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多羽(オオバ)くんへの手紙 ─23
(2,164字)
「水澄、あんたちゃんと勉強してるんやろね。体育祭やら何やらで浮ついて大丈夫なん?」
「やってるて。」
やらなくても出来る。
そうは言わなかったが本当だ。
勉強のできない賀子には何も言わないのに、成績の良い私には小言ばかりだ。
浮ついて、なんてイヤな言い方をするものだ。
私の何が気に入らないのか。
この頃は青春病も手伝ってか、母とは心底合わないな、と感じていた。
朝っぱらから母の小言で遅刻しそうになる。
小走りで登校していると、遅刻常習犯の戸澤が前を歩いていた。
「戸澤おはよう。」
「おー、お前今日遅いやん。うんこすんのに時間かかったんか。」
ふりむいた戸澤の顔には絆創膏が貼ってあり青痣もあった。
「どないしたん?その顔。」
「小石と、ちょっと。」
小石くんは1学年下の不良だ。
休憩時間には、私が以前さぁこに連れて行かれた階段裏のスペースでよく自分の彼女といちゃついていて、それが気に食わないと思う者もいたようだ。
ただ、空手か拳法か何かをやっていて、恐ろしく強いという小石くんに喧嘩をふっかける者などいなかった。戸澤なんて軽く捻られたに違いない。
「なんで小石くんなんかと。アホやなぁ。」
「うるさいわい。次は絶対やり返したる。」
どうせ下らない理由のいざこざだろうが上級生としてのプライドは戸澤にもあったのだろう。
✳✳✳
昼休みは久々にお鈴の吉野の話で盛り上がった。相変わらず報われない恋なのだが、本人があまりにも楽しそうに夢中になって話すので、私も、誰もお鈴に本当のことを言えずにいた。
昼休みもそろそろ終わろうかという頃、明里とさぁこがやって来た。
「さぁこと明里って仲良かったっけ?」
お鈴がヒソヒソと言うのに対して、私も「分からない」という風に首を傾げた。
「ミスミ、今度さ野球部の試合見に行こや。負けたら3年は引退やねんて。さぁこも行くし。」
さすが野球部に顔が利く明里は情報が早い。
加地と弘ちゃんか。
さぁこと明里が仲良くなったことにやっと合点がいった。
明里は弘ちゃんを「プリンス」と呼ぶほどの大ファンだ。
加地とさぁこの仲はもう皆の知るところとなっていて、交換日記の伝書鳩も少し前からお役御免となっていた。
お鈴は例のごとく「坊主はいらん」と言うので3人で行こうか、と話していると多羽が戻ってきた。
「な、多羽、今度試合あるやろ?弘ちゃん出るやんな?」
明里が言う。
「弘ちゃんが出ぇへんわけないやん。」
弘ちゃん信者の多羽には愚問だ。
「加地くん投げる?」
さぁこが続く。
「今回は投げるで。ていうか加地に聞けや。」
ピッチャーにこだわっているのではなく、加地のことがあまり好きではないのだろうな、と感じられる言い方だった。
目の前にいる多羽のことを誰も聞こうとしないので
「多羽は出ぇへんの?」と
私も聞いてみた。
「俺はサード。元々サードやから。」
さぁこがキャッキャと嬉しそうにしている。
多羽が投げないことは全く気にならなかった。
「ピッチャーの多羽」が見たいのではなく「野球をしている多羽」が見たいのだから。
✳✳✳
ライパチから「バックネットで観るな」と言われたことを思い出し、一塁側の少し離れた場所から観ることにした。
加地はさすがにエースの雰囲気があり、ここは自分の場所だという、多羽にはないマウンド慣れのようなものがある。
どこでも守れるオールラウンダーの弘ちゃんはショートを守っていた。
珍しい長身のショートだがプレーは軽やかで、明里が「プリンス」と呼ぶのも分かる気がした。
サードは守備の上手い人が任されるポジションだと言われている。
ファーストへの送球は距離があるため、ワンバウドだと捕りづらいバウンドになったり、ノーバウンドだと力が入りすぎて一塁手が捕球出来ないような上の方へ投げてしまったりと、送球ミスが起こりがちだ。
多羽はピッチャーをやるだけあって、地肩が良いのかファーストへの送球がとても安定していた。
ワンバウドでも捕りやすそうなバウンドの送球、ノーバウンドならストライク送球だ。
「ライナーが来たらめっちゃ怖いねんぞ。」
そう言っていたが、体付近のライナーを難なく捕球しているように見えた。
「ハッチ、多羽が投げへんくて残念やな。」
さぁこは少しだけ申し訳無さそうにしていたが
「ううん、多羽のサードは見たことなかったから良かったわ。」
今後多羽が野球を続けようが続けまいが、私が野球をする多羽を見るのはきっとこれが最後だ。
最後に本職のサード多羽を見ることが出来た。
残念なんて気持ちは微塵もない。
女の子に対しても、ファーストへの送球くらいの細やかさがあれば良かったのに。
それが多羽の残念な所で私の安心の種でもあった。
試合は3-1で負け、多羽たち3年生の野球部は終わった。