるかが社会的ステータスとなる。魔法を使わなければ、もはや世界に彼女の居場所などなかった。
杖を持ち歩くことで収容施設への連行や、誰かの所有物になることを避けてこられたが、まったく職を得ない一か月の時間経過は、現在置かれた状況をカスミの見た目に反映させていった。
魔術兵「どうする? 王国魔術団へ引き渡すか?」
魔術兵2「いや、ブリンデル様の好みじゃないか? こんなナリじゃ、ろくに魔法も使えないんだろう」
魔術兵「連れて帰るか」
魔術兵2「そうしようぜ。どうせお前も金貨のこっちゃいないだろ」
魔術兵「それでもお前よりは持ってる」
魔術兵2「どうだか。いま銀貨何枚だ」
魔術兵「……1枚」
魔術兵2「銅貨は?」
魔術兵「4枚だ」
魔術兵2「5枚だ! やっぱり持ってねえな。決まりだ。ブリンデル様へ引き渡そう」
魔術兵「背に腹は代えられんな。おい、そこのお前。立って歩けるか。おい」
魔術兵2「いくら手当てがつくだろうなぁ」
魔術兵「おい! 聞こえてないのか。クソ、面倒だな。おい、お前も手伝え」
魔術兵2「はいよ」
まともに食事をとらず、生きる方法を探すために駆けずりまわったカスミは体力の限界を迎え、どことも知らぬ場所で座り込んでいた。それが数時間だったのか、数日だったのかはわからないが、生きているか死んでいるかわからない、遠のいた意識の中で、かすかに兵士たちの声が聞こえていた。しかし、そのことを考えるにはカスミの意識は残っていなかった。
弱りはてたカスミを魔術兵は抱え連れてゆく。
気が付けば、目の前に食事が用意されていた。それを考えるよりも先に胃に入れてゆく。
次にカスミがはっきりと意識を取り戻した時には、服は白いものに変わっていて、いつの間にか髪も洗われて、丁寧にとかされていた。辺りを見回すと、魔術兵、そして自分と同じ白い装束に身を包んだ少女たちがならんでいる。
自分が置かれた状況を考えている間に奥の扉から丸く大きな男がやってきた。その豪華な装飾が施された着衣は現状を把握しきれないカスミでも、ここで一番偉い人間なのだと一目で理解できた。
ブリンデル「うーん。可愛くなったねぇフリージア」
カスミ「……? ふりー……」
ブリンデル「うるさい!」
第一声と打って変わり、カスミの言葉をさえぎりブリンデルは怒鳴りつける。
ブリンデル「お前はフリージアだ! 黙って私に尽くせ! いいな!」
カスミ「……はい」
ブリンデル「可愛いねぇ。おい」
魔術兵「は」
ブリンデル「彼女はジニアに面倒を見させる。ここへ呼べ」
魔術兵「少々お待ちください」
少し時間を置いて、透き通った金色の髪をした少女がやって来る。
ブリンデル「おお、ジニア」
ジニア「……」
ブリンデル「この子の面倒を君に頼むよ」
ジニア「はい」
ブリンデル「フリージア、色々教えてもらいなさい。よし、馬車の準備は?」
魔術兵「できております」
ブリンデル「私は仕事に出るからね。仲良くやりなさい」
ブリンデルはそのままその場を去り、ここからカスミの新たな人生が始まった。
ここに住まう少女たちは無口で淡々と仕事をこなす。掃除、料理、そして裁縫など多岐にわたり、全員がそれを黙々とこなしている。カスミはジニアと呼ばれる少女にこの屋敷内での仕事を教えられた。
ジニア「水の分量は多めに」
カスミ「はい。……あの」
ジニア「……?」
カスミ「どうしてここで奉仕を?」
ジニア「……ここでは疑問を出しちゃ駄目」
押し殺した声でジニアは言う。周りに魔術兵が数名徘徊しているからだ。
ジニア「余計なことをしゃべらない。疑問を感じない。それがここのルール」
カスミ「ここって、ここは一体なんなのですか?」
ジニアは辺りを見回し、細心の注意を払いながら、カスミの耳元に顔を近づける。そして、ルールに反したその疑問に答えてくれた。
ジニア「ここは花園。ブリンデル様の屋敷よ」
ブリンデルという名はカスミでも聞いたことがあった。オーデラン王国にいる大金持ちというように聞いていた。
つまりはここへは彼の所有物として連れてこられたということを理解する。そしてジニアと呼ばれる彼女も、ここにいる少女たちも、全員自分と同じだということを。
