多羽(オオバ)くんへの手紙─30
(1,735字)
何かが始まりそうな予感がするほど清々しい朝。ずっと遠くにあると思っていた、卒業の日のしんみりとした気分が少し和らぐ。
『終わり』と『始まり』はふたつでひとつ。
もう少しだけここに居たいとお願いしても
「すぐ後ろに『始まり』が来ているからもうここには居られないんだよ」と
時間が言う。
***
教室前の廊下に、式の会場となっている体育館へ向かう卒業生が並んでいる。
もう既に泣いている女子。
普段よりはしゃぎまわる男子。
昨日までの日常が今日で終わるという実感は湧いてこなかった。
ひんやりとした体育館に整然と並べられたパイプ椅子。
各クラス男子が前、女子が後ろに着席する。
隙間からかろうじて多羽の背中が見えた。
あの背中を見ていた頃が随分前のようで懐かしい。
校長先生の話や、在校生代表からの餞の言葉。卒業生代表の答辞。
じわじわと終わりの始まりが近づいてくる。
学級委員が、代表してクラス全員の卒業証書を受け取る運びとなり、
お鈴と戸澤が代表して卒業証書を受け取った。
教室に戻ると野口先生から皆にお祝いの言葉が贈られた。
一人ずつ名前を呼ばれ、呼ばれた者から前へ行き、先生からの一言と一緒に卒業証書を受け取る。
「ヤマギワ」
多羽が呼ばれた。
多羽と呼ぶのは今日で終わりだ。ヤマギワと呼ばれる多羽の明日からの日常に私はいない。
今頃やっと少し悲しくなってきて、視界がじんわりと霞んだ。
「何よ、お前泣いてんの?」
多羽のデリカシーの無さも、今日の思い出の一部になるのだろう。
「明日からむーたんに会えんくなるのが辛いんやよ。」
─むーたんこと村田くんは1学年下の野球部の子で私のお気に入りだった─
「むーたん?村田か。しょうもな。」
「可愛いもん。しょうもなくないし。」
これはむーたんへの涙だ。
そう思い込まないと、もっともっとどんどん零れ落ちてしまいそうだ 。
私は一生素直にはなれないのかもしれない。
「ミスミン、みんな外で写真撮ったりしてるからさ、ウチらも行こや。」
お鈴が誘いに来た。
「わ、ホンマや。行こ。多羽、ほなな。」
「ほなな。」
明日会うみたいな「ほなな」。
「みんな明日間違えて学校来るなよー。」
野口先生の最後の言葉。
可笑しくなって、さっきまでの涙は引っ込んでしまった。
✳✳✳
卒業生や在校生が溢れかえるグラウンドでは、そこら中で記念撮影会が行われている。
「水澄ー、一緒に写真撮ろや。」
明里がお父さんから借りたというカメラを持ってやって来た。
「撮ろ撮ろ。弘ちゃんは?」
「後で撮ってもらうけど、ほら、あれ見てん。」
明里に言われた方を見ると、弘ちゃんが下級生と同級生の入り混じった女の子たちに囲まれていた。
「水澄も多羽と撮ったるで。向こうの方におるやん。呼んできたろか?」
「いやぁ、いいって。いらんいらん。」
今更「写真撮って」と言うのも、撮ること自体も何となく躊躇われた。
「じゃあさ、松原先生と撮ろや。あっこおるやん。行こ行こ。」
松原先生も女子人気が高く、撮影待ちの女子に囲まれていた。
明里のこういう性格は本当に羨ましい。いつも真っ直ぐ自分の気持ちを伝えられる女の子。
「先生ー、一緒に写真撮ってー。水澄もはよはよ。」
「おー、羽田もか。多羽と撮ったんか?ん?何?ネクタイいがんでる?こんでええか?」
明里が頼んだ誰かが構えるカメラのずっと向こうに多羽が見えた。
あ、きつねの嫁入りやー
どこかで誰かがそう言っているのが聞こえた。晴れているのに細かい雨粒がパラパラと落ちてくる。
「ほなな」で引っ込んだ私の涙みたいだなんて、こんな時には何故か女の子らしい感情が湧いてきた。
✳✳✳
後日明里が焼き増ししてくれた写真はピンボケで、レンズに付いた水滴も写ってしまっていたけれど、見ているこちらが吹き出してしまいそうな満面の笑みを浮かべた、私と明里と松原先生がいた。
ついこの間のことなのに、昔の思い出の写真を見ているようだ。
あの時咲いていなかった桜がもう散りだしていた。