光武帝 劉秀が歴史上最強の皇帝説
世界史を見返していくと、様々な偉人たちが数々の偉業を打ち立てていく様を見ることができます。
大事を成し遂げた偉人たちは、人並み外れて優秀な人物だったと言えましょう。
では、その中でも飛び抜けて凄い人は誰かと言われれば、私は光武帝劉秀ではないかと考えています。
宮城谷昌光先生の「草原の風」より光武帝劉秀の逸話を目にすると、どこまで本当の話なのか?と疑ってしまうくらい、劉秀は神がかっております。
そこで今回は漢という国を復興と同時に絶頂に導いた劉秀について語っていきたいと思います。
劉秀は漢を打ち立てた劉邦の子孫ではありますが、その血胤は遠く離れており、田畑を耕しながら生計を立てる質素な暮らしをしていたようです。
また王莽によって政権が簒奪されたこともあって劉氏は不遇だったかもしれませんね。
そんな劉秀ですが、洛陽で留学を経て、様々なことを学んでいきます。
特に文字を読めるようになり、兵法、歴史等に深く精通したことが大きな経験だったかもしれません。
王莽の悪政に耐えかねて各地の賊が放棄する中、ついに劉秀は兄の劉縯と立ち上がります。
そして、この兄弟は戦が本当に強かったのです。
劉縯は少ない兵で各地で連戦連勝を重ね、劉秀に至っては昆陽で3000程度の兵で100万(実質は40万強)の兵を破る快挙を成し遂げるのです。
これは2人が兵法に通じており、かつその場に応じた応用力があったのだと思います。
しかし、最大の敵は愚かな味方でした。
反乱の旗印として即位した更始帝 劉玄とその配下らにより兄劉縯が誅殺されてしまうのでした。それは今後のこの兄弟の台頭を恐れての凶行でしたが、理不尽この上ないですね。
ここで、劉秀は怒っても良いのですが、直接更始帝に謝罪し、兄の喪に服さない態度をとったことでことなきを得ます。
その後劉秀は河北の平定に乗り出し、各地で連戦連勝。
戦国ファンタジーだと、ここで劉秀とその仲間達が悪の皇帝王莽を倒して、中華に平和がもたらされた・・・となるエンドがあるかもしれません。
しかし、これは史実。
そんなに単純で簡単にことが収まらないほど中華は複雑なのです。
結論としては倒すべき宿敵、王莽も赤眉軍にあっけなく倒されてしまいます。
たった15年の天下、理想主義者 王莽はここで退場します。
そしてここから劉秀の中華統一はセカンドシーズンを迎えるのでした。
ということで、今回はここまで。
記事を書いていて思ったのですが、劉秀をモデルに1つのファンタジーが作れるかもしれませんね。
そう思わせるほど宮城谷先生の描写は読者を中華に引き込んでいくのだと思います。
次回は劉秀その後の戦いを記載していきます。
それでは、また。