ここにいる少女たちにはみんな花の名前が付けられ、ブリンデルの所有物として従事させられている。ゆえに花園。
当然、魔法が使えない少女にとって魔術兵がいるこの屋敷から出ることはとても困難で、なにより社会的地位のない少女が権力者であるブリンデルへ反抗などすれば、ここから逃げられたとしても状況が悪化することは明らかだ。だから生きていることも忘れ、淡々と作業をこなすよりほかはない。
ジニア「これ以上は答えられない。フリージア」
カスミ「……はい」
現在。
カスミと筋肉男は山道をいまだ歩き続けている。
筋肉男「うむ」
カスミ「……? どうかしたんですか?」
筋肉男「人のにおいが多すぎる」
カスミ「きっと追手です! 逃げましょう!」
筋肉男「わからないな。どうして逃げ……」
カスミ「わかってください! 逃げましょう!」
筋肉男「もう少し早く言うべきだったな。逃げるにはもう時間がない」
カスミ「え? それって……」
奥の草木が揺れた音がする。それに気づいてカスミは集中して辺りに耳をすませると、地を踏む音がかすかに聞こえた。
それからそう時間もたたぬうちに、2人は魔術兵たちに囲まれてしまう。
その中にはブリンデル直下の魔術兵のほかに、赤を基調とした隊服に身を包んだ魔術兵も数人うかがえる。彼らはオーデラン王国直属の魔術団である。赤をシンボルとしているため、赤魔術兵とも呼ばれ、その優秀さから他国からも一目置かれている存在だ。
魔術兵「フリージア、観念しろ」
赤魔術兵「これはオーデラン王国の意思でもある。素直に従いなさい」
カスミ「彼はどうなりますか……?」
赤魔術兵「彼のことについては我々の知るところではない」
魔術兵「……お前が大人しく戻るならば、その男には一切関与しない!」
筋肉男「……」
カスミ「筋肉男さん、私の意志を尊重するって言っていましたよね……?」
筋肉男「ああ」
カスミ「それじゃあ、これでさよならです」
魔術兵「構え!」
魔術兵たちは一斉に杖を構える。
カスミ「私、戻ります! だから杖を下げてください」
魔術兵「そのままこちらへ来い!」
筋肉男「カスミくん」
カスミ「友達を守らせてください」
カスミは無抵抗の意思を見せながら、魔術兵の元へ歩み寄る。
魔術兵「手間をかけさせやがって!」
カスミ「すみません」
魔術兵「おい! お前も大人しく投降しろ! 念のため連行する!」
カスミ「待ってください!」
魔術兵「黙れ!」
筋肉男「カスミくん……私は、君の意思を尊重するよ」
そう言うと、筋肉男は両手を上げその場に膝をつく。
すぐに魔術兵たちの魔法により厳重に捕縛され、カスミの願いもむなしく2人はブリンデルの元へと連行された。
4.花園のジニア
ブリンデルの屋敷。その前には多くの花が咲いている。
切り出された石の囲いの中で管理されており、それもとうぜん、屋敷に住まうもう一つの花たち、つまり少女たちがその世話を任されている。
カスミが花園へ来てからしばらくたったが、いまだにジニアと行動を共にしていた。太陽の光が花を照らす昼下がり、2人はいつもと同じように花壇の手入れをしていた。
カスミ「ジニアさんは外に思い残すことはないんですか?」
ジニア「そういうこと口にすると罰を受けるわよ」
カスミ「あ、すみません……」
ジニアはカスミを一度もみることなく、花へ水を与えていた。
すると静かな声でジニアは言葉を発した。
ジニア「私はないよ。外にはなにもない」
カスミ「どうしてですか?」
ジニア「魔法が使えないせいで親に見放されたんだもの。親に認められないのに、世界に求めるものはなにもないでしょう?」
カスミ「それはわかりませんよ。親に認められなくても、誰がか認めてくれるかもしれません」
ジニア「親以上の存在はないわ。誰かの子供として生まれた以上はね」
カスミ「だからあれですよ……その……愛をくれるのは親だけじゃないってことです!」
ジニア「恋人とか?」
カスミ「とかです。ほかにも、もっともっと色々な人たちがいるはずです!」
ジニア「楽観的ね」
カスミ「……私はそんな誰かを探したいのかもしれないですね」
ジニア「かも?」
カスミ「実は自分のやりたいことがはっきりとわからないんですよ……あはは」
ジニア「少しわかるわ。この世界じゃ魔法以外にやることないもの」
カスミ「ですね……」
ジニア「……そろそろ屋敷に戻りましょう」
カスミ「お茶の用意ですね」
ジニア「ようやく覚えたのかしら」
カスミ「お茶の配合だって覚えました!」
ジニア「それじゃあ今日はお願いしようかしら」
いつかの昼下がり。2人はそんな会話をして、屋敷へ戻った。
ジニアとカスミ。教育係と新人。花園という最大限に個性を押し込められたこの環境で、2人は共にいる時間とかわす言葉が多く、カスミの性格も相まって、お互いの距離はこの数日で大きく縮まっていた。
夜。
屋敷に住まう少女たちは居住用の部屋が与えられている。当番でない者はこの部屋で夜明けが来るのを待つ。その時間、ほとんどは眠り身体を休める。中にはわずかな生きがいを見つけて、それに時間をあてる者もいる。
この大きな部屋にはベッドが並ぶだけで、あとは窓がいくつかあるのみである。2階に位置するこの部屋の窓から外へ出ること自体は難しくはない。ただ、その先に見える門前には魔術兵がいるために、結局のところ敷地内から出ることは叶わない。
ここへ来た少女たちの中には、この窓から外の世界に戻ることを夢見る者も少なくはない。しかし、日ごとにたった一つしかないあの門を通ることの難しさを理解し、絶望していく。やがて自分は外に出たとしても居場所がなかったことを思い出して、無駄な労力を使わないよう主人に従順な花となる。
その晩、ジニアは窓際で月明かりに照らされて、どこか遠くの空を眺めていた。心地よい夜風が彼女の髪をなびかせている。
カスミ「ジニアさん、休まないんですか?」
ジニア「考え事をしていたの」
カスミ「考え事、ですか」
ジニア「あなたがお昼に言ったこと。外の世界への思い残しについてよ」
カスミ「なにかありましたか?」
ジニア「……だめね。漠然とした希望も思いつかない。なにも思いつかないわ」
カスミ「それじゃあ私と探しませんか? はっきりとした希望を」
ジニア「それも面白いかもしれない」
カスミ「はい! だからここを出ましょう」
ジニア「野に咲く花は美しいってよく言うじゃない」
カスミ「?」
ジニア「どうして美しいかわかる?」
カスミ「わからないです……」
ジニア「生きているからよ。誰かが植えたわけでもなく、愛でられるために咲いたわけでもない。花として生きているの。花壇に咲く花と違って。
花壇に咲いた花というものは、そこから動けないのよ。咲いたがそこまで。愛でられるためにその場所で咲き続けるしかない」
カスミ「私たちは花じゃありません。人間です。だからどこにだって行けるはずです!」
ジニア「……少なくとも私は、もう人であることを忘れたわ」
ジニアの視線は夜空からカスミへ向けられる。
ジニア「あなたは忘れないでいてね」
カスミ「……はい」
ジニア「約束よ」
そう言って、かすかに笑みを浮かべたジニアの表情は作り笑いのようで、カスミは彼女から悲しみのようなものを感じた。それは彼女が人間だったという名残だったのかもしれない。はっきりとしたことはわからないが、カスミは初めて彼女の気持ちに触れた気がした。
現在。ブリンデルの屋敷。
その近くに建てられている牢獄。カスミと筋肉男は隣合わせ、別々の檻へと収容される。
魔術兵「貴様らの今後はブリンデル様の決定待ちだ。それまで自分の行いを悔いるといい」
魔術兵たちはその場を去っていく。赤魔術兵もここへの移送を確認してからオーデラン城へ戻っていった。
2人が収容された半地下の牢獄は、わずかに地上へ飛び出た部分から、外の光が差し込むだけで、入り口の鉄製のとびらをのぞけば、あとはすべて強固な石細工で作られ囲まれている。
暗く、じめっとした空気の中でカスミの声が響く。
カスミ「こんなことになってすみません……」
筋肉男「私は構わんよ」
カスミ「私が戻れば筋肉男さんだけは助かると思って……」
筋肉男「どこにでも卑怯な連中はいるものだ。君が気に病むことはない。……君はずっとここにいたのか?」
カスミ「はい。あ、でもこの牢屋じゃないですよ。屋敷内に」
筋肉男「それで……君はここへ戻ってきてよかったのかい?」
カスミ「……はい」
筋肉男「……それは嘘だね。理由は知らないが、君がやりたいことではないんじゃないか? しかし……それでもだね、君がこの選択に悔いがないと思うのであれば私はなにも言うことはあるまい」
カスミ「すごいです……なんだかすべてを知られているみたいです。私はこの屋敷を出ればたくさん素敵なことが待っていると思っていました。なにか希望のようなものがあると。
でもそれは違いました。自分でもわかっていたはずなのに、偉そうなことばかり言って周りを犠牲にしたんです。それで外に出たにも関わらず、私は……」
過去。大陸全土を揺るがす地震が起きた日。
大きな被害が出なかったとはいえ、その原因不明の地震に人類は困惑せざるを得なかった。ブリンデルの屋敷も例外ではなく、屋敷全体が大きく揺れた。
ちょうどそのとき、ブリンデルは夕食を優雅に楽しんでいた。そこに揺れがおきて魔術兵たちはとっさにブリンデルを包むように集まり固まる。
カスミの頭に今ならここを出られるのではないか、という考えがよぎったが、ここぞというときに勇気が出ない。結局、動き出せずにいた。
そのとき。カスミの手を誰かが引っ張った。
ジニア「はやく!」
ここを出られる最初で最後のチャンスとも思えたこの地震で、カスミよりも先にジニアが動いた。
部屋を抜けて、長い廊下をジニアは駆ける。手を引かれるがままに走るカスミはその状況に動揺していた。息をするのも忘れて、荒くなっていく呼吸のなか2人は走る。とうぜん、計画なんてものはない。逃げるにはこの時しかない。ただそれだけの思いで動くのみ。頭の中は真っ白だ。
つまずきそうになりながら階段を降りると、ついに魔術兵たちと鉢合わせる。
魔術兵「おい!」
ジニアは掴んでいた手を離すと、走る勢いをそのままに兵たちへ体当たりをする。動揺で足が止まりかけるカスミに言葉を投げつけた。
ジニア「行って!」
考えるよりも先に、言葉に身体が従う。カスミは走った。
背中で声が聞こえた気がした。兵の声かジニアの声かわからない。カスミは走りながらようやく思考がぐるぐるとまわり始める。
また会いたいと希望を唱える。それを冷静な自分が否定する。とにかく頭の中ではそれが繰り返されるだけで先のことなどは思いつかない。
門前に立つ2人の魔術兵にぶつかり、ひっぱり、死に物狂いでカスミは脱出に成功する。地震による混乱と夜ということが相まって、木々に紛れて兵たちは彼女がうまく追えない。
草木に潜んで、木に寄りかかり、神経をすり減らしながら少しずつ移動を重ねた。そして脱走から初めての朝を迎えると、ふとこれまでのことを思い出し、カスミは涙をこぼす。
ジニアはきっと無事では済まないはずだ。それは自分が一番理解している。だからこそ涙が止まらない。自分にはそれだけの価値があるのか。誰かを犠牲にしてまで。
それから数日、カスミは魔術兵から逃げる日々を送る。気の休まらない毎日。後悔と恐怖が何度も足を震わせた。それでも走って逃げたのはジニアへの贖罪だったのかもしれない。
気付けば彼女はジニアと同じように、身を挺して筋肉男を助けようとしていた。
そして現在。カスミは牢獄にて語り始める。
カスミ「私はここにいた友人を犠牲にして外へ出たんです。……あ、でも友人と呼べるかはわかりませんね……私たちを言い表すなら友人、が一番近い表現だと思います。とても不思議な間柄でしたから……」
筋肉男「そもそもここが奇妙な場所だからね」
カスミ「そうですね。……多く言葉を交わしたわけでも、友情があったのか考えたこともありません。ただ、最後に私の手を引いてくれたのは彼女の意思です」
筋肉男「カスミくん、君を助けてくれたんだろう? 私にも少し似た経験があってね。今でも彼に恥じぬように日々精進しているよ」
カスミ「そのご友人の方も身体を鍛えていたんですか?」
筋肉男「違うが……?」
カスミ「……なるほど。(なんで身体を鍛えてるんだろう?)」
筋肉男「ともかく、君の意思は尊重すると言ったことに変わりはない。私は大人しく屋敷を一通り見て寝るよ」
カスミ「(屋敷を見て……?) ……はい。私も休みます」
地上の方から声が聞こえてくる。カスミの聞き覚えがあるあの男の声だ。足音は近づいていき、そして半地下の牢獄内へとやってくる。
ブリンデル「おお、おおう……おうおう……フリージア。やっと戻ってきたんだねぇ」
カスミ「……」
ブリンデル「そしてお前がフリージアを連れまわした男か! きたねえナリしたお前に花は似合わん! 一生この牢獄にいてもらうからな。後悔しろ!」
筋肉男「お前がブリンデル、という奴か」
ブリンデル「礼儀すら知らんのだな。ええ? おい!」
ブリンデルは声を荒げて、壁を蹴りつける。
ブリンデル「残りの一生をここで過ごしてもらおうと思ったが、お前にはしつけが必要らしいな。痛みのある、きついしつけがな」
カスミ「そんな! 待ってください!」
ブリンデル「黙れ!」
筋肉男「ひとついいかね」
ブリンデル「なんだ? 今さら怖気づいたのか?」
筋肉男「ここを出て次にお前と会ったら、思い切りビンタする」
ブリンデル「なんだと? もう一度言ってみろ」
筋肉男「いや二度言う必要もあるまい。伝えはした」
ブリンデル「言われたことがわからんらしいな。
お前は! ここから! 出られない! 一生だ! はへっ……へへへ、ハハハハハハ!」
ひとしきり笑い終えると、カスミの牢屋へ顔を向ける。
ブリンデル「フリージア。残念だが君にも少し罰を与えなくてはいかん。しばらくはそこにいてもらうからね。反省できない雑草ならば君も抜かねばならない」
カスミ「ジニアさんは? ジニアさんに会わせてください!」
ブリンデル「ジニア? あれは雑草だろう? 我が屋敷にそのような花は咲いとらん」
カスミ「ジニアさんをどうしたんですか!」
ブリンデル「燃やした。雑草だからそうした。フリージア、君は違うよな?」
その問いにカスミが応じることはなかった。彼女を畏怖させるブリンデルの鋭い視線はしばらくカスミの眼から離れない。
少しの沈黙があって、身体をひるがえしブリンデルはその場を立ち去る。
ゆっくりと石と布がすれる音が、カスミが無気力に座り込んだ音だとわかる。
カスミ「この魔法世界にさえ生まれなければ……」
その言葉は独り言のようで、悲痛な訴えでもあった。しかし筋肉男は口を開かない。またしばらくの沈黙があったあとに、カスミは独り言をつぶやいた。今度は筋肉男にも聞こえない。
「……ジニアさん…………」
5.はじめに
わずかに差し込む太陽の光でカスミは目を覚ました。牢に入ってから約1日が経過したのだ。
カスミ「……あれ?」
カスミが眠っていた枕元に見慣れた服と、その横には大きな杖が立てかけられている。自分がここに来た時、回収されていたものだ。
誰が一体こんなことを? そう思っていると隣の牢屋から声がした。
筋肉男「おはよう。気持ちのよい朝だ」
カスミ「あの、もしかしてなんですけど、これ筋肉男さんが置きました?」
筋肉男「昨日の散歩中に見つけてね。匂いで君のものだとわかったので持ってきた」
カスミ「(私ってどんな匂いだろう……くさいとかじゃないよね)」
手首を鼻に近づけて確かめるが、わからない。少なくともくさくはないことを確認してから、カスミは感謝の言葉を告げた。
筋肉男「それで次はどうする?」
カスミ「私、ここを出ようと思います」
筋肉男「うむ。自分を信じることは未来を確かなものにする。事態がどうであれね」
カスミ「どういう意味ですか?」
筋肉男「好機が会いにきてくれるのだよ」
カスミ「はぁ……なるほど……」
コン、コンコン……。カスミがいる牢の扉から音がする。最初はなにかと思ったが、誰かが叩いているのだとすぐにわかった。
オディ「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
カスミ「オディさん……! どうしてここへ? いやいや! どうやってここに?」
オディ「陽炎を知っとるか? まぁ大したことじゃない。わしの魔法で見えにくくしたんじゃ」
カスミ「ここは危険です! はやく……」
オディ「言ったろう。わしは君の力になりたいと。ここから出してやる」
そう言うと、オディは手に鍵をかかげて見せた。
オディ「あんたも出してやるからな」
筋肉男「いや私は大丈夫だ。それに、私がいては目立ちすぎるだろう。気持ちだけいただいておこう」
オディ「そ、そうか。……さ、鍵を開けるぞ」
カスミ「あ! ま、待ってください!」
オディ「なんだ?」
カスミ「き、着替えさせてください……」
カスミは着替えを終えて、鍵の開いた扉から足を踏み出す。
オディ「さぁ、早く行こう」
カスミ「ありがとうございます。……筋肉男さん、必ず助けに戻りますから」
筋肉男「私はいい。まずは君たちが逃げ切ることが重要だ。無事を祈っているよ」
カスミ「ありがとうございました。私も、会えてよかったです」
筋肉男「また会おう」
カスミ「はい。約束です」
オディがカスミの肩に触れると、2人のまわりに空気の揺らめきが見え始める。オディの言っていた陽炎という魔法で、強い光の屈折により2人の姿を認知しにくくなる。
そしてそのまま半地下の牢獄をあとにした。
ブリンデルが住む敷地内には花の名をつけられた少女と魔術兵が存在する。少女たちに警備や報告の義務はないので、その数とほぼ同等の兵が駐在している。
しかし、主には主要部でしか活動を行っておらず、半地下の牢獄の入り口を超えれば、あとは門前にいる兵まで誰もいない。なので発見される可能性は低い。ほとんどが屋敷内にいるためこのような業務形態になっているのだ。
陽炎の発動状態に、息をひそめ気配を極力消したことで、意識しなければほとんど気づかれない状態だ。見つけるのは困難だろう。
カスミとオディは牢獄入り口にいる兵士たちの横を通り抜ける。カスミは汗が止まらなかったが、集中し、気を配り、落ち着いて行動することを心掛けた。その成果もあってか、無事に通り抜けることに成功する。
少し離れた倉庫の外壁にもたれかかってから、オディは陽炎を解いた。
オディ「ふぅ……あとは門の兵士だけだ」
カスミ「大丈夫ですか?」
オディ「なぁに、まだまだ」
倉庫の外壁をなぞりながら進む。
角までやって来ると、オディは門の方向をのぞき込んだ。
オディ「そんな……」
カスミ「オディさん?」
さっきまでのやる気が一気に抜けた様子のオディ。カスミは同じく角から門をのぞき込んだ。
そこに見えたのは、総動員された魔術兵が横一列に待ち構えている様子だった。その兵たちの中央、後方にはブリンデルの姿が見える。
オディ「罠だったのか……」
カスミ「……違います。私のせいです……。あの男は最初から私が逃げることを予期していたんです」
オディ「まんまとこうなってしまったわけか……」
カスミ「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 私のせいで……」
オディ「……いや、お嬢ちゃんは悪くない。わしがもうちっと頭を使うべきだったんだ。わしが出るから、好機をうかがって逃げおおせてくれよ」
カスミ「で、でも……!」
「自分を信じることは未来を確かなものにする。事態がどうであれね」
「どういう意味ですか?」
「好機が会いにきてくれるのだよ」
ついに倉庫の角から離れ、オディははなるべく抵抗の意思を見せず、魔術兵の前へ姿を見せた。
カスミ「……こんなの好機じゃないです……。……私は……次の好機を呼び込んでみせますっ!」
オディが歩みを進めるなか、カスミも後を追って飛び出した。
一方、半地下の牢獄。
筋肉男「おーい。おーい。聞こえているだろう」
魔術兵「チ、なんだ」
筋肉男「外はいつもと変わらず静かかな?」
魔術兵「いつも通りだよ。もう行くぞ」
筋肉男「ふむ、隣の牢屋はもぬけの殻だがね」
魔術兵「んん? たしかにそうだな。だがお前には関係のないことだ。それとも1人じゃさみしいってか?」
筋肉男「なるほど。どうやら罠だったようだな。……君、そろそろここを出てもいいかね?」
魔術兵「はぁん? 駄目に決まってんでしょうよ。おら、大人しく寝てな」
筋肉男「すまないが急ぎでね。元通りにはしておくから、失礼させてもらう」
筋肉男はそう言うと鉄の扉と反対にある石造りの壁を、まるでなにもないかのように進み始める。
扉の外にいる兵士には、大きな音が奥から聞こえるだけで状況を把握できない。
魔術兵「お、おい! お前! なにやってる! おい!」
あわてて鍵を取り出し、その鉄製の重たい扉を押し開ける。しかし、すでに中には誰もおらず、辺りに土が散乱しているだけだ。あとは自分が知っている通りの状態で変化はない。
筋肉男は力のままに壁を突き破り、そして散った石を丁寧にも壁として置きなおし、そして脱獄したのだ! (前日の夜も同じ手口である)
こんなこと、魔術兵には何が起こったか知る由もない。ここは魔法世界。魔法が使えない人間がここを出るなど想像もつかないのだ。
一方、戻って中庭。門前の近く。オディとカスミは魔術兵と対面していた。
オディ「お嬢ちゃん、どうして」
ブリンデル「フリージア! 自分から焼かれに来たのか!」
カスミ「ここを突破します。あなたと2人で」
オディ「これは好機じゃない」
カスミ「オディさんを犠牲にした好機ならいりません。私は、約束を果たしたい」
ブリンデル「なにを言っている? こっちにも聞こえる声で話しなさい!」
カスミ「私は約束を果たしに来ました!」
ブリンデル「死にに来た、と聞こえるが? んん? 一体、誰との約束だ」
カスミ「教えてあげます……。私が交わした約束は、この大事な約束は、あなたが無慈悲にも殺した『人間』との約束です! 私はやります。噛みついてでもここを突破します!」
ブリンデル「ばっ! わははは! 死ぬだけだぞ!」
カスミ「そんなの関係ありません。私は人間として最後まで生き抜くだけです」
ブリンデル「つまらん意地だぁ。構え!」
魔術兵たちは杖をこちらへ向ける。カスミはとっさにオディをかばうよう前に出る。
オディ「わしと一緒に死んでくれるというのか……」
カスミ「最後まであきらめません! たとえ好機が訪れなくても……ここで散ろうとも! それが私という人間の生き方です!」
ブリンデル「最後まで不快だ。撃て」
魔力が杖の先に集まっていく。兵たちは1人も外すつもりはない。すべての杖先から当てようという意思が感じられる。
カスミに策はなかった。しかし後悔する道を選びたくはなかった。人間として生きる。そのことについてたくさん考えた。答えはでないが。
それでもオディを見捨てる生き方は目の前にいる畜生と同じだと思った。
筋肉男が言ったように、自分を信じることで未来を確かにするのだとしたら。その未来には死が待っていたとしても、自分で答えを決めたかった。
人間らしさは行動に宿るものかもしれない。そのことにカスミはまだ気づいていないが、体はすでに動いていた。あのときのジニアがそうだったように。
筋肉男「どうやら好機が会いに来たようだ」
カスミ「え?」
次の瞬間、一斉射撃が襲い掛かる。巻き起こる爆風で目がうまく開かないカスミ。しかし赤い光弾が目の前ではじけていくのが見えた。視線を上げる。たくましい大きな背中、そして見覚えのある赤髪。
そう、カスミの目の前には筋肉男が立っていた。
光弾はすべて彼に直撃。しかし、攻撃が止んで、一同は言葉を失った。
ブリンデル「なんだあいつは……!」
オディ「傷がついていない……」
筋肉男「久しぶり、ではないな。思いのほかはやく再会の約束が果たせてよかった」
カスミ「筋肉男さん……」
筋肉男「君はよくぞ噛みついた。自分を信じた。それが素晴らしい。
未来は確かなものに。君に好機がやってきたのだ。……状況を見るに、私がその好機のようだ」
魔術兵「や、奴です……魔法が効かない男……」
ブリンデル「なんだと!? ……そんなわけあるか! お前らの魔力を見せてみろ! 奴を消し炭にするんだッ! いいな! 構え! 撃て!」
筋肉男「バトンタッチだ。あとは任せたまえ」
カスミ「でも魔法が」
筋肉男「心配はいらない。この筋肉は、人の可能性だ」
先ほどより勢いの増した砲撃が筋肉男を襲う。
彼らはあくまで訓練された兵士だ。ゆえに、動揺から放たれた魔法でも狙いは正確で、そのほとんどが筋肉男に命中している。
しかし鍛え抜かれた肉体にそれらは通用しない。筋肉男は兵たちへ足を進める。スピードは速めず、かといって遅くなることもなく、距離を着実に縮めていく。
ブリンデル「こうなっては私も攻撃に参加する! くらえ!」
魔術兵「駄目です! 効きません!」
ついにはその心も折れて逃走を始める魔術兵たち。1人が逃げたら、また1人。次々と逃げ去る。気づけばブリンデル1人が攻撃を続けている状態。
ブリンデル「な、なぜだ……なぜ近づいてくる……知らんぞ、そんな戦い方を……! 魔法は撃ち合うものではないのか……!
なぜだ……! 来るな!
し、知らん! 知らん!! そんな戦い方は知らん!
どうすればいいのだ! どうすれば! こんなにも近づかれたらどうすれば!!!!」
ブリンデルの目の前に、傷ひとつない筋肉男が立ちはだかる。
ブリンデル「馬鹿な……こっ、ここは魔法世界だぞ!」
筋肉男「覚えているかい。ひとつ、言っておいたことがあったね」
ブリンデル「な、なんだ?」
筋肉男「これで会うのは2度目だ。思い切りビンタする」
ブリンデル「なにを……! へぶっっ!!!!」
振りかぶった太い右腕が勢いよくブリンデルの頬めがけて降ろされる。
破裂音というべきか、衝撃音というべきか、ともかくその大きな音が敷地全土に響き渡った。
それから少しの時間が経って。
筋肉男「あの男は牢獄へ入れた」
カスミ「ありがとうございます。オディさん、しばらくここに住む女の子たちの面倒を見てもらえませんか? まずは彼女たちには傷を癒してほしいんです」
オディ「ああ、わかったよ。それに解放したとて、ここより酷いところはまだまだあるからな」
オディに感謝を伝えると、彼は屋敷の中へと向かう。
カスミ「巻き込んですみません……! これに乗じて私たちもしばらくは姿をくらませたほうがいいと思います。オーデラン王国はもちろん、報告が広がれば王都からも追われる可能性だって……」
筋肉男「いや、私には目的があってね」
カスミ「? そうなんですか?」
筋肉男「ああ。……まずはじめに『王都グランマジック』に向かう」
カスミ「ええ!? 話聞いてましたか? 王都から追われるかもしれないんですよ? なのにどうして王都に……」
筋肉男「それは単純だよ。世界を変えに行くのだ。
そういうわけだ。私は行くよ。君は人間としてのいい部分を持っている。それを失わないでくれたまえ。それでは」
カスミ「あの! ……私も行っていいですか」
筋肉男「王都へ?」
カスミ「はい。筋肉男さんがいれば私は私で居られる気が、する……ので……」
少し照れながらカスミは言う。筋肉男は当たり前のようにこう言った。
筋肉男「私は君の意思を尊重する。そう言わなかったかな」
カスミ「……! ありがとうございます!」
筋肉男「それじゃあ早速向かってもよいかね」
カスミ「あ……ひとつだけいいですか」
筋肉男「?」
とてとて急ぎ足で花壇へ向かうと、えい! と花々を囲う花壇を蹴りつけた。そうしてしゃがみこむと次々に囲いを取り払っていく。
カスミ「花が種を落として、どこまでも咲いていけるようにしたいんです。どこへだって行ける、野に咲く花になれるように」
筋肉男「……どれ、私も手伝おう」
花を取り囲む大きな花壇を2人はその手で直接取り除いていく。
夕暮れになるころにようやくすべての花壇を取り払うことができた。カスミは満足そうに微笑む。
カスミ「すみません、思ったより時間がかかってしまって……」
筋肉男「いや、幸運にもトラブルは起きていない。ゆっくりでいいとも」
カスミ「ありがとうございます。行きましょうか」
筋肉男「うむ」
2人は花壇へ背を向けて、門前へ向かう。そのときだった。
「ありがとう」
そう聞こえた気がした。
それはジニアの声にも思えたし、そうじゃない気もした。カスミが後ろを振り返ると、とうぜんそこには誰もいない。そこには、ただ柵を取り除かれ、夕陽を浴びる花たちが優しく風に揺られているだけだ。
カスミは誰かが言ったその言葉に対して頭を下げると、筋肉男の後を追う。
花はまるで彼女を見送るように揺れていた。
【あとがき】
はじめまして。てらきたと申します。
この魔法世界において筋肉は最強、第一章いかがでしたか? 少しでも楽しんで頂けたら幸いでございます。
今回の物語で書きたかったのは人間らしい勇気ある行動についてです。
カスミの行動がなににどう作用したのかはともかく、戦う、生き抜く、そんな意思を見せたことが重要なのかなと思います(他人事)
今後、人間の持つ可能性(力)でこの魔法世界がどうなるのか。ぜひ続きもよんでください。お願いします(懇願)
些細な豆知識としては、ジニアやフリージアなどの花の名前は色や花言葉からなんとなくとってきています。
でも本当なんとなくです。もし少しだけお時間があれば調べて見てください。
この物語は現在、第五章まで続く予定です。
三章目以降は有料になってしまうのですが、もしよろしければ最後までカスミたちの冒険をご一緒していただけたらなと思っていますので、何卒よろしくお願いいたします。
そして次回、第二章は『6月7日(日)』のお昼ごろ公開予定です。
オーデラン王国魔術団や盗賊、そして結婚式など盛りだくさんな内容を予定しております。ご期待ください!
(第二章公開済みです!)
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